1. 前回のブログで取り上げた「Brexit(英国の離脱問題)」の国民投票は、フェイスブック上でいろいろ貴重なコメントを頂きました。
1週間経って、英国は混迷状態にあります。最新のエコノミスト誌は「無政府状態の英国」と表紙に掲げました。
たまたまロンドンから一時帰国をしている身内の話では、「シティ」で働く周りの人達に「離脱派」なんて1人も居なかったので、皆しばし呆然自失の状態だったそうです。
エコノミスト誌やフィナンシャル・タイムズ紙等がここ何カ月もかけて必死に訴えた良識ある・リベラルな信念(と私は信じます)が通じなかった、彼らの失望感は大きいだろうと感じます。
日本の報道も詳細です。
私たち日本人がなぜこの問題に大きな関心を持つのか?と考えてみると、もちろん単なる興味本位もあるでしょうが、それを別にすれば以下の理由ではないか。
(1) 英国・欧州ひいては国際情勢がこれからどうなるか?への一般的な関心と懸念。
(2) 日本経済や日本企業や市場に及ぼす懸念。自分の勤めている会社の今後や金融資産への影響といった個人的な理由も含む。
(3) 身内や友人が英国や欧州にいる、或いは昔住んだことがあるといった理由からのこれらの国々や人々への親しみと懸念
(4) さらには、グローバリゼーションやリベラリズムや民主主義やナショナリズムの将来といった「大きな物語」の文脈で考える。
そしてそれはもちろん、日本のこれからを私たち一人一人が考えることにつながる・・・
というようなことでしょう。そして、中でも(4)の問題意識がいちばん大事ではないでしょうか。
2. 国際通貨研究所の理事長の行天さん(もと東京銀行会長)が「まさかのBrexit」という文章で主として上記の(1)と(2)について以下のように述べます。
(1) については、ブレクジットは「EU本部の官僚と加盟国市民」「英国内」「ヨーロッパと英国」という3つの亀裂を露わにした。
(2) については、「とくに日本にとって特別大きな打撃を生ずるような事態が起ることはないだろう。個別のケースを除けば、BREXITそのものが持つインパクトは過大視さるべきではない」。
そして(4)については、こう書きます。
――それにしても、一寸皮肉な見方をすると、この度の英国民のように自分の運命を左右するような選択を行なう責任と義務を与えられ、それを72.2%の投票率で実行するという稀有の経験を持った人達は幸せかも知れない。というのも、われわれ日本人は歴史的に見て、自らの運命を自ら選択するという機会を、幸か不幸か、持ったことがなかった。選択は何時も誰か上にいる偉い人達か、外部の環境の圧力で行なわれてきたのである。7月10日に選挙でわれわれは何を選択するのだろうか。―――
もちろんこれは日本人の知性による外からの視点です。
3.それなら、「アングロサクソンではない」英国人の知性はどう考えるか?
たまたま週末版7月2日フィナンシャル・タイムズ紙がカズオ・イシグロの文章を載せています。
彼の想いを紹介して今回のブログを終えたいと思います。
―――(1)「英国の名残り(The Remains of the UK)」(もちろん彼の名作The Remains of the Dayのもじり)」と題する文章は、「今回の投票は果たして外国人嫌いが主題だったのか?」と始まり、「私は怒っている」と続きます。
(2) まず、離脱派に。第二にキャメロンの思慮を欠いた判断(詳細をつめずに国民投票にかけるという)に。第三に、現代史の稀有な成功物語(かって全面戦争の殺戮場だった欧州を平和な場に変貌させたという)に大きな打撃を与えたことに。そして第四に英国が分断の危機にあることに・・・私は怒っているのだ。
(3) しかし結果は出たのだし、怒っても仕方ない。冷静に考えて行動すべきだと反省もし、私たちが直面しているのは、「まさに英国の魂への戦い(a fight for the very soul of Britain)」なのだと理解している。
(4) 投票をやり直すことはできない。しかし「軽いブレクジット(Brexit Light)」に向けて再度話しあうことはできるのではないか。
それは、単一市場へのアクセスは諦める代わりに、人間の自由な移動は認める、という選択肢である。
一部の外国人嫌いの差別主義者はいるだろう。
しかし、離脱派の大多数はそうではないと信じる。「移民を制限しよう」と投票した人たちの大勢は、本来真っ当な人たちで、長年の間に不満と憤りをつのらせ、日々の暮らしや子ども達の未来に不安を高め、移民がその原因だと感じ始めた人たちなのだ。真剣に・注意深く考慮しなければいけないのはこういう人たちであって、彼らが本当のところ、この国をどういう方向に持っていきたいのかを知ることが大事である。
それは、現在のグローバル化した世界で、私たち英国人は、外国人嫌いの差別的な国になっていく道を選択するのかを自らに問うことでもあるだろう。
(5) いまこそ英国人に対する信頼を取り戻すことがもっとも大切ではないか。
23日のショックのあとも、私は信頼を失っていない。
私はいま、61歳の、日本で生まれ5歳のときからこの国に住んで、見ればすぐにわかる・異邦人の少年なんて、学校でももっと広い社会でもずっと私一人だった何十年の歳月をこの国で暮らした英国人として語っている。
私がよく知り、深く愛する英国は、慎み深く、公平で、助けを求める異邦人に暖かく、政治的に過激な扇動者を憎む社会のはずである。
もしこの理解がもはや古臭い、あまりにナイーブだ、いまの英国は私の育った時代の英国とは違う、と反論するのなら、少なくともそのことを明快に私に語ってほしい。
しかし、実は私は、そんな反論を信じてはいない。
人間味あふれる昔ながらの英国人がもういちどこの国を支え、いまはこの国を乗っ取ったと信じる差別主義者を孤立させるために、もういちど私たちは「ブレクジト・ライト」が必要なのだ。―――
以上、日本人の両親とともに5歳に来てそのまま住み続け、28歳のときに英国籍を取った(日本の国籍法は二重国籍を認めないので、日本国民ではなくなった)カズオ・イシグロの深い哀切をこめた文章が、心に染みました。