ksen2009-05-06


柳居子さん、優しい言葉を有難うございます。

「もし人生にベース(土台)があるとしたら、それは思い出だ」という、
英国の小説家ヴァージニア・ウルフの言葉を思い出しています。

ところで、柳居子さんのブログ
ミシュラン批判が披露されています。

最近、あちこちから同様の批判を聞き、気持ちはよく理解できるつもりです。


ただ、かって大いに利用して感謝している身として、ちょっとミシェラン弁護論
をお許し頂きたいと思います。

非常に長くなりますので、読んで下さる方は相当のお覚悟を。


(第1章)
たまたま、数週間前の「週刊文春」が、この秋、ミシェランが東京版に続いて、
京・大阪版を出すことへの批判記事を載せている、とさる人が教えてくれました。
この記事は読んでいないのですが、祇園「橙」のご主人が出ていると
教えてくれました。


ちょうど、4月10日に毎年桜の時期に上洛する先輩夫婦と「橙」で食事したばかりで、
ご主人の山村さんから「取材に来た」という話を聞いていました。


ミシェラン批判はよく聞きますが、大将の意見も、要は「星など貰うと、
一見のお客が殺到して、おなじみさんがうんざりして逃げてしまう」という理由です。


その話を聞いて、先輩も同意していました。自宅の近く、麻布十番にある
「よこた」という小さなカウンターしかない天ぷら屋が好きで通っていた。
ところが、星を貰ってしまい、以後、2回予約を断られて、以来やめてしまった、
というものです。


こういう理由(批判その1)は、確かによく分かりますね。

もう1つの批判その2は、「ミシェランごときに、京料理の味が分かってたまるか」
という言辞で、これも気持ちはよく理解できます。


ただ、2つとも必ずしもミシェランの責任ではないのではないかと、
昔3年のロンドン勤務で、このガイド本にたいへんお世話になった私としては
代弁したくなります。

以下、この点を敷衍します。

(第2章)


まず、批判2の方から弁護しますが、
そもそも、ミシェランには「緑本」という観光案内と「赤本」という
レストラン・ホテルガイドと2種類ある。

私は東京版を見たことがないので、こちらは星レストランしか載って
いないのかもしれないが、ロンドンで活用した本(例えば88年版の英国案内)には、
星付きだけでなく、いろんな料理の、実にたくさんのレストランが載っている。


ロンドンだけでも、おそらく数百軒載っていて、星付きはそのうち13軒に過ぎないし、
3年の滞在中、プライベイトに星付きのレストランに行ったことは一度しかない。

しかし、この本は、例えば家族でどこか適当なイタリア料理を楽しみたいなと
いうときに、実に役にたつ。


しかも、星とは別に、ナイフとフォーク(以下KF)の数で5から1までの
段階に分かれている。星は「味」の評価、後者は「格式・雰囲気・伝統・値段・
料理」等による区分けで、必ずしも味ではない。


この「1」でさえ「十分満足できる(Quite comfortable))」ですから、
我々庶民が私的に行くのであれば十分で、情報源として貴重です
(因みに、2は「まことに快適」、3で「非常に満足」、4は「トップクラス」
5となると「贅沢かつ伝統的」となる)



KFの5に全て、星がついているかというと、そんなことはない。
逆に、KF「2」で星1つというのもある。つまり「味」と
「格式(値段・雰囲気・伝統)」とは必ずしも一致しないという思想。


つまり、これは主として、その土地の人のためではなく、外国人の
滞在者・旅行者のための情報であって、この点では実に便利である。


そもそも、当時はインターネットで検索する時代ではなく、仮にあっても
そんな時間のない忙しい人たちにとって、かつ、日本と違って、テレビや雑誌が限りなく「至福の味!」なんていう食の情報を垂れ流している国と違います。


ということは、批判2の「ミシェランごときに京料理の味が分かってたまるか」
という言辞に対して、私だったら「ご指摘通りミシェランごときには京料理
分かりません。ただし、そもそもこの本は、あなた方誇り高い京都人
(ひいては日本人一般)に向けて作ったのではなくて、私たち
(味の分からない外国人)が(所詮味の分からない)外国人滞在者・旅行者向け
に役立つ情報を提供しよう
という意図なのです。彼らは有益な情報源だと喜んでくれると思います」
と答えるでしょう。


おそらく、ミシェランは、戦略を間違えたのではないか。

まず、外国人向けに英語版を出して、日本語版はそのあと時間が経ってから
という戦略をとるべきではなかったか。

或いは意図的に、日本語で話題を提供して、本を大いに売りまくろうとした
かもしれない。もしそうだとしたら、確かに、ミシュランにも大いに責任
があると思う。




(第3章)
次に、冒頭触れた批判その1・「おなじみが逃げる」という、
まことに尤もな批判というか不満についてです。


料理屋側からすれば、この気持ちまことによく分かるのですが、
これも私に言わせれば、必ずしもミシュランのせいではない。


1. まず私の例で、星のあるレストランをロンドンでどう利用したかだが、
わずか13軒(うち日本料理は「サントリー」1軒)のうち、3軒しか行ったことがなく、
しかも1回を除いて全てビジネス(つまり接待)利用です。

仕事では、たしかに、東京から出張で来たVIP(例えば、
重要取引先の社長さん)を、「ここは星のついたフレンチです」と言って接待すれば、
土産話になり相手も喜ぶし、こちらも責任を果たした・無難という判断になります。
 
プライベイトで1度だけ星のレストランに行った、と先に書きましたが、これは
サントリー」(星1つ、ナイフ&フォーク(KF)はランク3)で、
母と姉が東京から遊びに来たときです。

少しは親孝行に奮発しようという気になるし、土産話にも格好かなという
思いです。しかし普段、家族で行くようなつもりは毛頭ありません。


他方でプライベイトではナイフとフォーク1つ「十分満足」で本当に、十二分に
楽しめます。私はこういう場所(せいぜい、ランク2)しか行ったことがないし、
行こうとも思いません。(もちろん、ミシュランに載ってないレストランも多いに利
用しました)



星のあるレストランに行こうなどとは、地元の英国人も、我々も思わないし、
そもそも知識も興味もないだろうと思います。

例えば、もう何年もロンドンで働いている下の娘の「お気に入りレストラン」
はシティにある、生牡蠣のうまい「ビル・べントレイ」で、東京から恩師が
出張してきた時など、必ずお連れするそうだが、ここは、ランク2、
もちろん星はない。

こういうのが「馴染みの場所」だろうと思う。


2.ここから言えることは、「お客の方が身分相応に行動しよう」」ということで、
星をつけたレストランに庶民が殺到するとは、ミシュランも想定外だったの
ではないか。


この「身分相応」という言葉ですが、例えば、ロンドンの13軒の星付きの中で、
星1つと高い評価だが、KFランクは2というのが2軒ある。

つまり、「味で勝負、格式や雰囲気は2の次」という発想でしょう。


そして、こういう場所には、おそらく、普段、ランク5や4に行くような
連中(「上流階級」と呼んでも「貴族階級」と呼んでもいいが)は遠慮するでしょう。

それが、「身分相応」の意味です。

(身分の高い人は、どんなにおいしくても、ランク1や2のところには
行かない。それが、庶民であることの幸福でしょう)


お金があれば、お金を払えば何をしてもいい、どこに行っても、
どこで何を食べてもいいという文化、これ、日本でいつから生まれたのでしょうか?


人生は「身分相応に」楽しむという姿勢が大事ではないでしょうか。


昔、バブルの頃に、日本から大量の観光客が、(時にTシャツとジーパンで)
格式高い
サボイホテルのアフタヌーンティーに押しかけて、顰蹙をかったという話を思い出します。