ミシェル・オバマ前大統領夫人、厳しいトランプ批判と「共感」について語る

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1.アメリカ民主党大会が17~20日コロナ禍の中で「バーチャル開催」され、ジョー・バイデンとカマラ・ハリスの正副大統領候補が決まりました。11月3日共和党トランプ・ペンス組との選挙で、今後4年間のアメリカの帰趨が決まります。

 

 大会初日の最大の話題はミシェル・オバマ前大統領夫人のオンラインによる18分強の「基調演説」でした。

「熱情的な」あるいは「容赦ない」スピーチと各メディアは評し、彼女の「ドナルド・トランプがこの国の大統領でいるのは間違っている(Donald Trump is the wrong president for our country)」という痛烈な言葉が各紙の見出しを飾りました。

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2.印象に残ったのは以下のような言葉です。

(1) 私たちが本来リーダーシップや救いや安心を求める筈のホワイト・ハウスに、いま見るのは、混乱と分断と共感の全き欠如です。

(2)私は最近、「共感(empathy)」についてよく考えます。共感とは、誰か他の人の靴を履いて歩くこと、他の人が経験したことには同じように価値があると理解することです。

(3)いまこの国で起きていることは、正しくも、私たちが望んでいることでもありません。

(4)それではどうすればよいか?「高きを目指しましょう(going high!)。

決して自らを貶めることなく、憎しみに負けずに、違いを超えて共に生き、ともに行動する道を見出しましょう」

(5)そのためには現状を変えることです。4年前の結果に失望してひきこもることなく、ジョー・バイデンに投票しましょう。

 彼は素晴らしい人物です。共感を抱き、人の話を聞く人です。子どものときに父親の失業を経験しました。若い上院議員時代には妻と生まれたばかりの娘を亡くしました。副大統領のときには最愛の息子を失いました。だからこそ、座っていない人のいる椅子があるテーブルにいることの悲しみを理解し、どんな時でも時間を割いて他の家族の苦しみに耳を傾けることを厭わないのです。

 もちろん彼は完全な人間ではありません。しかしそのことを真っ先に自ら認める人です。どんな大統領も完全ではありません。大切なのは、学び・成長する人間であるかどうかです。

 

(6)困難な時代だからこそ、私たちは一緒にならなければなりません。私たちの英雄だったジョン・ルイスが言ったように「何かがおかしいと気付いたら、発言し、行動すべき」であり、歴史に新たな1頁を加えることに参加しなければなりません。それこそが共感の本当の姿なのです。自分や自分の子どもたちだけではなく、皆のために、すべての子ども達のために行動することです。

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3. 因みにジョン・ルイスは7月に80歳で死去した下院議員。長年アフリカ系アメリカ人の人権のために戦い、公民権運動の象徴的存在。キング牧師の盟友、ロバート・ケネディの親しい友人。タイム誌8月10日号は「一国の良心」と題する16頁の追悼記事を載せました。 

 1963年、差別廃止と自由を訴えるワシントン大行進の日、大群衆を前にキング牧師が「私には夢がある」という有名な言葉を発したとき、「学生非暴力調整委員会」の委員長だった23歳の若きジョン・ルイスは同じく演壇に立って、「我々は、今日ここで示された愛と尊厳の精神を失うことなく、これから行進していこう」と呼びかけました。

 キング牧師ジョン・ルイスだけでなく、ミシェル・オバマさんのスピーチのうまさにも感心しました。しかし、選挙はきれいごとではないから、彼女のスピーチが感動的だからといって、それが選挙戦にどこまでプラスに働くかというと、それは別問題だろうとは思います。

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 4. 他方で8月18日の英国紙「ザ・ガーディアン」は、「コロナ危機で、女性の指導者の対応の方がよりすぐれている」とする調査結果が出た、と報じました。

(1)すでに、ドイツのメルケル首相、ニュージーランド(NZ)のアーダーン首相、台湾の蔡英文総統などはメディアの注目を集めている。しかし専門家や研究者からの反応は少なかった。

(2)ところがここにきて、ワシントンDC所在のシンクタンク「経済政策研究センター」と毎年ダボス会議を主催することで知られる「世界経済フォーラム」の共同研究が発表された。

(3)この研究は、193ヵ国のコロナ危機への対応(5月19日時点ではあるが)、を比較調査した。基礎データとして、各国のGDP, 人口、人口密度、高齢者比率、1人当たりの健康支出、海外旅行者、男女平等の度合いなどの総合的な統計も活用した。

 

(4)その結果、「違いは明らかに事実であり、女性指導者の国々の方がうまく対応している。その理由は、先を見越した、協調的な政策対応にあると考えられる。また、命の危険への意識の高さ、経済対策でもリスクをとることを恐れない姿勢が特徴的である、その結果、早期に断固たる対策をとることに成功している」と結論付けている。

 

(5)女性がトップ・リーダーである国は、19ヵ国しかない。そして本調査は、メルケルやアーダーンのような「特別注目されている存在」を除外して、ほかの17の国だけを他国と比較調査しても同じようなことが言える、と指摘している。

 

(6)また、同調査は「もっとも似通った2か国の相互比較」も行った。具体的には、ドイツと英国、NJ とアイルランドバングラデッシュとパキスタンそれぞれの比較で、前者が何れも女性が、後者が男性がトップ・リーダーの国である。

そして、何れも前者の方がこの危機にうまく対応している、と結論付けている。

 

(7)その上で、「この研究結果が、これからもコロナ危機が続く中で、政治のリーダーシップのあり方を議論するきっかけになればと願っている」と述べているそうです。

 むろん異論もあるでしょううが、それを含めての議論を期待しているのでしょう。

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5. 以上、ミシェル・オバマさんにしても19ヵ国の女性トップ・リーダーにしても頑張っていますね。調査報告の中で「女性のリーダーは、命の危険への意識が(男性より)高い」という指摘はなるほどと感じました。どうしても役割分担として、子どもを育て、他の子どもたちに接する機会も多く、病人や老人の介護に携わることも多いのは、えてして女性にならざるを得ない、それだけ「人の命」への感受性が高い、と言えるように思いました。

 昔、この国で介護保険の制度が導入されて、男性議員が殆どの国会で議論が続いているときに、家人が「この人たちって、自分の親の介護をしたことがあるのかしら、苦労をどこまで知っているのかしら」と呟いていたことを思いだしました。

 そういえば、ミシェル・オバマの18分のスピーチで、いちばん多くでてきた言葉は「共感」と「子ども達(もちろん自分の子どもだけでなく、子ども達一般の未来)」の2つだったと思います。

75年前の昨日、日本の国民は降伏を知らされた

1.昨日は終戦記念日でした。75年間、少なくとも日本は、戦争がなく暮らしています。これがどんなに貴重なことかと思います。

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この年になっても、平和な田舎暮らしを過ごせることに感謝しています。先週末は、年下の友人夫妻と4人で、地元の農家から借りた土地で作ったじゃがいもの収穫をしました。

今年はコロナの自粛で、いつも手伝ってくれる長女夫婦が来られず、種芋を植えつける時期が遅れ、おまけに長雨もあり、収穫は例年の3分の1ほど。それでも、翌日の夕方は友人のお宅で収穫を祝いました。

いま、当地は野菜の豊富な時期で、我が家も連日ベジタリアン向けのメニューです。スーパーに行っても「生産者直売」の野菜が並んでいて、熱心に買い求めています。皆さんマスク着用とはいえ、これも平和な光景です。

ロンドン郊外に住む次女の一家は、しばらく帰国できませんが、ときどきラインで、顔を会わせます。75年昔には激しい戦争をしていた異国にいま平和に暮らしています。

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2.他方で、前回ブログで紹介した「明子のピアノ」の河本明子さんは、1926年ロスアンゼルス生まれ、35年にアメリカ製のピアノとともに一家で帰国しました。父母の故郷広島に住んでもピアノを習い、ショパンを弾くのが大好きでした。

しかし、帰国した35年に日本は国際連盟から脱退、翌々年には日中戦争が始まり、太平洋戦争へと広がり、1945年無条件降伏を受諾した9日前に被爆しました。

彼女の場合、物心ついてからほとんど平和を知らないうちに、19歳でこの世を去りました。

彼女が愛したピアノは蘇り、6日の広島でのコンサートでも披露されました。コロナがなければ来日して演奏する筈だったマルタ・アルゲリッチは、「私たちは彼女のことをはっきり記憶するでしょう」とパリからメッセージを残しました。

何人かの方からコメントを頂きました。

・飯島さん「あの日あの時間、いろんな思いを持った人々が一瞬にその全てを断ち切られたのです。数多くの戦争犠牲者の方々に思いを馳せると胸が張り裂ける気がします」

・Masuiさん「広島への祈りは小生の心に深く深く特別なメッセージとして響いてきます」

・岡村さん「ジョン・レノンの「イマジン」が頭をよぎるのです。僕らの時代はベトナム戦争でした。ナパーム弾に爆撃されて逃げ惑う少女の写真がピュリツアー賞を取った事が思い出されます。71年~72年にかけてシドニーに居ましたが、ラジオからは毎日のように「イマジン」が流れていました。前の戦争もこの戦争もいったい誰の為の戦争だったのでしょう」

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3.こういうコメントを読んで、まだ戦争の記憶と思いが継承されていることを改めて感じました。

しかし、若い人たちにもそのような記憶が伝わっているかといえば、難しいでしょう。

コメントに心から感謝もし、同時に、戦争を知る高齢者が徐々に少なくなる現実のもとで、悲劇をどう継承していくのだろうかと考えました。記憶は薄れていく。だからこそ記録を残していくことが大事。「明子のピアノ」もその一つとして残っていく。そしてその物語に、マルタ・アルゲリッチのような世界的な音楽家が真摯に向きあい、まっすぐに取り組んでいるという姿勢に、未来への希望を感じています。

 「明子のピアノ」だけではなく、この時期、新聞などメディアは連日あの戦争の悲劇を伝える、辛く・悲しい記事が多いです。私は辛くても目を通すようにしています。

 祈念式典での平和宣言もそのひとつです。6月の沖縄慰霊の日で玉城知事は、一部を琉球語と英語で語りました。昨年末アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師の生き方にも触れました。長崎の田上市長は、昨年この地を訪れたローマ教皇の言葉を引用し、「75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこうつづっています」として、悲惨な記述を引用しました。

f:id:ksen:20200815080351j:plain また、9日付同紙は、「戦争の悲惨さ孫に伝えたい」と題して75歳の女性永田栄子さんを紹介しました。長崎出身の父は毎日新聞の記者だったが、6月、沖縄戦線の従軍取材で32歳で戦死、その8日後に長崎で生まれた彼女は家族とともに被爆した。「被爆したことを人に言ってはいけない。言えば差別される」と祖母に言い聞かされて育った。しかし幸せな結婚をして、娘はオーストラリア人と結婚し、一家で豪州にいる。永田さんは中学生と小学生の孫3人に3年前から毎年夏、メッセージを送っている。「沖縄戦では母親が子を背負って敵に向かって行った。子供が手りゅう弾を手にしていたんだ」。そうつづっても孫たちには伝わらない。「悲惨さが届いているか分からないけれど、分かるまで、嫌がられても毎年書くつもり」・・・・・

 

 12日の毎日新聞には、長崎支局の若い女性記者(沖縄出身)が、(沖縄でも長崎でも)「分かってくれないもどかしさと、忘れ去られようとする不安にあらがいながら、75年前に何があったのかを必死に伝えようとしている人たちがいる」と書きました。永田さんもその一人でしょう。

f:id:ksen:20200815081051j:plain5.私のような市井の老人は、せめてこういう記事を丁寧に読むことぐらいしか出来ないのだが、と思いながら毎年読んでいます。子どもも孫も日々の暮らしに忙しくて読む時間はないでしょうが、せめて暇な老人の義務だと思っています。

 そして、もうひとつこの時期は、岡村さんが書いてくださる「イマジン」を聞き、歌詞を思います。ジョン・レノンの作詞作曲ですが、2017年に作詞は夫人ヨーコ・オノとの共作と正式に認定されました。

・・・・Imagine all the people (想像してみよう 誰もが平和に生きている世界を)

    Living life in peace

   You may say I'm a dreamer (僕のことを夢見る人と君はいうだろう)

   But I'm not the only one   (だけど、僕はひとりじゃない)

   I hope someday you'll join us  (いつかは君だって仲間になってほしいし)

   And the world will be as one  (そうなれば世界はひとつになるんだ)

 8月9日、田上長崎市長は、こう呼びかけました。

「日本政府と国会議員に訴えます。核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください」。

 この人もまた「夢見る人と君はいうだろう」――「だけど、彼はひとりじゃない」。

昨日の毎日新聞には、「NHKが昨年12月に実施した「政治意識月例調査」(1238人回答)で「核兵器禁止条約に参加すべき」と65.9%が回答。「参加しなくてもよい」が17.1%だった」とあります。

「明子のピアノ」と被爆75年2020「平和の夕べ」コンサート

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1. 今年の8月6日は広島被爆75年でした。

 朝8時から家人とともに、茅野市で開かれた「第25回平和祈念式」に参加しました。毎年出席しています。県外の被爆者の出席者は私ぐらいでしょう。

 今回は時間を短縮して、広島・長崎両市長からのメッセージの朗読、そして1分間の黙とうと献花だけで終わりました。マスク着用でした。

 例年なら、広島への「平和の旅」に参加した中高校生の報告があったり、皆で木下航二作曲の「原爆を許すまじ」を歌うのですが、今年はありませんでした。

 茅野市が、毎年広島の旅に学生を送り続け、とくに今年はコロナ禍のなかでも式典を実施したことに敬意を表したいと思います。

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2.本拠地広島市での式典は、参列者を例年の1割に満たない785人に絞りました。

 毎日新聞の報道では、「83か国やEU代表部の駐日大使らも出席した。核保有5大国からは中国を除く米露英仏が参列。

 松井一美市長は平和宣言で、新型コロナウィルスの感染拡大による自国第一主義の台頭に懸念を示し、国家間や人々の連携を呼びかけた。日本政府には、被爆者の思いを受け止め、3年前に国連で採択されたものの発効していない核兵器禁止条約の「締結国」になるよう求めた。安倍晋三首相は昨年に続き、条約に言及しなかった」。

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3.広島市では6日夕方には、「被爆75年2020平和の夕べコンサート」~Music for Peace~が、880人の聴衆を上限として開かれました。

(1) 広島交響楽団(広響)が毎年催す「平和の夕べコンサート」は、今年は節目の年であり、当初はベートーヴェン「第九」と、アルゼンチンが生んだ世界最高のピアニストの一人、マルタ・アルゲリッチを招いて実施する予定だった。

(2) しかもピアノ曲は、藤倉大という日本人が作曲してアルゲリッチに献呈された、「ピアノ協奏曲4番“明子のピアノ”」で、これを世界初演で演奏することを彼女が応諾してくれたのだ。

(3)ところが、コロナ危機のため彼女の来日が叶わなくなり、この曲は急遽日本人ピアニストが演奏し、「第九」も中止となり別の曲目に変更された。

(4) コンサートは当日、インターネットで無料ライブ配信された。

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4.ここに至るまでの経緯は以下の通りです。まず「明子のピアノ」について。

(1) 河本明子さんは、広島からアメリカに移民した両親のもとで、1926年ロサンゼルスで生まれた。1933年日系移民排斥の動きが広がるアメリカから帰国し、広島に住む。アメリカで買ってもらって6歳から習い始めたピアノを持ち帰り、広島でも熱心に習った。

(2)1945年8月6日、原爆投下の朝、明子は女学校からの勤労奉仕に参加し、被爆、爆心地から約1キロの距離だった。必死で家に戻ったが翌日死去する。19歳だった。

 翌日、両親は彼女の亡骸を自宅の庭で荼毘(だび)に付した。死因は急性放射線障害。

 前日の朝、数日前から体調を崩していた明子に父親は「行かんでもいい!行かんでもいい!」と繰り返し言ったという。そのため明子は、死の床で「お父さん、ごめんなさい」と謝り続けたという。そして、最期の言葉は、「お母さん、赤いトマトが食べたい」だった・・・・・。

 自宅も原爆で損傷し、前日まで弾いていたピアノも傷つき、弾き手を失ったまま置かれていた。最愛の娘を失った悲しみで、両親は彼女の遺品をすべてそのままにしていた。

(3)1980年ごろ偶然ピアノの存在を知った友人知人が、これを引き取り、調律師(彼は一目見て「これは捨ててはいけないピアノです」と進言した)の協力を得て時間をかけて修復し、2005年8月の「平和の夕べ」コンサートで蘇った。

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5.そしてアルゲリッチです。

(1) 彼女は、すでに2015年8月5日広島市での被爆70年の節目のコンサートに、初めて出演している。彼女自身の強い希望で、先に内定していたザルツブルグ音楽祭など、8月のヨーロッパでの仕事を全て断っての来日だった。

(2)しかも、「明子のピアノ」の存在を聞いた彼女はコンサートの2日後に、自らショパンの試し弾きをしてくれた(その時の写真も上に載せました)。「明子さんはショパンが好きだったのですね。不思議なことに、弾いてみるとそれを感じます。ピアノがそれを記憶しているみたい。私はそれを信じます」と語った。

(3)同じく世界的なピアニスト、ピーター・ゼルキンも2017年のコンサートに出演するため来日したときに、このピアノでバッハなどを45分も弾き、録音の申し出にも快諾した。

(4)アルゲリッチは2015年のコンサート初出演のあとでこんなメッセージを残した。―――「・・・私が日本国内で演奏を続けてきたのは、音楽には人を愛することを助け、人を傷つける気持ちを弱める力がある、という信念からです。第2次世界大戦でのもっとも恐ろしい犯罪は、広島と長崎への原爆投下とナチス・ドイツによるホロコーストユダヤ人の大量虐殺)だと思います。このような犯罪は、二度と起こってはなりません。私は、そのために、広島が今まで以上に重要な役割を果たすものと信じます」。

(5)今年の被爆75年の節目のコンサートでの、2回目になる演奏も快諾した彼女だったが、思いもかけぬコロナ禍で不可能になったのである。

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6.最後に、今年8月6日のコンサートのインターネットライブ放映を見ての感想です。

(1)アルゲリッチに献呈されて、本来この日に彼女が演奏する筈だったピアノ曲“Akiko’s Piano”は約20分の作品で、末尾のカデンツアのみ実際に「明子のピアノ」が使われる。

(2)コロナのため来日できなくなったアルゲリッチはヴィデオ・メッセージを寄せた。 

「今回演奏出来ないことにとても悲しい気持ちです。平和のための音楽会だから参加してきたのに、ごめんなさい」「私たちは、この曲を聞くことで、悲劇的な状況下で亡くなった明子さんのことを、はっきりと記憶するでしょう」。

(3)当日は、代わりに広島出身の萩原麻未さんが演奏した。会場にはスタインウェイの他に、アップライトのピアノがもう1台置かれた。彼女は終末部に入ってグランドピアノから席を立ち、その「明子のピアノ」に向かい、4分ほど弾いて、曲を終えた。

(4) なお、7月に『明子のピアノ、被爆をこえて奏で継ぐ』(中野真人著、岩波フックレット)が出版されました。帯には、「河本明子さんが愛奏していたピアノは、その響きを取り戻し、「音楽で平和を」の輪を世界に広げていく」とあります。関連のサイトも見られます。アルゲリッチのヴィデオ・メッセージも載っています。

https://www.akikos-piano.com/

テレビ番組も作られて、8月15日NHKのBS で午後6時から放映されます。

「人間は社交的動物(ホモ・ソシアビリス)である」と山崎正和氏は言う。

1.8月に入り、老夫婦の茅野での田舎暮らしは1ヶ月となりました。やっと梅雨明け、青空が見えるようになりました。

 この間、長野県では、しばらくゼロだった新規感染者がかなり増えました。ただ、茅野市はまだ安全で、とくに山奥は庭にりすはやって来ますが、人で「密」になることは全くないので、比較的気楽に近所に住む友人たちに会っています。

 東京の方々には申し訳ありませんが、有難いことです。もちろんマスク着用、手洗い励行といった作法は守っています。

 ただそんな環境なので、東京と違ってついマスクを忘れて外に出てしまうこともあります。先日は車で20分ほどのスーパーに買い物に出たところ、いつもは家人お手製のマスクを携帯しているのにその日は不注意で忘れたことに気づき、あわてました。幸いに入口の横に小さな薬局があり、助かりました。1枚ずつ売っていて、30円でした。東京も今は同じでしょうが、当地ではマスク不足の心配はありません。 

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2.それにしても当地でも誰もが、真面目にマスクをつけています。日本人は以前から普通にしていましたね。なぜか分かりませんが、マスク姿に違和感は感じないのでしょう。

これが欧米あたりでは大きな問題になっていて、トランプがつけるかどうか話題がになり、口論のあげくの殺人事件まで報道されています。

米タイム誌「孤独」特集の中のエッセイで、ある女性作家が(反対している訳ではないが)、違和感を書いていました。「たまに外に出ると、マスクで顔を覆った人たちの姿が、まるでシューリアル(超現実的)な光景だ。「眼は魂の窓だ」という言葉があるが、コロナのお陰で、これが間違いだと分かった。顔全体が見えるのがどれだけ大事か、魂は眼だけではなく人間の表情のすべてから窺えるものだ、とあらためて思った」とあります。

 こういう感覚はやはり日本人とは少し違うのでしょうか?

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3.当地での友人との出会いですが、3組6人の夫婦の昼食会が先週は二度ありました。

1度はお寿司屋の広い個室での昼食会。良心的な値段で、お一人様1450円のランチは、デザートと珈琲までついてなかなかいけます。もう1度は別の友人で、そのうちの一人のお宅に昼食持ちよりで集まり、少し距離をあけながら、久しぶりに社交を楽しみました。どちらも、ご夫人方が活発に会話に加わるのが特徴で、政治的・社会的な発言も賑やかです。

 また、犬を連れて立ち寄ってくれる年下の友人ご夫妻もいます。4連休を利用してやってきた長女夫婦と一緒にご自宅によばれ、やはり3組6人(プラス愛犬)でお喋りをしました。もとの職場の同僚でニューヨークで一緒に働いたこともあり、住まいも近かったので、若い頃の思い出話でも盛り上がりました。

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4.山崎正和の『社交する人間(ホモ・ソシアビリス)』(2003年)の記述を思い出しました。

本書は、「人間は社会的動物」とはよく言われるが、「社交的動物でもある」と、「社交」の意義を論じます。

――「この世で人が人に会うことの不思議さに感動し、1回ごとの邂逅(かいこう)を生涯の大事と考える「一期一会」の教えは、日本の「茶の湯」の中心的な思想だった。西洋でも18世紀の前半には、社交に文字通り命を賭けて、「虚礼」を実業以上に人生の義務として重んじる人が生きていた」。

 そして、「社交を成立する条件として、人間の平等とそれを許容する平等主義が必要だ」とも指摘します。国家や企業の「タテ社会」を補完する人間関係として「横のネットワーク」の大切さと言ってもよいでしょう。それが相互扶助にもつながるでしょう。

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5.コロナという伝染病の破壊力は、病原菌とともに、ソーシャル・ディスタンスを強いることで「横のネットワーク」も弱めようとしている。その脅威に対して、「社交的動物」としての存在を守らなければいけないのではないでしょうか。

 比較的安全な場所ならば、予防と注意をしつつ、距離を保ちつつも、人に会い、短い会話でもいいから言葉を交わす。困っている人がいたら、買い物の手伝いを申しでたりする。物理的な接触が無理なら、電話でも手紙でもスカイプでもラインでも電子メールでもいいから、人とつながる。いままで以上にそんなことの大切さを感じています。

 

6.これもまだ4月初めでしたが、ニューヨークでコロナが猛威を振るっていたときに、病院の集中治療室に勤務する日本人医師のフェイスブックが話題になり、このブログでも紹介しました。

その中で彼は、患者が増えて地獄絵の様相を呈している状況を伝えるとともに、最後にこう書いていました。

――「この状況になったからこそ気づかされることが沢山ある。家族や友達と会ってお喋りしたりハグしたり、公園に行ったり、気軽にそうできることがどんなに幸せなことか。生きているって、それだけで本当に幸せなこと」

 いまニューヨークの状況は、クオモ州知事のリーダーシップもあって、これを書いた時より少し良くなっているようで、彼も無事に家族や友人と会えているでしょう。

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7.最後になりますが、同じニューヨークでの悲しい話も聞きました。

一昨日のこと、東京から移動してきたご夫婦と昼をともにする機会がありました。夫の方が家人の小学校の同級生で、たまたま夏に同じ茅野の山奥に滞在することがわかり、しかも彼が私の中高の2年後輩なこともわかり、以来親しくしています。

 暫くぶりに会ったのですが、中高が一緒で親しかった彼の友人がコロナで死去したと聞いて、驚きました。それが4月、しかもニューヨークでのこと。死去した方はかねてニューヨークが大好きで退職後、東京と頻繁に往来していた、たまたま3月中旬もひとりで同地に出掛けたところ罹患してしまい、現地の病院で死去した。 東京から奥様が行くことは不可能で、家族に看取られることなく死去。遺骨もまだ日本に持ち帰れないという、まことに気の毒な状況です。

 ただ、ニューヨークの教会関係者に知り合いがいて、教会のメンバーが献身的にボランティアで面倒をみてくれたそうです。また、病院も日本との連絡手段を講じてくれて、病室と東京の自宅との交信をスカイプを使って可能にしてくれた、そのためパソコンを通してではあるものの、最期まで何とかコミュニケ―ションをとることができた。

 それまで、幸いにも私の周りでコロナに感染した人は聞いたことがなかっただけに、いままでやや遠い出来事だと思っていたコロナの残酷さを、急に身近に感じながら話を伺いました。

「孤独という病(A plague of loneliness)」―米タイム誌

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1. 茅野市の山奥に移動して、静かに・おとなしく過ごしています。一度だけ東京に日帰り往復しました。病院行きと、朝日カルチャーセンターが再開したので新宿に出て、友人と一緒に「平安時代文学と源氏物語」の講義を聞き、昼食をともにしました。

彼に会うのも5か月ぶりで、話が弾みました。少し喋り過ぎたかなとあとで反省しました。自粛が続く中で対面で話す機会は珍しく、つい調子に乗ってしまったようです。

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2. 山では米タイム誌も眺め、相変わらずアメリカでのコロナ関連記事が多く、病院での悲惨な記事があり、写真が生々しいです。

今回紹介するのは2つあって、1つは「孤独という病が拡がる」と題する記事です。

(1) まず「社会的な孤立(social isolation)」と「孤独(loneliness)」とは異なる。

前者は、人とどの程度の接触があるかという客観的な指標だが、後者は「自分が孤立している」と感じる主観的な感情である。

(2) もともとアメリカ人は、「孤独」を感じる人の比率が他国に比べて高い。

 主観的な感情だから、性別・年齢などに関わりなく、一人暮らしか否かも関係ない。一人だから「孤独」とは限らないし、家族に囲まれていても「孤独」を感じる人はいる。     

そして聞き取り調査で、コロナ禍のもとで「孤独」を訴えるアメリカ人は急増している。

(3) 専門家はこれが、認知症うつ病自傷行為、薬物の乱用、ギャンブル依存症などをひきおこすのではないかと懸念している。

他方で、むしろこれが人とのつながりを一層強めるのではないかという楽観的な意見もある。

(4)この記事は、こういう人たちを助けようとするNPOの活動も紹介しています。物理的な「つながり」を作って仲間に入れる、あるいはネットの活用による機会の提供といった取り組みです。

(5) そして、ひとつだけ良い点を指摘すれば、「孤独が珍しくなくなった」ことだと言います。

いままでの調査によると「孤独」を感じる人は、それを恥と思い、自責の念にかられることが多い。「孤独な人」に対して「人に好かれない、社交的でない、魅力的でない」とマイナスイメージを持っている人が多いという調査結果もある。

しかし、「いまは誰もが孤独になりうる」状況である。そう思えば誰もが自らの「孤独」を気楽に話題にしやすくなったのではないか、それは良いことである、と結論付けています。

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3.もう一つは、「人生相談もウィルスに向き合う」と題する記事で、この時期、「相談コ-ナー」を利用する人が急増しているという内容です。

(1) 日本の新聞にも「人生相談」のコーナーがあります。アメリカではもっと盛んなようです。それも幅広い、諸事全般の相談事のようです。

もともとこの国では、臨床心理学と臨床心理士の役割が大きく、この場合は厳重な守秘義務がありますから、外部に漏れることはありませんが、心の悩みを専門家に相談することは普通に行われています。著名な政治家や芸能人なども専属の臨床心理士を抱えているという話もあります。日本でも伸びている分野かもしれません(失礼ながら、利用した方がいいのではないかと思われる政治家もいるのではないか)。

(2) 日本と同じようにメディアが提供する「場」で、「相談欄(アドバイス・コラム)」と呼ばれ、悩みや相談を、匿名だが誰もが読めるようにオープンに取り上げる。デジタル媒体の雑誌でも人気がある由で、回答者(コラムニストと言うのでしょうか、臨床心理士もいるかもしれない)の中には、この道で知られた有名人がいる。

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(3)ここに来て、コロナの影響を受けている人たちからの、この利用が急増している。結婚式や卒業式がキャンセルになった悩み、隣人やルームメイトとのもめ事といった具体的な内容が多い。

例えば、「コロナのため卒業式がなくなった。いままで誰もが経験してきた人生の大事な思い出を自分が持てない。この喪失感をどうしたら克服できるか?」

例えば、「ルームメイトが、失業して落ち込み、家賃の負担分を払わなくなった、分担していた家事もやらなくなった、どうしたらよいか?」

例えば、「隣人がソーシャル・ディスタンスを守らないで騒いでいる。警察に通報すべきか?」

(4)アメリカ人は何でも他人に相談するのだな、こういう相談をされたらどう答えるのかな?と読みながら思いました。

卒業式が無くなった悩みに対しては、有名人の某回答者は、「誰もが経験しなかった出来事だからこそ、貴重で珍しい体験だと前向きに捉えよう」と返事したそうです。

こんな回答で満足するのかどうか分かりませんが、他に言いようもないのでしょうし、彼に言わせると「誰もが同じアドバイスを求めている訳ではない。質問者は必ずしも明快な答えを求めているとも限らない。大事なのは、(たとえ紙やネット媒体であっても)耳を傾けること、そして対話すること・・・」だそうです。

(5)他方で、増えてきた相談内容を見ていると、

・具体的な相談事だけではなく、「孤独」一般についての悩みや、

・皆が苦しんでいるこの時期に自分が「孤独」なんかに悩んでいる、そういう自分を責める気持ちへの悩み、といった相談事も増えている。

また、社会的なことへの関心も拡がり、他者に感謝する気持ちが一層芽生えて、それを伝えたいとする人たちも増えたようだ、と明るい面も指摘しています。

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4. 記事を読んで、さて日本人の場合はどうだろうかと考えました。

アメリカ人は、我々だったらごく些細だと思うような「悩み事」でも、前広に赤の他人に相談するという心的傾向があるのだろうか?

アメリカは多民族社会であり、それだけ文化や風習や伝統も異なり、その中で人間関係を円滑に進めるには、些細なことでも専門家の知恵が日本より要るかもしれない。

対して日本人は、他人に相談など恥ずかしいと抑制する意識が強く働くのだろうか?

 もちろん、個人差はあるでしょう。ただ、このコロナ禍で社会的にも経済的にも家庭的・個人的にも悩みを抱えている人は増えているでしょう。

 そういう人たちを誰が、どうやって救っていくことができるか、とても難しい、しかしとても大事な問題だと思います。

 アメリカの某回答者が言うように、答えられなくても「少なくとも、耳を傾けること、対話すること」が大切かもしれません。

「Go to 京都」―「イノダ」と「松長」の魅力。

1. 東京は16日(木)に警戒レベルを「最高」に上げました。私たち老夫婦は、2日(木)から長野県茅野市の山奥に暮らしています。東京に居ても人には会えないし、大学の図書館はやっとオープンしましたが学内の教職員と学生以外入館できず、ということで逃げ出しました。

当地に来て2週間何事もなく過ぎたので、人様に感染させる恐れはなさそうです。当地諏訪地方は感染者まだ1人で(長野県全体は84人)、出張で東京往復したサラリーマンだそうです。

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2.他方で、友人のフェイスブックを覗くと、京都は東京より活動は自由なようで、堺町通三条下がるの「イノダ本店」もオープンしていて、円卓での常連さんによる朝の会話も活発でしょう、懐かしくも羨ましいです。

 これだけ「ステイ・ホーム」が長いと、老妻と二人暮らしならまだ話相手がいますが、一人暮らし(例えば連れ合いを亡くし、子供も独立した、何人かの友人のような)を思うと、寂しいだろなと思います。

そして、あらためて「イノダ」の円卓の存在意義は大きいなと痛感します。友人の近所にもこういう居場所があればいいのですが、東京では少ないのではないでしょうか。

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3.「イノダ円卓」の魅力は、

(1)まず、1年365日、朝7時からやっている。この時間から開いているのは有難い。珈琲を飲んでそれから仕事に十分間に合う時間でもある。

(2)常連用の円卓は、出入り自由、気が向いたら出かけて座っていればいい、帰りたくなったら自由に帰ればいい。だから殆どの客がひとりで来ます。

(3)会議の場ではないから、全員が同じ話題に加わる必要もない。2,3人ずつそれぞれ別の会話をしていたり、1人で新聞を読んでることもある。あるいはすぐ近くの別テーブルで1人で本を読む、気が向いたら読む手を休めて会話に加わる・・・・この「自由さ」が魅力です。

(4)しかも一人といっても、自分の家でではなく、すぐ近くに見知った人たちが座っている、入ろうと思えばその輪に入ればいい、近くに人が居る雰囲気を感じながら、しかし自分は一人で読書をし、珈琲を飲む。この「距離感」がいいのです。少なくとも私の感性にはぴったりです。

(5) 更に言えば、常連といっても、おそらく主に「イノダ」でのお付き合いで、それ以上には広がらない人も多いのではないか。この距離感もいいなと思います。

(6)しかも、この円卓、常連さん専用席ではなく、空いていれば観光客が座っても一向に構わない。現に、円卓の主・柳居子さんはそういう人たちを招きいれて、親しく会話をしたことをブログに書いています。多少敷居は高いかもしれないが、少なくとも常連さんには「よそ者」を排除するという差別意識はない。

3. というようなことでしょうか。

この「円卓での朝の会話」ですが、飯島さんが「皆さんの溢れる知識、経験で話題は多岐に渡る」と書いています。

 男性と女性の違いも話になったようです。岡村さんからフェイスブックにコメントを頂きました。外国人と結婚した卓球の福原愛さんや後藤久美子のこと。古い映画『招かれざる客』のこと、映画ではシドニー・ポアチエ演じる黒人青年と結婚したいと言いだした白人家庭の娘に、スペンシー・トレーシーの父親は「怒り狂う」が、キャサリン・ヘプバーンの母親は「娘の味方になり、穏やかに夫を説得する」・・・。

ここから岡村さんは、「女性は外国の男を異人種と考えない思考があるのではないか。そして女性はどこでも暮らしていける力を持っている。結局中年の頭の固い男を納得させるのは、政策よりも奥さんや女性かもしれない」という感想を披露され、面白かったです。しかも同氏は、若い時の海外放浪の旅が長く、どうやら異国の女性にモーションを掛けられた経験もありそうで、実感がこもっています。

 それに柳居子さんが、「親や家族と別れて、相手に飛び込んでいくという潔さは男性にはなく女性にのみ備わったものと考える」というコメントを追加。お二人の女性観を面白く読みましたが、「円卓での朝の会話」にも少しは関係あったでしょうか。

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4.御池通り高倉上がるの「松長」のことにも触れておきます。常連が集まるのは朝だけではなく、夜酒を飲む場所も大事で、「松長」は格好の「円卓」になります。

江戸時代から続く古い割烹で、今のご亭主は10代目ですが、気楽な雰囲気で居酒屋とあまり変わらない。この若い女将さんが神奈川の出身で「都の西北」の卒業生、それが「いけずな(?)」京都の町に見事に馴染んで立派に店を切り盛りしています。京都の人脈も拡げ、NPO的な活動もやっています。

とにかく、気安く立ち寄れる場所。常連だけでなく、外国人も飛び込みで入ってくる。すると女将は率先して仲間に入れてしまう。夏だったら浴衣を着せてあげて、祇園祭りの季節だったら、常連さんに連れて行ってもらう、こんな雰囲気です。5.実は、先週の夜、蓼科にいる私の携帯が鳴り、「松長」で飲んでいる常連の一人藤野さんからで、女将とも暫く長話をしました。「松長」で手伝いをしていて、2階でお花の教室も開いている女将の友人の女性が、京都に居る私の従妹と会ったという報告もありました。

翌日、従妹にメールで知らせたところ、「人の紹介で、週一度うちに来てくださることになりました。とてもいい人です。世間は狭いですね。でも京都はまあまあこんなもんです。」という返事が来ました。

「うちに来る」とは、「時雨亭文庫」の事務局で働くということですが、まあそれはともかく、久しぶりにそんな話を京都の人たちと交わし、懐かしかったです。

 なお、この文庫が目下お蔵の修理・新設のための基金を募集しており、「クラウド・ファンディング」も活用しています。

以下のサイトによると順調に資金が集まっているようですが、ひょっとしてお気持ちのある方もおられるかもしれないと思い、宣伝させて頂きます。

https://the-kyoto.en-jine.com/projects/reizeike?fbclid=IwAR156utJLb-p4TjtXR3HUpqjfcYLMLeftgnCh7Xg9pfCm3iKHJSC8BtLuvw

6.実は今回は米タイム誌のコロナ特集記事の1つを紹介するつもりでした。

「隔離の後で(After Isolation)」と題して、もともとアメリカ社会では「孤独」が大きな社会問題になっていた、それがCovid-19でさらに「孤独」を感じる人が増えているという内容です。

ところが、京都の思い出話で長くなってしまいました。次回、機会があればご紹介するかもしれません。

米大統領選まで4カ月弱と「リンカーン・プロジェクト」。

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1.前回のブログは、キング牧師ロバート・ケネディ暗殺の年の思い出を書きました。以下は頂いたコメントです。

(1) Masuiさんは同年齢ですが、ちょうどこの年西ドイツの大学で勉強中、プラハの春で欧州が揺れている状況を身をもって体験されました。毎日ラジオ放送にかじりつき、不安に駆られ、恐怖も大きかった、忘れられない経験だったと書いておられます。

たしかに、1968年は世界的に激動の年でした。日本でも学生の抗議デモで揺れました。

(2) 京都の飯島さんと岡村さんからは、アメリカと黒人問題についてです。

飯島さんは目下、同志社女子大で「アメリカ地域研究」を受講中。「女子大」というのが羨ましいですが、ハリエット・タブマンの話を書いて頂きました。

彼女は、南北戦争の前、自ら奴隷だったが逃亡し、その後逃亡奴隷の援助などに生涯を捧げました。

オバマ時代に、黒人女性として初めての20ドル紙幣の肖像画に決まったが、その後トランプ大統領はこの実施を延期しているというニュースは飯島さんのコメントまで知りませんでした。

 因みに、彼女を主人公にした映画「ハリエット」は、コロナのお陰で日本公開が遅れ、いま上映している筈です。

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(3) 最後に、岡村さんは、私が最初のアメリカ暮らしの頃、同国やメキシコなど旅していました。黒人問題がからむ本2冊を読んだというコメントです。

『私のように黒い夜』(ジョン・ハワード・グリフィン)とアンジー・トーマスの『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ』です。

前者は有名な本ですが、私は読んだことはありません。1959年、まだ差別が強烈に残る南部を、自ら肌を焼いて見かけは黒人になり人種差別を身をもって体験するという白人男性の壮絶なルポルタージュです。

 後者は、本の存在も知りませんでした。「幼馴染みのカリルが、白人警官によって射殺される現場にいたスター。汚名を着せられたカリルの無実を訴え、憎しみの連鎖を断つために、スターは立ち上がることを決めた」とはアマゾンの広告です。本国では賞を受賞し、2018年邦訳。

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2, 以上、ご自身の体験やアメリカの黒人問題への関心などを伺い、大いに勉強になりました。

(1) それにしても根深い問題です。

タイム誌は、新型コロナウィルスの拡がりと警官による黒人殺害事件の根っこにあるのはともに「人種差別」という共通の問題だと指摘します。

(2) しかしコロナについて言えば、差別は黒人だけではない。

同誌は、「私は黙っていない」という10人のアジア系アメリカ人がニューヨークで差別にあった体験談を長い記事にしています。「阪口はるか」さんという写真家の日系アメリカ人が1人、あとは中国系・韓国系のアメリカ人で、被害者は若い男女、加害者は中年以上の白人の男性です。

コロナがらみで、罵倒されたり、脅かされたり、トイレでつばを吐かれたり、殴られたり、嫌がらせにあったりという体験です。

(2) 他方で、英米のメディアはミズーリ州セントルイスの抗議デモに銃を向ける夫婦のヴィデオを公開して話題になっています。

https://www.bbc.com/news/av/world-us-canada-53226495/couple-stands-in-front-yard-to-point-guns-at-protesters

大邸宅の前の私道をデモ隊が入ったことに怒った夫婦が、夫はライフルを、妻はピストルを持って威嚇している姿です。

 デモ隊にも行き過ぎた行動があったでしょうが、さすがにやり過ぎだという夫婦への批判も多いようです。それにしても、普通の市民(傷害専門の弁護士だそうです)が当たり前のように銃を振りかざすアメリカ社会にはあらためて驚きます。

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3.こういう事態になる理由に、再選を目指す現職のトランプ大統領が、宥和と連帯を訴えるどころか、むしろ分断をあおるような発言を繰り返していることがある。(前回紹介した、52年前のロバート・ケネディの呼びかけといかに異なるか!)。

彼にとっては岩盤支持者を大事にという戦略でしょうが、さすがに共和党の一部からも批判が出ています。

今回は、最後に「リンカーン・プロジェクト」について報告します。共和党の中から公然とトランプに反対し、民主党ジョー・バイデン支持の運動を始めました。

(1)「リンカーン・プロジェクト」は、スーパーPACと言われる特別政治資金管理団体として昨年末に設立された。企業や個人から寄付を集めて、それを反トランプの選挙運動に使うというもの。

https://lincolnproject.us/

(2)話題になったのは、設立者が元ブッシュ大統領や大統領候補になったマケイン、ロムニーなどの選挙参謀やアドバイザーだった人たちだということ。

リンカーン当時の本来の党に戻そう」という理念で「2020年にトランプとトランピズムを打ち負かす」をスローガンに「この11月は、アメリカかトランプかの選択だ」と訴え、ソーシャルメディアを駆使した運動を行う。共和党内部の造反ともいえ、異例の動きです。

(3)例えば、1984レーガン大統領が選挙運動に使ったスローガン「Morning in America(アメリカに朝が来る)」をもじって」「Mourning in America(アメリカは喪中だ)」と題した1分のツィッターを流す。主なターゲットは長年共和党を支持する白人男性であり、「今回限りは民主党候補を応援しよう」とするもの。

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(4)アメリカのメディアNBCが7月7日付の記事でこの最新の動きを伝えています。

――当初はさほど注目されなかった。しかしコロナ感染や人種差別抗議デモの拡がりの中でのトランプの言動に呆れ、反発し、その結果寄付が急激に増えている。

従って「プロジェクト」の、ソーシャル・メディアによる反トランプの活動も勢いを増している。「資金収入が増えてきたのは彼のお陰だよ。我々の政権だったら、彼を(論功行賞で)スロベニアあたりの大使に任命したいぐらいだ」とジョークを飛ばす責任者もいる(スロベニアはメラニア夫人の母国)。

(5) もちろん、このような共和党内部の内輪もめに批判的な意見もある。何が起ころうとトランプの岩盤支持者は変わらないだろうから、「プロジェクト」の影響力は小さい、と冷ややかに見る向きもある。

しかし、これから11月に向けて、ひょっとしたら「台風の眼」になるかもしれない、とNBCは今後も彼らの動きを注視していくようです。