コロナ禍にあって、養老孟司さんは「ひょうひょうと年を重ねる」

  1. 前回報告したPCトラブルの件では、幸いに身近の先生の助けでダイナブック

動くようになりました。

 世田谷区のワクチン接種の予約はネットか電話かで行います。お陰で私は、新しいPCを使って5月30日の予約ができました。

 しかし、この成功に過信したのか、妻の予約もしてやろうと余計な親切心を出して挑戦したところ、パスワードの入力に失敗しました。いちど入力ミスをすると、その訂正が厄介で、以後ログインができない状態です。

 かように、老人がデジタル時代に生きていくのはなかなかストレスがたまります。

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2.もちろんデジタル社会の利点も大きいです。

前回のフェイスブックで、PCダウンのためMasuiさんのコメントに返事ができず申し訳なく思っていたら、岡村さんが適切に対応してくださいました。お二人は面識がなくとも、ITを通して繋がるという面白い時代になりました。

 

 また、私のフェイスブック友達にはElio Ratto君というイタリア人がいますが、彼とは55年も昔、アメリカのテキサス州ダラスで一緒に学びました。その間旅行をしたり、よく遊びました。古い友人です。

 帰国してから彼はローマの銀行に勤めてアリタリア航空のスチュアーデスと結婚し、新婚旅行に日本にやってきました。我が家を訪れたときの写真もあります。

 以来音信普通になっていたのですが、お互いにフェイスブックに参加していることを「発見」して、また「友達」になりました。

デジタル時代では、こういうことがあるから面白いです。 

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3.古い友人といえば、悲しい話もあります。

4月の初めに妻と二人で長野県茅野市の田舎家に5泊しました。

帰京したところ、多くの留守電が入っていました。長い間ご無沙汰している小学校の同級生N君からで、「この度施設に入った。携帯電話の番号は~」という伝言が何回も入っています。

その中には朝早いのや夜遅く掛けてきたものもありました。

しかし指定の電話番号にかけると「今は使われていません」という応答でした。

電子メールを入れたところ「宛先不明」で戻ってきました。

最後の手段として、前の住所に手紙を出しました。

「ひょっとして転送してもらえるかもしれないと思って、一応出してみます」と書きました。

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  1. 数日して、若い女性の声でわが家に電話があり、「Nの娘です」と名乗られました。

幸いに以前の自宅は、お嬢さんが住んでいる。それで私の手紙を見て連絡をくれたものです。

 そして、「実は父は昨年末とつぜん認知症になりました」と告げられました。 

・まだ初期の症状ではあるものの、徐々に進行している。

・人によって症状は異なるようだが、彼の場合は四六時中携帯電話を離さず、知る限りの友人やかっての会社の同僚に電話する。

・今ではPCもやらず、本も読まず、テレビを見るのと携帯が何より大事になっており、取り上げようとしても応じないので困っている。

・時間の見境なくかけるので迷惑を被っている人も少なくなく、そろそろ使用できない状況にせざるを得ないと考えている。その時の本人の精神状態が心配ではある。

―――というような話でした。

留守電の回数が少し尋常ではないなと思っていただけに、驚きは少なく、むしろ悲しい気持ちでした。

 お嬢さんからは、「お留守で電話にお出になれなかったのは、かえってラッキーだったかもしれません」と言われました。

 電話が通じても、きちんと会話が通じるとは思えないとも。

 施設の住所も教えてもらったので、「いちど訪問して直接顔を見れば、昔のことを少しは思い出して会話が成り立つかもしれない」と訊いてみました。

しかしこのコロナ禍で来訪者は断っており、娘さんといえどもずっと会っていないという返事でした。

 このまま会えずに終わってしまう可能性が高いのかなと寂しく、昔を懐かしく思い出しています。

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5.4月16日の毎日新聞は、『バカの壁』の大ベストセラーで著名な解剖学者養老孟司さんを取材して、主として「老い」をテーマに記事にしています。

そして、83歳になる「ひょうひょうと、スマートに年を重ねる養老さん」と紹介します。

――「さっそく近況を尋ねてみた。1年以上続くコロナ禍で外出が制限され、昆虫採集や自然散策が好きな養老さんもつらい思いをしているのではないか、と。

 表情は暗くない。オンラインでしょっちゅう、虫好きの仲間と顔を合わせているという・・・」。

 しかし養老さんは同時に、デジタル化への批判も口にします。「技術には裏表が必ずあって、使い方次第です」、「向こう(機械)に勝手に基準があって、人間の居心地のいいようになっていない」と語ります。

ワクチン接種の予約に苦労しているだけに、ご指摘の通りと思いました。

PCダウンのこと・友人の絵を国立新美術館で見たこと

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  1. 我が家にも、「新型コロナウィルス接種券」が世田谷区役所から届きました。

75歳以上の対象者全員に4月27日までに届けるとあり、予約は28日からインターネットか電話で受け付ける、接種はまず区の施設から、連休明けから順次実施するといった内容です。

 「予約」は混雑しそうで、果たしていつ通じるかどうか。

 

  1. ネットの方が電話より早そうですが、実は私のパソコンは、最近ダウンしました。

 救助隊の長女の亭主が駆け付けてくれて応急処理をしてもらいましたが、「重症」で本日の土曜日再び自宅に来てくれて目下対応中です。

 ただし今後も不安が残るというので、ダイナブックの小さいPCをもう1台急遽購入し、初期設定など自分できないので、これもやってもらいました。

 ということで、いま彼がまだいますので今のうちに新しいPCでブログを書いてみようと1日早くアップしています。

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  1. パソコンは便利な機械ですが、一度トラブルと私のような技術音痴人間にはお手上げです。(1)そもそも、なぜ動かなくなったのか、理由が分からない。

 過去に一度だけはっきりした原因があって、お茶を飲みながら操作していて、誤って誤ってPCにこぼしてしまったことがあります。そのためハードディスクが破損して動かなくなり、メーカーの修理センターまで持参しました。

 こういう過失は反省して、以後気をつけるようにしています。

 

 (2)  しかし、今回を含めて他にもトラブルは何度も起きていますが、その原因が私には分かりません。従って、教訓を得ることがなく、再発防止ができず、これが悩みです。

 やはりPCは精密機械なので乱暴に扱ったりしないように、とはかねて注意されているのですが、どうも生来不注意で不器用なことも影響しているかもしれません。もっと優しく接する思いやりが必要かもしれません。

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(3)  それと、このコロナ禍で、PC君いささか働きすぎという事情も影響しているのではないか。皆様もそうでしょうが、ステイホームで、PCに向かう時間が格段に増え、一日のほとんどをさわっていると言っても過言でないかもしれません。

 とくに私の場合、スマホの小さいキーボードが苦手で、ほぼ100%、パソコンを頼りにします。

そして人に会う機会が減った分、メールの交信やネット検索が格段に増えました。おまけに、ZoomやLineなど新しい使用法も加わりました。

 これでは、我が愛するPC君もさすがに、「俺の使用者はブラック企業だ、過重労働だ」と悲鳴をあげてついにストライキを起こした、その気持も理解できるように思います。

  

(4) 働きすぎは、人間でもロボットでも機械でも、よくありません。

 PCは何と便利なものかと、このコロナ禍のなかで痛感しているだけに、いったん動かなくなるといささか禁断症状になってしまう、こんなことではよくないと反省もしました。

 PCへの感謝を忘れずに、時には少し休暇をあげる。こちらはその間は、昔通りに活字の本を読んだり、日記や手紙など手書きの文章を書く、そういう時間の過ごし方も大切だろう、と改めて感じました。

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4.それと、「不要不急の外出は自粛しろ」と言われて、その通りご指示に従わないといけない

けど、やはり人間は社会的動物、十分の注意をしつつ少しは外に出ることも大事ではないか。

 と思って、緊急事態宣言の直前の23日の金曜日は、六本木の国立新美術館に行って絵を見てきました。

(1)「光風会展」という公募の展覧会で、昔の職場の友人から「入選した」という案内を頂いた

ので、出掛けたものです。

 彼の絵は「吹雪く夕べ」と題して、「トリニティ・チャーチを真ん中にして、その他のビルをアレンジしたものです」という本人の説明です。

 色合いと画像が素敵です。眺めながら、絵には前景と人間の姿も大事だなと感じました。

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(2)「トリニティ」とは三位一体の神を指すそうですが、ニューヨーク市の南端、マンハッタンの

金融街に近く、ブロードウェイとウォール街の交差点に位置する、古い英国聖公会の教会です。 

ニューヨークの連邦準備銀行証券取引所もすぐ近くです。2001年の9.11同時多発テロで攻撃され倒壊した世界貿易センタービルも近くでした。

実は、昔私がこの友人と一緒に働いた銀行の建物も、教会のほぼ向い側にありました。

絵のお陰で、ニューヨーク勤務時代など懐かしく思い出すよい機会になり感謝しています。

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(3)公募ですから、素人の皆さんの絵が沢山出品されています。

 受賞作品の1つ「雪が降る」は、オーストリアのヴォルフガングという街の風景だそうです。「この光景を見て、何が何でもこれを描きたいと大事に大事に持って帰りました」と作者は語っています。

(4)会場にはけっこう人も出ていました。

私は、昨年1月から、映画館、音楽コンサート、美術館などまったく足を踏み入れていません。こういう建物の中に入るのは、コロナ後今回が初めてです。

久しぶりに、絵を愛する画家たちの力作を拝見して、気持ちよく美術館を後にしました。

いつも長いコメントを頂く岡村氏に敬意を表して

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  1. 前々回、東京の赤坂でお会いした京都人について書きました(3月末でしたが、良いタイミングで来られたと思います)。

 その中の一人、岡村さんを今回紹介したいと思います。ご本人の事前了解は得ていませんが、フェイスブックへのコメントからの紹介なので、お許しいただけるでしょう。

 いつも長文で面白いので、ご自身でブログか活字にしたら如何かとお薦めするのですが、そういうことには関心がないようです。

 自分からは発信しない。これもまた人間の矜持の一つかもしれません。

 

  1. 同氏は、祇園置屋の家に生まれ、若くして両親を亡くし、大学卒後長くひとりで海外を放浪し、帰国してからその経験を生かして旅行会社に勤務したと聞いています。祇園育ちのせいもあるのか女性に優しく、人気があって京都女性会の旅行の世話役を長く務めました。いまは祇園の町内会の会長をこれまた長くやっておられます。

 長野県茅野市出身の奥様を先年亡くされ、いまは猫と二人暮らし。私も茅野には縁があるので、亡くなられたときに小学校の恩師がはるばるお悔やみに上洛されたという話を聞いて心に残っています。信州人にはそういう義理堅い人が多いようです。

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  1. しかも東京についても私よりはるかに詳しく、今回の上京でも神田神保町の古い喫茶店「ラドリオ」に寄ったとか(昨年夏はたしか、これまた有名な「さぼうる」でした)、常磐新平愛用の寿司屋で食事したとか、帰洛のお土産には、「銀座たちばなのかりんとう」、新橋小川軒の「レーズンウィッチ」そして三越地下で「ジョアンのパン」を買ったとか、私のほとんど知らない名前が出てきます。

私の場合は東京の土産も喫茶店もあまり知りませんが、岡村さんの広い知識・行動力には感心します。

 

4.それでいて、祇園の知識・人脈や動静などに詳しいのは当然です。

 モルガンお雪の話を聞いた報告のなかで、「いま、礼儀作法がきちんと躾けられているのは花街ぐらいではないか」と書きました。

 早速、コメントを頂き、ある年上の元芸妓さんがいまの芸舞妓の礼儀の無さを嘆いていて、「私たちの頃は電信柱にもおじぎしたもんえ!」と言っていたとあり、思わず笑ってしまいました。

「とはいえ、訪れるお茶屋の女将は玄関先に出てこられると、膝を折って話される」とも書いておられ、いまもきちんとした作法が残っているでしょう。

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5.本もよく読んでおられて、アメリカの黒人問題を扱った本やアフリカの旅行記など幾つか教えて頂きました。

 逆に私が簡単な読後感を載せたカズオ・イシグロの最新作『クララとお日さま』も、上京時に「ラドリオ」で面白く読んだとありました。自分が面白いと思った本を同じように読んでもらえるのは嬉しいものです。

 本書はクララという、人間の友達になるために作られた知能の高いロボットが語り手の物語です。岡村さんはこう書きます。

――「AIロボットがショウウインドウ越しから眺めて、選んでくれる子供を待っている。その光景は日本のペットショップで見る仔犬や仔猫を想像します。

 イギリスでは仔犬等を店頭で売ることはない筈です。・・・捨てられた犬、それを保護する人もいます。その噂を聞いて捨てに来る人もいます。犬たちは捨てに来る人の車の音を聞きつけると迎えに来てくれたと思って外に飛び出すそうです・・・」  

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  1. 岡村さんの読み、すなわち,

・14歳の少女の親友ロボットになるために買われるクララと、ペットショップにいる仔犬とを結びつける。

・そして、クララを売ったお店の店長さんが、捨てられたクララを探して「置き場(yard)」にやってくる本書の最後の場面と、飼い主にいずれ飽きられて保護施設に引き取られる仔犬の運命とを結び付ける。

――こういう発想が私にはなかったので、この岡村さんの読みは新鮮で、想像力の拡がりに感心しました。想像力を持って読む、これが小説の最大の楽しみですね。

 イシグロはそのあたりを実に繊細に書いています。だから鈍感な私は気づかなかったのかもしれませんし、彼の「抑制された、哀切な」文章があらためて心に残ります。

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7.そういえば、先週の国際ニュースの「ニューヨーク情報」で、コロナ禍でペットを飼う人が急増していると伝えていました。

 アメリカでペットショップで売るのは、保護施設から引き取った犬猫が原則だが、不幸な目に遭っている事例も多いので、躾けが必要な場合も少なくない。従ってトレーナーが新しい飼い主に指導する必要があるそうで、そういう事例を報道していました。

 岡村んは、こうも書いておられます。

「イギリスのブリーダーは、一時期日本には仔犬を譲らないことがありました。環境をチェックしたり、飼い主も選んだそうです。店長さんが、最後までクララを気にかけていた気持はそういうことだろうなと思いました・・・」。

今年初めて蓼科で過ごし、「黙浴」と「黙食」をしました。

  1. 前回は、赤坂で、京言葉や祇園の芸妓だったモルガンお雪の話を聞いたことを記しました。京都から参加した講師他の皆さん、「東京は刺激になりますなあ」と言いながら、帰洛されたそうです。

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 私の方は、7日に「刺激的」な都会を離れて、長野県蓼科に移動しました。もっとも滞在中に東京でも「まん延防止~措置」が発動されたので、あわてて明日には帰京してしばらく謹慎するつもりです。

 ということで5泊6日の短期間ですが、昨年11月以来今年初めての山奥暮らしで、気分転換になりました。

 往路の途中、中央高速の釈迦堂というレストエリアには、花桃がいっぱい咲いている花園があって、ちょうど満開でした。花々も春の到来を喜んでいるようです。

 私ども夫婦は高齢者マークを付けた車の運転ですが、天気の良い昼間、できれば平日の空いている時間に走るようにしています。夜間や雨の日の運転は可能な限り避けます。高速道路でもスピードは出さす、追い越し車線に出ることもほとんどありません。

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2 蓼科の山奥は、まだ緑もほとんどなく、寒々としています。早速小鳥がやってきますが、人の姿は見かけず、静かなものです。

 街まで下りてスーパーに入ると多少は人に出会います。そろそろ田や畑の準備が始まる時期で、地元の農家の人々も畑に出ています。

 我々素人もじゃがいもの種イモを買います。今年も友人夫妻と野菜作りをやるつもりですが、老人はそろそろお引き取りで、長女夫婦の手助けがますます大事になってきました。

 種イモを買った足で、今年も利用させてもらう畑を見てきました。所有者がすでにきれいに耕してくれていて、有難いことです。

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3. 4月の初めは、東京だけでなく当地も温かかったようですが、その後、寒の戻りがあり、滞在中は寒かったです。好天には恵まれました。八ヶ岳はまだ雪が残っています。

 1回270円の市営の温泉に入り、馴染みの蕎麦屋にも入りました。

 東京だと外での会食は難しいですが、当地は少し気楽な気持で入れます。

 長野県は累計感染者は3千人強と東京の約40分の1です。かつ、長野市上田市など県北が多くクラスターも発生していますが、山梨に近い茅野・蓼科はきわめて少ないです。

 それでも、感染対策はもちろん厳重で、スーパーに入るときもマスク着用は当然の義務、温泉では連絡先を記入して、検温を受けます。「入浴中は会話を控えて黙浴しませんか」と書いた紙が浴場に貼ってあります。

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4.蕎麦屋でも、その点はきわめて気を遣っていました。

ここにも「黙食」というビラが貼ってあり、

「お食事中の会話が飛沫感染リスクになります。楽しいお食事のひとときをご提供できず大へん心苦しいのですが、当面はお食事中(ノーマスク時)の会話はお控えください」と書いてあります。

 当然の注意書きだなと思って、順守しつつ、妻と二人でそばがきともりそばを頂き、会話は控えて静かに食べ終えました。

 ここは、気分の良いところで、おかみさんも明るく、話も楽しいので普段なら燗酒をつけてもらい(帰路は妻の運転です)、「今年の桜はどう?」なんて会話を交わします。常連の中には私たちの友人もいて、「~さん、来られたけど、愛犬が死んじゃったって嘆いていましたよ」なんて最新情報をここで教えてもらうこともあります。

 ご夫婦でやってるカウンター席8人の小さな店ですから、たまには隣に座った知らないお客同士で話が弾んで、燗酒1本がつい2本、3本となることもありました。

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 5.食べ終わってご夫婦に礼を言い、「またお喋りの出来る日が来るといいですね」、「東京オリンピック、ほんとにやるんですか?」などほんの二言三言、言葉を交わして早々に蕎麦屋を出ました。

 それでも日本人は真面目ですから、こういうルールは皆、きちんと守ります。

 欧米人は、親しい仲間や家族や友人と会話を楽しむことが食事をすることと考えている人が多いでしょうね。会話をせず、黙々と食べる雰囲気には耐えられないのではないでしょうか。

その点、日本人は、ルールを守るという真面目さに加えて、食事中会話を楽しむことにそれほど重きをおかず、おいしいものを食べればいいという人たちが欧米より多いかもしれません。

まだコロナ禍の始まる前でも、外に食べに行って、近くの席に座った夫婦らしき二人がお互いに自分のスマホをいじりながら黙って食事している光景を見かけたこともありました。

 我が家は、食事どきも、飛沫を飛ばして喋ることに精力の半分は使う傾向があるだけに、会話を控えて外食するくらいなら家でいいやという気持になってしまいます。

 それだけに、これではこの時期、飲食店はますます大変だなあと、と余計気の毒に思います。

京言葉で話す大女将とモルガンお雪 のこと

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  1. 東京のソメイヨシノは散りはじめました。「散る桜 残る桜も散る桜」。

1週間前は満開で、3月27日、京都の客人を赤坂に迎え、私も陪席しました。

昨年8月末に下前講師による「床屋談義」と題する話があり、好評だったのでこの日に「続・床屋談義」が実施されたものです。

 今回は、下前講師は「京言葉」について。そのあと、祇園お茶屋「かとう」の大女将加藤裕子さんによる「モルガンお雪のこと」という、豪華二本立て公演でした。

 「イノダ」八重洲店からの出張による珈琲付きの企画です。

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2.まず、「京言葉」について。

(1)「考えときます」と言われたら、「脈がない」という断りの言葉で、それを旗幟鮮明に言わないのが真骨頂、そこから誤解も生まれる・・・・という事例をいろいろ教えて頂きました。

 誤解は昔もいまもあるようで、100年以上昔の有名な、夏目漱石祇園お茶屋「大友(だいとも)」の女将・お多佳さんとの「事件」の話もされました。

約束をすっぽかされたと怒る漱石の態度が、「京言葉を解せぬ、東男の野暮」として当時話題になったそうです。

1915年の3月上洛した漱石お茶屋でお多佳さんに会い、北野天満宮の梅見に誘う。

「暖かかったら」と返事をした彼女に当日電話したところ、「遠方へ行って晩でなければ帰らない」と言われて憤慨する。そんな出来事です。

 

(2)その漱石は、こんな句も詠みました。

――「木屋町に宿をとりて 川向こうのお多佳さんに」にと前書きがあって

   春の川を隔てて 男女(おとこおみな)かな」

 

(3) 彼女は、文芸芸妓として知られ、本もよく読み、歌や俳句をはじめ文章も書き、書画にも優れ、「大友」には谷崎純一郎など文人が多く集まりました。いま、白川沿いに吉井勇の「かにかくに 祇園は恋し 寝るときも 枕の下を 水の流る」の歌碑が立っている、そのあたりにかつて「大友」があり、戦争中の強制疎開で取り壊されたそうです。

これらは、当日やはり京都から来られた飯島さんにお借りした、『祇園の女、文芸芸妓磯田多佳』(杉田博明、中公文文庫)から知りました。

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  1. 「京言葉」は女性の口から出ると、何とも柔らかくていいものだと、加藤裕子さんの話を聞きながら思いました。

「人前でお話しするのは、気恥ずかしおす―――」とか、

「おっ師匠さんのいわはることは、ちゃんと聞くのどすえ」と言った言い回しです。

 

(1)モルガンお雪は、文芸芸妓お多佳さんの2歳下、ほぼ同世代です。

加藤さん&下前さんの大叔母にあたります。

祇園巽橋の近くにあるお茶屋「かとう」は明治から続く老舗だそうで、お雪さんの姉が始めました。

 

(2)お雪さんは1895年14歳で、ここから芸妓になります。

そして20歳のとき、古美術収集と観光で日本に来たジョージ・デニソン・モルガン(あの大財閥J.P.モルガンの甥)に見初められて結婚(「日本のシンデレラ」と大ニュースになった)。

(3) 短いニューヨーク生活のあとパリに移るが、数年で夫が客死(彼44歳ユキ34歳)、 南仏のニースに住むが、戦争の危険が高まり、1938年57歳のときに30数年ぶりに帰国した。

戦争中、戦後の苦難の時期にずっと京都に暮らし、25年の日本暮らしを経て1963年82歳でテレジア・ユキ・モルガンとして死去。生前カトリック衣笠教会の聖堂を寄進した。

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  1. 以下は主に、下前さんに昔お借りした『モルガンお雪、愛に生き信に死す』(小坂井澄、講談社1975年)からの知識です。

(1) 海外では、短いながらも夫とのNYやパリでの華やかな日々、そしてその後の南仏での穏やかな暮らしがあった。家庭教師と合奏でチェロを弾く写真も残っています。


(2) そんな彼女にとって、30年ぶりの日本・日本人はどう写ったか?帰国直後、吉屋信子がインタビューし、雑誌「主婦の友」に「モルガンお雪さんと語る」と題して掲載した文章によると、おぼつかない日本語でこんな応答をしたそうである
 「フランス、ヒトノコト、カマイマセン。ニホン、アマリ、ヒトノコト、サワギスギマス」。

帰国しても、日本語もおぼつかなく、すぐにフランス語が出てしまう日々が続いた。しかし、京都で,親族やフランス人の神父と親しく付き合い、穏やかに亡くなったという。まだ幼かった「かとう」の大女将は、優しかった大叔母を覚えていると言います。

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5.講師の二人から、久しぶりに京都の話を聞きました。

飯島さんからは、『祇園の女』を借りました。

祇園町会長の岡村さんは、帰洛後フェイスブックに舞妓さんの話を書いてくれました。16歳の「仕込みさん」(こういう言葉も初めて知りました)が、「小さくてもいっぱしの挨拶をするのです」。人に接するときの作法や言葉は京都の花街にはまだ残っているのだろうな、「よろしおすな」と思いました。

久しぶりに京都の雰囲気に溢れた贅沢な時間でした。 

京都上賀茂神社の曲水の宴と入選した友人の短歌

  1. 京都にはもう1年以上ご無沙汰しています。

残念に思っていたら、大勢の京都人が下洛してこられました。

昨年の8月、赤坂で下前さんの「床屋談義」と題する講演会があり、好評だったのでその2回目が同じ場所で昨日開かれ、私も何を措いても出席しました。東京は桜満開でした。

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  1. その報告はまずはご本人のブログに譲るとして、私の今回は京都上賀茂神社での「曲水の宴」と短歌の話です。

 曲水の宴とは、平安貴族の優雅な催しで、流れに添って歌を一首詠んで、それを小川に流し、お酒を一献頂くという優雅な趣向。

 これをいまも伝える人たちが京都にいて、毎年4月に上賀茂神社で開かれます。この日詠まれる歌は、一般からも募集します。

 実は2019年には、職場で同期だった某君が応募して、見事に第1位(天)の最優秀作品に選ばれました。

 このときのお題は「山吹」。彼の歌は、

――児を抱きて 撮りし写真の背景に 今なほ眩し 山吹の黄はーー

 選者は永田和弘氏。そして彼は当日の「宴」に永田氏などプロとともに家人として招かれ、袍(ほう)という公式の装束に身をつつみ、式典に参加して、歌を詠み、小川に流しました。地元のテレビでも放映されました。

 大した偉業で、友人にかかる文化人がいるとは誇らしいことです。彼は、そのことは「光栄で嬉しいが、同時にこういう古い文化を継承する試みが、いかにボランティアや寄付をやり繰りしながら守られているかを痛感した」と語ってくれました。

f:id:ksen:20190419075005j:plain3. ここまでは以前のブログで報告ずみなのですが、今回はその続きです。

(1)今年はコロナのせいで行事そのものは中止になりました。

しかし「短歌」の一般応募は実施したそうで、彼が今回応募した作品は、第2位の「地」に選ばれたというメールを貰いました。

お題は「春の雪」。彼の歌は、

――春の雪 消残る(けのこる)街を父とゆき 戦災孤児の 視線にすくみき ――

 

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(2) 本人の弁は、「下の句が今ひとつで、全体が詩でなく、説明文になったと思う」とあり、「短歌は短い形式なので、なんでも表現できるというものではない。今回はちょっと無理だったかな」と反省していました。

それにしても、私のような短歌を作ったことのない野暮な人間からすれば、「第2位」だって立派なもので敬服します。それと、あの悲惨な戦争を多少は記憶する私としては、心に残りました。

 

  1. ということで、最後に私のメールと彼からの返事を紹介します。

私から ――「おめでとうございます。とても良い歌だなと思いました。選者の永田和弘氏好みの歌ではないでしょうか。

 父と歩いているおそらく同世代の少年の姿を、戦災孤児が見つめている。幼い作者はその視線を痛みとともに意識している。その感性が光り、光景00が胸にやきつきます。

 私は、昭和20年6歳で父を失い、あちこち転々として東京に戻ったのは戦後4年目でした。従って自身は「戦災孤児」の姿を見た記憶はありません。ただ、父親と一緒に歩いている同じ年ごろの子どもを見たら複雑な思いを抱いただろうなとは思い、この句の情景がよくわかります。

当時であれば、上野の地下道あたりでの出会いだったでしょうか。それにしても、我々の下の世代には言葉もイメ―ジも想像つかないかもしれませんね」。――

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  1. 以下は、彼からの返事です。

――おっしゃる通り、終戦間もない頃の上野の地下道での記憶に基づいて、一首を試みたものです。

 昭和20年3月10日早暁、深川区新大橋八名川で空襲を受けました、父は在郷軍人でしたから、空襲が始まると家族を置いて持ち場に駆けつけ、業火の中、母が僕(6歳)、妹(3歳)の手を引き、弟(5ヶ月)を負ぶって逃げ惑いました。人波というか人混みというか、ただ押され押されて、池と樹木のある清澄庭園になだれ込んで、幸い奇跡的に生き延びました。さらに昼頃、あの世から僕の名を呼ぶような声を耳にして首を巡らすと、盲目の人を抱えて我々を探している父に出会いました。第二の奇跡です。父は父で、猛火を逃れて大川(隅田川)に飛び込み、近くで溺れている人を助けながら一夜を過ごしたそうでした。

 

 今回の拙詠はその頃のある日の記憶です。通り過ぎる人々にとりすがって物を乞う少年たちが父と一緒の僕を見ると、睨むように見つめるばかりで近寄ってきません、子供ながらに、自分だけが親といることに罪を負っているような、いてもいられない気持ちを持ちました。あの射るような目、目、目を忘れることはありません」――

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  1. 前回、イシグロの『クララとお日さま』を紹介し、小説は想像力で読むと思う、と書きました。

 短い定型詩では、小説以上に想像力が必要でしょう。

 そして、その力を育むには記憶と知識(=記録)が大事だとすれば、戦災孤児の記憶も知識も持たない世代がほとんどの日本人になったいま、この歌を詠んだ作者の想いを想像しろと言っても無理かもしれない。難しい問題だと思います。

 

カズオ・イシグロの『クララとお日さま(Klara and the Sun)』

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  1. 前回、ドラえもんが大好きだと言う、駒場小学校1年生スズメ君の話をしました。

それで思い出したのが、8年前、母校の中学の入学試験に出た理科の問題です。

――「いまから99年後に誕生する予定のネコ型ロボット『ドラえもん』はすぐれた技術で作られていても、生物として認められることはありません。それはなぜですか?理由を答えなさい」――

この問題は、いろんな回答があってもよい、柔軟な思考力を試す出題を中学が出したと言われて、かなり話題になりました。

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  1. いま読書界では、「クララ」と言う女の子の姿と名前をもつ、やはりAI付きロボットを語り手&主人公にしたカズオ・イシグロの『クララとお日さま(Klara and the Sun)』が話題です。

この2つを比較してみると、

(1)クララは、ネコ型ではなく、外見は人間と変わらない。

(2)どちらも、人間の言うことを理解し、話し、読み書きも自由にできる。

(3)クララは、太陽光で生きる。ドラえもんがどら焼きを大好きなのは有名だが、ほかに何をエネルギーにしているかは不明。

(4) クララは、ドラえもんのような超能力(時空を自由に旅したり、万能な道具を取り出したり)は持たない。しかし、人間以上に高い知性をもち、とりわけ観察力と学習能力に優れる。

(5) 役割は似ている。二つとも、人間の相手をし、助ける存在である。

(6) そして最後に、上述した中学入試の理科の問題に戻ると、クララも生物ではない。従って遺伝子を持っていないから、再生能力はない。

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3,ということで、以下はカズオ・イシグロの最新作についてです。

 

(1)彼は長崎生まれ。海洋学者の父が英国に赴任し、家族を帯同し、彼も5歳のときに同行した。そのまま英国に住み、国籍も取得し、小説を書き、『日の名残り』『私を離さないで』などで高い評価を受けて、2017年ノーベル文学賞を受賞。

(2)『クララとお日さま(Klara and the Sun)』は、受賞後第1作。ニューヨーク・タイムズなど英米の新聞4紙に載った書評を電子版で読んだが、概して好評です。

ロスアンゼルス・タイムス紙は、「愛と無私と祈りについての物語で、彼の最上の作品の1つ」と絶賛しました。

 

(3)本書は、主人公であるAIロボットが注目されています。

しかし実はそのことよりも、ロボットの眼で人間と社会を見つめ、理解しようとする、その着想が物語の魅力だと思います。

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(4)近未来のアメリカの地方都市が舞台らしい。語り手であるロボットのクララ=「私」は、AF(友達ロボット、Artificial Friend)を求める人たち用の「商品」として製造された。

「私」は、お店の売り場でジョジーという14歳の女の子に気に入られて、彼女の家に住むようになる。ジョジーは母親と家政婦と郊外の家に暮らしている。「私」の役割は彼女と仲良くなり、かつ病弱なジョジーの健康に気を配ることである。

 

4.という具合に物語が進んでいきます。

(1)イシグロの小説はいつもそうですが、決して「説明」や「答え」を提示しません。

読者も、クララの体験や会話を通して答えを見つけようとします。それには想像力が必要であり、小説を読む楽しみはここにある、と今更のように痛感します。

 

(2) クララはほとんど白紙の状態から「人間」とは何か?を考えていきます。

彼らが、寂しさや幸福感や愛や、憎しみや怒りや、さまざまな感情を関係性のなかで紡いでいく様を学びます。「人間には心があると思うか?」とジョジーの父(母とは離婚した)から訊かれます。       

自らも、人間的な感情を抱くようになり、ジョジーが健康になるために自分がどう助けられるかを考えるようになります。

(3) そして、生きるとは他者との関係性に生きることであり、そこに愛やいさかいが生まれるが、その中で大切なのは他者とともに育んだ「記憶」であると理解していきます。

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5.読んでいて、これはイシグロ自身の経験も投影されていると感じました。

(1) 本書には「in memory of my mother, Shizuko Ishiguro」という献辞があり、 2019年に92歳で他界した母親に捧げられています。彼女は長崎で生まれ、被爆もしました。 

1959年、33歳だった彼女は、「夫の一時期の転勤で、何れは日本に帰国する」つもりで住み始め、結局英国に永住して生涯を終えました。

身近に日本人もいない地方都市で、言葉も文化も風習も気質も異なる英国人の中で暮らしていく、それはクララが「人間」を知っていく過程と似ていたのではなかったでしょうか。

 

(2) イシグロ自身、家では母と日本語で話しながら、一歩外に出れば見知らぬ人々や言葉に出あう。持ち前のしなやかな知性と感性を働かせる。その過程で孤独も感じたでしょう。そして家に帰れば、同じように孤独を抱えつつ、「人間世界」を理解し、溶け込んでいこうと努力する母がいる。

そう思って読むと、彼が本書に「母を偲びつつ」と書き、深い愛情と追憶をもって母に捧げた気持がよく理解できるように思われます。