タイム誌「大谷選手は“ミスター・エブリシング”」と、友人の絵

  1. 前回は,タイム誌の表紙になった大谷翔平選手の写真を載せました。以下、記事の一部をご紹介します。

(1)「すべてを備えた男(Mr.Everything)」と題する記事で、まずは「昨シーズン彼は、米大リーグの歴史で今まで誰も見たことがないことを成し遂げた」と評価します。

投げて・打って・走って、それぞれに素晴らしい実績をあげた。

比べられるのは100年前のベーブ・ルースだが、彼は比較的早く投手をやめたし、脚が速かったとは誰も言わない。

(2)その結果、大谷の存在によってアメリカの国民的スポーツである野球が蘇った。彼が再生させたのだ。

 いま野球は人気をバスケット・ボールフットボールの下位に甘んじている。試合時間が長い・遅い・マンネリなどがその理由に指摘される。少年野球のチーム数も減っている。

 そこに来て、ショウヘイ・オータニの出現である。野球場では相手チームを応援する観客でも、彼に声援を送る。韓国や台湾でも抜群の人気度である。

 

(3)さらに、

エンゼルスのジェネラル・マネージャーは、「彼は、”really, really intelligent”」と語る。「物事を素早く把握し、修正できる。彼の“気付く力(awareness)”はレベルが違う」。

・記事は、「大谷はマドン監督と同じく、「野球のリベラルアーツ・スクールの卒業生である」と言います。「彼は、好投手&強打者であるだけでなく、“small ball (機動力や小技を重視する戦略)”を愛する。一試合に二塁と三塁と両方盗塁したこともあるように」。

この、「野球のリベラルアーツ・スクール」という表現を面白いと思いました。

(4)大谷自身はタイム誌にどう語ったか?

――「単年度の成績よりも、続けることをもっと大事にしています。だから、今シーズンはとても重要です」

 そして「今シーズン、チームがプレイオフに出たいし、ワールド・シリーズで優勝したい」と夢を語ります。

  1. 話は変わりますが、連休前の好天の日、六本木の国立新美術館まで出向きました。

(1)ここは日本最大の美術館で、自らのコレクションを持たず、様々な展覧会の同時開催が特徴です。いまはニューヨーク(NY)のメトロポリタン美術館展がメインです。

 

(2)私が行ったのは同時開催の一つ、「光風会展」という公募展で、昔の職場の友人S君から、「昨年に続いて入選した」と案内状を頂いたので、観に行きました。

100号の大作の出品が多く、これらが並んでいる光景は壮観です。

彼の絵もやはり大作で、立派なものです。

(3) 昨年の入選作は「吹雪く夕べ」と題して、NYのマンハッタン南端にある歴史の古いトリニティ教会に雪が舞う様を描いたものでした。

  今年は、「収まりゆく吹雪」と題して、パリのエッフェル塔に、止みつつある雪の景色です。

(4) 観ていて、フランスの画家クロ―ド・モネの「ルーアン大聖堂」連作を思い出しました。

モネは1892年から94年にかけて、この大聖堂の、日により、時間により、天候により、光の加減によって変わる姿を合計30枚描きました。

 作品は全世界の美術館に散在していますが、1990年、ロンドンの王立芸術院で、すべてを集めた特別展覧会が開かれました。実に圧巻で、そのとき買い求めた画集は今も時々眺めます。

  

(5)S君の2枚の絵は教会とエッフェル塔の二つが題材で、対象は異なりますが、柔らかな色調は同じで、連作のように見えます。

但し、昨年は雪が「吹雪く」真っ最中の画像なのに比して、今年は吹雪が「収まりゆく」姿です。

 悲惨なウクライナの戦争も一刻も早く「収まってほしい」と,誰もが願っていることでしょう。

ジョン・デンバー「カントリーロード」とカイン・リー「美しい昔」

  1. 新緑が美しい季節です。東大駒場キャンパスの銀杏も葉が出ました。学生姿が増えました。

キャンパス内を散歩しながら、前回のブログで頂いた、皆様のコメントを思い出しています。

まず岡田さんから、諏訪湖畔の「タケヤ味噌」という明治5年創業の老舗企業を紹介して頂きました。経営者とは、大学で一緒だったそうです。地方の優良企業。味噌会館という、販売・展示・カフェなどを併設していて、面白そうです。

タケヤ味噌会館 | タケヤを知る | タケヤみそ (takeya-miso.co.jp)

 

  1. 岡村さんは奥様が信州茅野市の出身です。

ご結婚のとき、「花嫁道具を納めたトラックに乗って、京都まで一緒に来られた叔父さんが、祇園の家の前で大声で木遣りを歌ってくれた」そうです。いい思い出ですね。

 

3.御柱祭で唄う木遣りの「奥山の大木、里におりて神になるよ」という一節を紹介しました。

田中さんは、「神々への畏怖」が私たちの「悪」の抑制につながってほしいという願いを、

Masuiさんは、「美しい自然も伝統も平和があればこそ」と、

それぞれ書いて下さいました。

 福沢諭吉の言葉を思い出しました。彼は言います。

「人間のごとき、無智無力、見るかげもなくウジ虫同様の小動物にして、(略)たちまち消えてあとなきのみ。」

 しかしながら、「すでにこの世界に生まれ出たる上は、ウジ虫ながらも相応の覚悟なきを得ず」

 「その覚悟とは何ぞや。人生本来戯れ(たわむれ)と知りながら、この一場の戯れを戯れとせずして、あたかも真面目に勤め、(略)生涯一点の過失なからんことに心がくるこそ、ウジ虫の本分なれ。」

(「福翁百話」から)

 

――「この身は、無智無力なウジ虫同様の存在」と自覚することから、「畏怖」が生まれ、「謙虚」になり、「他者への寛容と平和」も生まれるのではないでしょうか。

4.中島さんは、アメリカのフォークシンガー・ジョン・デンバーの歌「カントリーロード」を思い起したそうです。

カントリーロード 原曲の歌詞と意味・日本語訳 (worldfolksong.com)

私も大好きな曲です。大昔、米国勤務中に、休暇を取ってこのあたりを車で走りましたが、「田舎道よ、懐かしい故郷ウエスト・バージニアに私を連れてっておくれ♪」のリフレインを歌いながら運転したものです。

 いまも八ヶ岳を眺めながら走る「カントリーロード」で、この歌を口ずさむことがあります。

 

5.岡村さんからは、若い頃、アメリカ南西部をリュックを背負ってジョン・デンバーの「陽の光を背中に受けて」を口ずさみながら歩いたと書いて下さいました。

それぞれに、その時々の自分の姿と重なる「歌」があるのでしょう。

 

6.彼はいま、ベトナム戦争時の回想記を読み返しておられます。

 ウクライナの戦争を思いながら、そして、ベトナムの歌曲、カイン・リーの「美しい昔」を聞きながらの読書のようです。

(45) 美しい昔 ( 雨に消えたあなた ) / カイン・リー - YouTube

 お陰で私も、『サイゴンのいちばん長い日』(近藤紘一、文春文庫)
と『ライカでグッドバイ、カメラマン沢田教一が撃たれた日』(青木冨喜子、ちくま文庫)の2冊を読み始めたところです。

 前者は「サイゴン陥落を目撃した日本人特派員が鮮やかに描く衝撃の人間ドラマ」、後者は「ベトナム戦争の写真報道でピュリツァー賞に輝き、一躍世界に名を知られ、やがて34歳の若さで散った“日本のキャパ”沢田教一の生涯」、とオビにあります。

7.最後に、明るい話題を一つ。

ご存知の方も多いでしょうが、米国TIME誌の最新号(4月25~5月2日号)の表紙を大谷翔平選手が飾り、「翔平ショーが始まる(It’s Sho-time)」と題して、4頁の特集記事を載せています。今回は写真だけの紹介です。

 

今年初めての蓼科と御柱(おんばしら)祭

  1. 4月上旬は初夏のように温かな日が6日ほど続き、今年初めて老夫婦で蓼科に滞在しました。今回は、素人写真と滞在報告です。

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  1. 家まで中央高速経由で約180キロ、妻と交代で、時速85キロ前後の慎重運転を心掛けたつもりです。

  途中、山梨県にある釈迦堂パーキングエリアに隣接して花桃の園があり、この時期満開になることが多いので立ち寄ります。

 花を眺めて散策し、売店で山菜のこごみを求め、夕食にてんぷらを頂きました。

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  1. 昼過ぎに到着、日中は暖かですが、八ヶ岳はまだ雪が残り、庭の木々も枯れたままです。

 今年の冬は厳しかったそうで、我が家のあたりも普段より多く30~40センチの雪が積もり、気温も零下15度の日があったと聞きました。

 滞在中は暖かでしたが、朝夕は冷えるので、夕方から早朝まで、まきストーブを焚いて過ごしました。薪の火を眺めるのもいいものです。

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  1. 今年は、2016年以来6年に1度の、「奇祭」と呼ばれる諏訪大社御柱祭りの年です。

(1)諏訪大社は、上社(前宮・本宮)下社(春宮・本宮)の四社からなる、珍しい祭祀形態をとっています。

(2)祭りは、諏訪市茅野市にあるこれら社殿の四隅に、「御柱」と呼ばれる樹齢約200年の樅(もみ)の巨木を建て替える、最大の神事です。

 

(3)重さ10トンもある巨木16本を山から里に曳きだす4月の「山出し」から始まります。

男衆を乗せて19メートルの急な坂を一気に落ちる祭最大の見せ場,勇壮・豪快な「木落し」を経て、木遣りに合わせて人力のみで、いったん安置する置場まで運びます。

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(4)そして5月は「里曳き」です。

市街地を曳行して、最後に上社と下社の社殿の四隅に曳建てる「建御柱」の神事で終わります。     

(5)これらすべてが約20万人の諏訪・茅野一帯の氏子たちの中から、奉仕活動で行われます。

 

滞在中に、下社の「山出し」がありました。しかし、今年はコロナのため、「木落し」は中止されました。いつもは3日間かけて行われる「山出し」も、トレーラーによる曳行という、寂しいものになりました。

    それでも、1200年以上続く歴史的行事に参加する氏子たちにとっては、胸躍る出来事でしょう。「かつて諏訪の人々は、7年目の聖なる年には、結婚も家を建て替えることも控えた。すべてを祭に捧げた」と史書にあります。

 

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  1. 長野県のコロナ感染者数は一向に減っておらず、祭も感染対策に気を遣っての実施です。

 私たち余所者も、買い物や市営の温泉につかり、外食もしましたが、人に会うのはなるべく避けました。

しかし田舎にもPCは持参し、インターネットも繋がりますので便利です。

 

(1)英国にいる娘一家ともフェイスタイムで孫の元気な顔を見ながら、対話も出来ました。

(2)ウクライナの悲惨な状況も逐次目にしました。

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  1. 前回のブログに、宇治の田中さんが、「日本の神様は平和主義で、戦争がそもそも嫌いでした~」というご友人の言葉を紹介して下さいました。

拝読して、御柱祭のことを思いました。

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 祭の中で木遣りが唄われますが、「奥山の大木、里におりて神となるよ」という文句があり、御柱祭が「巨木に宿る神の力を7年毎によみがえらせる」行事であることを示します。

 また諏訪大社は、4社のうち3つは、拝殿のみで本殿がない。何を拝んでいるのかというと、拝殿の向こうにある山や樹木や岩石を拝んでいる。

 このような土着信仰(ミシャグチと呼ばれる精霊神を信じる)は「縄文時代に起源をもつ」と考える学者が多くいます。そして、その後の出雲の神々と融合し、共存していった。御柱祭はそんな神話と土着信仰をいまも残すものである・・・・。

 

「日本の神様は平和主義」という、頂いた言葉から、神話時代の神々と信仰する人たちのことを思い浮かべました。

 

ETV特集「ウクライナ侵攻、海外の知性に聞く」

  1. 前回、「今年ばかりは墨染めに咲け」という古歌を紹介しました。

 藤野さんから「京都の墨染寺(ぼくせんじ)に、この歌に因む墨染桜がある」という情報を頂きました。岡村さんはこのお寺に行って撮った写真を載せて下さいました。

 お二人のご親切に感謝です。

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  1. その間にも、プーチンの戦争の残虐がますます明らかになってきました。

先週見たテレビ番組で、スベトラーナ・アレクシェービッチは、「朝起きてから報道や映像を見続けている。ウクライナの年老いた女性の姿に、幼いとき一番愛した祖母の姿を見てしまう」と語りました。

著書『戦争は女の顔をしていない』で知られる彼女は、ウクライナ人を母、ベラルーシ人を父として、いまはドイツに住む、2015年ノーベル賞受賞作家です。

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3.テレビ番組は 4月2日(土)放映された、NHKETV特集 「ウクライナ侵攻、私たちは何を目撃しているのか、海外の知性に聞く」です。

 

「海外の知性」とは、彼女の他、ジャック・アタリ(経済学者・思想家)、イアン・ブレマー(国際政治学者)の二人です。

聞き手は、NHK解説委員の道傳愛子さん。

今回は、彼らの言葉を少しご紹介します。

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4.まずアレクシェービッチ

 

(1)「この戦争は、21世紀のもっとも恐ろしい犯罪として歴史に残るでしょう」

(2)「戦争を始めるのは、普通の人々ではなく、いつも政治家たちです」

(3)「和解を見出すことが出来るだろうか?」という問いに対して、

「難しい問題です。でも、救ってくれるのは愛だけ。憎しみでは救われません」

(4)「しかしその前に、ウクライナが勝って初めて、民主主義が旧ソ連各地でチャンスを得るのです」

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5.次に、ジャック・アタリ(パリ)。

(1) 「全体主義体制の国々が民主主義に向かわない限り、これからも私たちは戦争の危機にあります」。

(2)「忘れてならないのは、民主主義の国家間で戦争は一度も起きていない、ということです」

(3) 「ですから、ロシアや中国の人たちに、民主主義へシフトすることが最善策だと理解させることが大事です」

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6.イアン・ブレマー(NY)

(1) 「今回の侵攻の責任は100%ロシア大統領にあります。彼は毎日のように戦争犯罪をおかしています」

(2)「しかし西側諸国の数十年にわたる過ちの積み重ねについても理解すべきです」

(3)「そして、あまりにも長い間、市民の多くが受け身でありすぎました。

このような危機の時代、あなたに発信する場があるなら、声をあげるべきです」。

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7.道傳さんの締めの言葉は、

――「3人の話から見えてきたことは、

ソビエト崩壊から30年の無関心と不作為の積み重ねでした。

時計の針を戻すことはかなわない絶望の中で、それでも希望は、私たちが語り続け、行動することにあると、アレクシェービッチさんは語りました」。

 

8.(1)以上3人の「知性」の言葉には、「こんな理想論では世界は変えられない」と批判があるかもしれません。

(2)しかし3人とも、何をおいても「ウクライナが勝つこと」の重要さを共有している、勝利があってこその理想論なのだと、私は受け取りました。

 素人の私には、ウクライナが軍事大国ロシアに勝つとはとても思えないのですが、3人は決して希望を捨てていないのです。

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(3)そして、英エコノミスト誌4月2日号は、

地下壕のゼレンスキー大統領に面談し、彼が「なぜウクライナが勝利しなければならないのか」を語ったことを伝えます。

ウクライナの「自由と民主主義」を確固とするための戦いであり、それは必ずや欧州の、(ロシアを含む)全世界の平和に貢献するからだ。

そして同誌は、彼に賛同し、勝利のためには欧米のさらなる支援が必須だと訴え、独仏はもっと支援に本腰を入れるべきだと批判します。

 

(4)たとえ血まみれの戦いであっても、勝利の女神は最後には彼に微笑んでくれるでしょうか。

「今年ばかりは墨染に咲け」(古今和歌集)

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  1. 4月最初のブログです。3月は4回すべてウクライナ関連になりました。コメントもいろいろ頂きました。

京都の岡村さんはこの戦争に、若い頃旅をしたベトナムを思いだすようです。

ベトナム戦争を取り上げた『サイゴンから来た妻と娘』(近藤紘一)や『ライカでグッドバイ、カメラマン沢田教一が撃たれた日』(青木冨喜子)を再読したと書いてくださいました。

この時期にこういう気持ち、わかるような気がします。後者は未読だったので、早速購入したところです。

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  1. 桜の花は,短い命。我が家の桜も楽しんでいたら、あっという間に散り始めました。老人夫婦には掃除がたいへんです。

       ――散る桜 残る桜も 散る桜――

 

 出かけることも多く、友人と二人で国会図書館に出掛け、途次の桜を楽しみ、世田谷の趣味を同じくする四人で花見をしながら喫茶店でお喋りをし、長く途絶えていた友人夫婦との麻雀も復活しました。

 

  1. 茶店でのお喋りでは、ウクライナの他、読書も話題になりました。

 その一人が、『月夜の森の梟(ふくろう)』(小池真理子朝日新聞出版、2021年11月)という本を貸してくれました。今回はこの本の話です。

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4.小池真理子の夫・藤田宣永(よしなが)は、2020年1月、肺がんのため69歳で死去。

(1) 2歳年下の妻は、同年6月から1年強、朝日新聞に追悼のエッセイを連載、これが本になりました。

私はこの二人、名前も知らなかったのですが、ともに人気作家、おまけにともに直木賞受賞です。

 

(2)亡き夫への想いを主に、父母の死にも触れた、心に響く短いエッセイが50篇。 

連載中から評判になり、読者から千通にのぼる反響があった由。

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(3)「悲しみに埋もれるような本ではない。小説家をめざして一つ屋根の下で原稿に向かった若き頃、(略)懐かしい日々を思い出し、穏やかな現在を見つめる。夫の病の深刻さを知り、絶望して泣きながら、ずるずるとカップラーメンをすする場面が印象的だ」とは朝日新聞の紹介です。

 

(4) おそらく自分からは手にしないだろう作者の本で、人に勧められて読むのも悪くないなと思いました。

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5.貸してくれた方からは、「読んでほしい、そして夫婦二人の感想と、どれがよかったか教えてほしい」と言われました。いままで5人の友人に読んでもらったが、それぞれ良いと思う箇所が違っていたそうです。

 

6. 50篇、それぞれ良い文章ですが、桜の季節に読んだせいもあり、私は、

――「昨年の年明け、衰弱が始まった夫を前にした主治医から「残念ですが」と言われた。「桜の花が咲くころまで、でしょう」と。

 以来、私は桜の花が嫌いになった。・・・・」――

という箇所が心に残りました。

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7.そして、よく知られた、古今和歌集にある

――深草の野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは墨染めに咲け

(~もしも心があるならば、どうか今年だけは墨染めの色に咲いておくれ)――

を思い出しました。

 

 紫式部は『源氏物語』で、この歌の一節「今年ばかりは」を二度にわたって引用(引き歌)します。

 一度は、源氏が慕ってやまず、ついに不義にまでいたる、桐壺帝の中宮藤壺の死を嘆く場面。源氏は、住まいである二条院の桜を見て、藤壺との「花の宴」を思い出し、「今年ばかりは」と独り言を言って、終日念誦堂に入って泣き暮らした。(薄雲の巻)

 もう一つは、源氏の息子夕霧です。親友である柏木の死を悼み、柏木の妻「落葉の宮」の住まいを悔やみに訪れ、庭の桜を見てやはりこの歌を思い出して、“「今年ばかりは」とうちおぼゆるも”、と引用されます(柏木の巻)。

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 作者の上野岑雄(かんつけのみねを)はこの歌一首が採られているだけで、著名な歌人ではありません。紫式部がこの歌を世に知らしめたということもあるかもしれません。

いまのウクライナを思い起こす、トクヴィルとヴァイニング夫人の言葉

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1.ウクライナの戦争を思い、以前に読んだ本の一節を思い出しています。今回はその中から、2つご紹介します。

 

2.一つは、『アメリカのデモクラシー』(トクヴィル、松本礼二訳、岩波文庫)にある文章です。

 

(1) アレクシス・ド・トクヴィルは19世紀半ばのフランスの政治思想家・政治家。

25歳のときの1831年、ジャクソン大統領時代の,独立して55年しか経たない若いアメリカを旅し、帰国後、35年に本書の第1巻、40年に第2巻を刊行しました。

 

(2)著者自ら「アメリカは額縁に過ぎない。主題はデモクラシーである」と言うように、以来本書は、近代民主主義思想を語るときに欠かせない古典になっています。

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(3)そしてトクヴィルは、本書で、「米国とロシアが他のすべての国を圧倒しさるであろうと予言した」と言われます。以下の箇所です。(岩波文庫第1巻(下)の「結び」)。

   

―「目的の達成のために、前者(アメリカ人)は私人の利益に訴え、個人が力を揮い、理性を働かせるのに任せ、指令はしない。

  後者(ロシア人)は、いわば社会の全権を一人の男に集中させる。

  一方の主な行動手段は自由であり、他方のそれは隷従である。

  両者の出発点は異なり、たどる道筋も分かれる。にもかかわらず、どちらも(略)いつの日か世界の半分の運命を手中に収めることになるように思われる」。

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3.本書が書かれたのは180年以上昔、まだ革命前の帝政ロシアです。

(1)しかし、戦後、米ソ対立を予言する言葉として知られました。

(2)その後、冷戦の終結とともに、忘れられました。

(3)それがいま、再び不気味な予言が蘇ってきたのでしょうか。

(4)それとも、「プーチンは自壊に向かいつつある」(藤原帰一教授)」「武力を頼む国は自滅する」(加藤陽子教授)となるでしょうか。仮にそうなったとしても、それまでにどれだけ多くの血が流されるでしょうか。

(5)そして、トクヴィルが予想しなかった「EUNATO」と「中国の台頭」は、どのように影響するでしょうか?

 

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  1. もう一つは、エリザベス・G・ヴァイニング夫人の言葉です。

(1)ご存知の通りヴァイニング夫人は、招かれて、1946年10月から50年12月まで、12歳から16歳までの当時の皇太子(現上皇)の家庭教師を務めました。

(2)帰国後、回想記『皇太子の窓』を刊行し、ベストセラーになりました。

(3)彼女は本書で、皇室一家との交流や皇太子や学習院での教育についてとともに、

敗戦直後の日本についても観察します。

(4)1章を割いて、極東国際軍事裁判東京裁判)を傍聴したことを記録し、その中で「戦争は私たちをけだものにする」と語ります。

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即ち、

――傍聴する前に裁判に提出された起訴状を新聞で読んでいた彼女は、「日本の陸海軍によって行われた暴行虐待の事実」を知り、衝撃をうけます。

「自制心あり、礼節に厚く、日常他人に接するときあのように親切な国民が、なぜ戦時にはあのように傲慢残忍な人間になれるのか」と自問自答します。

そして、「説明の鍵は、「戦時に」という言葉の中に存在するのだ。戦争は私たちすべてをけだものにする」と述べます。

同時に母国のアメリカ人に対しても、他国を糾弾しつつ自分の国の人間が太平洋で行った残虐行為については「知らぬが仏」でいるのだ、と怒ります。――

 

(5)原文は、“War makes us beasts of us all”。「Us all」、つまり私たち誰もが戦争では、かくも「残忍」なbeastになりうる・・・・。

 

(6) ヴァイニング夫人は、スコットランド系のアメリカ人で、フレンド派(クエーカー)のクリスチャン。同派は平和主義の信条を守り、「良心的兵役拒否」の態度でも知られます。彼女自身、帰国してからもフレンド派の活動に熱心に参加し、1969年のベトナム戦争反対のデモの座り込みで逮捕された経験の持ち主です。

 

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(7)皇太子の個人授業では、 「平和についてはよく話をした。始終、平和と小鳥たちについて話をした」と著書で述べています。

『物語ウクライナの歴史』と藤原帰一教授の想い

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  1. にわか勉強で、中公新書の『物語ウクライナの歴史、ヨーロッパ最後の大国』(黒川祐次、2002年)を読みました。著者はもと駐ウクライナ大使です。

 

(1)たまたま、ドイツ在住の刈谷さんもこの本を読み終えたそうです。同じことを考える人は少なくないでしょう。

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(2)まえがきで、「ウクライナ史の最大のテーマは、「国がなかったこと」だ」という言葉を紹介します。しかも、「「国がない」という大きなハンディキャップをもちながらも(略)、そのアイデンティティを失わなかった。ロシアやその他の外国の支配下にありながらも、独自の言語、文化、習慣を育んでいった」。

 

(3)「そしてついに、1991年独立を果たした・・・・」とあり、本文ではそこにいたるまでの長い苦難の歴史が語られます。

 

(4)これを読むと、いまウクライナの人たちがロシアの侵略に対して、命を懸けて戦っている心が私なりに理解できたように思います。ふるさとを、祖先の地を、自らのアイデンティティを守る戦いです。

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  1. さらに今回は、国際政治学者である東大大学院の藤原帰一教授の意見も紹介したいと思います。

因みに教授の父上は旧東京銀行、ご自身は帰国子女ですが中学・高校は麻布で、僭越

ながら、親近感を感じています。

ご紹介するのは、3月16日の朝日新聞夕刊「時事小言」。

それと実は教授は、この3月定年を迎え、8日に東大で「最終講義」を行いました。

何れもロシア・ウクライナ戦争を取り上げており、この2つからごく簡単に紹介します。

「時事小言」はフェイスブックから読むこともでき、最終講義はYoutube で視聴可能です。

   藤原 帰一 | Facebook

 https://www.youtube.com/watch?v=tUFXHcvpAfI

 

(1)講義で「今回の出来事は明確な侵略戦争である」と言います。 そして、ドイツの作家ブレヒトの言葉を引用します。――「そう、この時代は暗い。笑っている者は、まだ悪いニュースを聞いていないだけだ」。

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(2)さらに、「プーチン政権がウクライナ制圧に成功する可能性はない」と言い切ります。なぜなら、軍事的に勝利しても占領を維持できないから。

(3)だからこそ戦争の見通しは暗い。停戦交渉と大規模な破壊・殺りくが同時に、しかも長期にわたって継続する状況である。突き放して言えば、プーチン政権が自壊するまで、この残酷なゲームは続くだろう。

 

  1. しかし、藤原教授は、

(1)そもそも、今回のように外交と抑止によっても防ぐことの出来ない「戦争」にどう対処するかを指摘したうえで、出口は何だろうか、とも問いかけます。

 

(2)そして、次のように言います。

―――戦争の終結は国際秩序を形成する機会だ。

日本国憲法は、軍国主義の日本を世界との協力の中に再統合する貴重なステップだった。

今度こそ、冷戦終結時につくるべきであった、「負け組」も参加する秩序、大国が自制する秩序、日本国憲法前文が示すような世界各国の国民もロシア国民も受け入れることのできるような力の支配ではない国際秩序をつくらなければならない」。―――

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4.同教授の言う「リベラルな国際秩序」をつくることは、果たして可能でしょうか。

 

(1) 「最終講義」では最後に、「これは予測ではなく、私の願いです」と言われました。

それだけに、「何だか青臭い理想論で終わってしまったな」と感じるかもしれません。

 

(2)「ロシアが負けるのを待って国際秩序を考えるのではウクライナでの被害があまりにも大きくなる懸念がある」というコメントもあり、まことに尤もと思いました。

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(3)しかし、私には、心に残る言葉でした。

「時事小言」には、「日本国憲法前文」という言葉が何度も出てきます。

「前文」なんてきれいごとの典型だ、と思う人も多いでしょう。

しかし藤原先生の言葉からは,「今度こそ、「憲法前文」の世界を実現してほしい」という強い想いを感じました。身びいきで言えば、さすが麻布OBらしい思考だと思いました。