帰国して1カ月、まだ多少、非日常です

1. 前回のブログで、ナショナル・ギャラリー前の大道芸の写真を載せました。
親切な友人がいて、住まいの近くの三軒茶屋でもやっているようだとわざわざ「三茶de大道芸」というサイトを送ってくれました。
http://arttown.jp/
もっとも、ロンドンで眺めたのと同じ「芸」を日本でもやっているかどうか分からないので、再度、別人の写真を載せておきます。

2. ところで帰国してもう1カ月になるのですが、老人になったなと痛感するのは、いまだに疲労が取れません。


それと、未だに日本の日常の暮らしに100%戻っているという実感が湧きません。「戻り」が遅れるというのが私のような老人の特性かもしれません。

疲労が取れない1つの理由は、旅行中に滞在した娘が孫を連れて日本にやってきて、またもや再会し、狭い我が家はてんやわんやということもありました。


3歳半の孫は、当然ながら1週間以上時差が取れず、午前3時には起きてしまい、家族一同これに付き合わされてしまいます。
娘に「こういう時に軽い睡眠薬を飲ませるということはありだろうか?」と質問をしたところ、こんな答が帰ってきました。


「同じヨーロッパ人でも違うようだ。あくまで一般論だが・・・・
アングロ・サクソンは、得てして大人の生活のリズムに子供が邪魔することを嫌う。したがって、大人の暮らしを優先するので、睡眠薬を飲ませることは基本的にOK。
他方でラテン系の人たち(イタリア人など)は、子供は自然に扱う、機嫌が悪ければ泣くもの、と理解しているから普通は放っておく」
それでは日本は?という話になって
「日本人はやはり睡眠薬を飲ませるのには抵抗がある親が多いだろう。
だからと言って、イタリア人みたいに1人で放っておくということもしないだろう(家が狭いなどの物理的な事情もあるだろうが)。
ということで、日本人は親も一緒になって子供に付き合ってへとへとになってしまう・・・・」

あくまで一般論ではありますが、当らずと言えども遠からずでしょうか。



3.・・・というような会話を交わしていることもあって、日本に居るくせになかなか100%日常感覚が戻りません。
これは良いことか悪いことか分かりませんが、そういうこともあってか、日本以外の出来事にいまだに興味や関心が向いてしまいます。

例えば、米国タイム誌の特集記事は、ここ2週間、「エクゾダス」と題する「難民問題」、「ロシアのシリア空爆」と悲しい報道記事が続きました。
どちらもまことに悲惨な出来事で、遠い日本人としてもこういう出来事は無視できないような気持になって頁を拡げてしまうのも、まだ幾らか非日常の気分だからかもしれません。


そう言えば、ロンドン滞在中新聞やTVのニュースを見ましたが、少し日本の報道と内容が違うような気がしました。

日本の方がはるかに平和で治安も良いのではないかと思うのですが、その割に、殺人事件だの火災だの交通事故だの傾斜マンションだの、暗い話題が多いのではないか。
この国のメディアは、自国から離れた難民問題の悲劇は大きく・連日取り上げますが、国内の三面記事的事件はよほど大きな出来事でない限り、取り上げないような気がします。
悲惨な「日常」を一々細かく報じても仕方ないと割り切っているのか、理由はよく分かりません。



もちろんラグビーは大ニュースですし、「社会主義者」を自称する労働党の新党首も話題だし、これは私が帰国してからですが、中国習近平主席の訪問も、大ニュースでした。日本でも報道されているので詳細は省きますが、バッキンガム宮殿に泊まってクイーンと同じ馬車に乗って・・・・と大歓迎。


このあたりが、アメリカのように原理原則に拘る国と違って、現実的というか、したたかというか、節操がないというか、経済が第一という姿勢が日本人としてはちょっと
気に入らないところです。
とくにキャメロン首相とそれを持ち上げるフィナンシャル・タイムズ(日経が買収した)は、少し習さんを持ち上げ過ぎではないか、もう少し自制してもよいのでは、とひがみたくなります。



4.何れにせよこういう、自分の国の事件に劣らず、或いはそれ以上に異国のことへの関心が高いというのは、日本と違う、やはり日本は、自分の国の出来事が最優先なのだ、と感じたところです。
それとも、前回紹介したモルガンお雪さんの言葉「ニホン、アマリ、(自分の国の)ヒトノコト、サワギスギマス」に関係するのかもしれませんが。


もう1つ、英国を旅して、日本と違うのは、いろんな国から来てここで暮らしている姿が当たり前なことで、これも外に関心を持つ理由にあるかもしれません。


人間だけでなく、この国の超有名ブランドである、車のロールス・ロイスも、百貨店のハロッズ(写真)

も、サッカーの名門マンチェスター・ユナイテッドも、歴史の古い一流メディアのタイムズもフィナンシャル・タイムズも、名門ゴルフクラブのウェントワースも、
全て外国資本ですが、どうもあまりそれを気にしている風には見えません。
今回の旅でも、上流階級の英国人やオックスフォード大の教授やイートンの卒業生などに会いましたが、同時に、たくさんの外国生まれの人にも出会いました。
もちろん増える移民に対する警戒や批判は英国にも根強いでしょうが、それでも、
田舎の街でタクシーに乗ったら、運転手はアフガニスタンから来て20年になるという男で身の上話を聞いたし、同じ田舎の小さな宿のマネージャーはとても親切にいろいろ教えてくれましたが、数年前にオーストラリアから来た、いまは宿の近くの小さな静かな村に住んで満足していると言っていました。
タクシーと言えば、ロンドンのブラック・キャブは昔は生粋のロンドン子の運転手が多く、訛りの強い「コクニー」と呼ばれる下町言葉が聞き取りにくくて苦労したものですが、いまはいろんな国から来た人たちがいるようです。

レストランには、スペインやイタリーからの移民が多い。ある晩、「ベントレー」(写真)

という「オイスター・バー」のカウンターで牡蠣と白ワインを頂きましたが、イタリア人の料理人が牡蠣を剥きながら、「日本のマンガが大好き」と訛りのある英語で話してくれました。
だいたいが皆、話し好きが多いようでお客さんとの会話も弾みます。
もちろんラーメン店には日本人のスタッフが大勢います。


そう言えば、昔、ロンドンでもニューヨークでも、こちらがスーツ姿で、明らかに観光客ではないという恰好で歩いていると、よく、「〜に行くには?」と道を訊かれたものです。相手が日本人だろうが誰だろうが、平気で道を訊いてきたものです。
いまは、とくに若者はスマート・フォンで検索しますから他人に道を訊く人は少ないでしょうが、少し淋しい気もします。


こういう風に、外国人という意識をあまり感じずに(まったく珍しくないから、或いは自分たちもそうだから)、街を歩いたり、田舎の宿に泊まったり、食事をしたりするのは、何となく気楽なものです。
観光客というより、自分もこの街の空気を吸う1人なんだと感じつつ、ロンドンの街を歩きました。