ノーベル物理学賞は「3人の日本人」か「アメリカ人と2人の日本人」か

1. 今週はノーベル賞の発表が続き、物理学賞はすでに旧聞になりそうです。
特に本日のメディアは17歳のパキスタンの少女マララさんの平和賞受賞に沸いています。
因みに、マララさんは、米国タイム誌が当時まだ15歳の彼女を「2013年今年の人」の次点に「闘う少女」と題して選び、このブログでも取り上げました。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20130114



但し、私のブログは原則1週間に1回なので、今回は物理学賞の、しかも多くの人にはどうでもいいようなことにこだわっていきたいと思います。

購読している10月8日の東京新聞は「日本人3氏ノーベル賞、赤崎氏、天野氏、中村氏物理学賞、青色LEDで照明に革命」と1面大見出しで報じました。
そして3氏の紹介の中で中村氏については、「カリフォルニア州在住。米国籍。60歳」
とあります。

これは面白い(と思うのは私ぐらいでしょうが)、2008年の南部博士の場合と同じだなと電子版の海外報道をチェックすると、案の定、NYタイムズは「アメリカ人と2人の日本人がノーベル賞をわけあう(American and 2 Japanese Physicists Share Nobel for Work on LED Lights)」という見出しで、詳しく報じています。



2. そこで8日の朝からPCに向かってアメリカ・英国・豪州の報道をざっと眺めました。
中村博士の紹介には報道によって多少の違いがあり、整理すると以下のようになるようです。


(1) NYタイムズのように「アメリカ人と日本人2人が〜〜」と紹介(他に、アメリカのABC放送や、豪州の「ジ・オーストラリアン紙」など)
(2) 「アメリカ人と2人の日本人に〜〜」という見出しで、本文に「このアメリカ人」が「日本生まれのアメリカ市民である」と補足する(英国ロイター通信社など)
(3) 「2人の日本人と日系アメリカ人が〜〜」(英国のフィナンシャル・タイムズ(FT)紙など)
(4) 「3人の日本生まれの物理学者に〜」という出だしで、さらに「1人は現在はアメリカ市民である」ことを補足する(米国ウォール・ストリート・ジャーナルWSJ紙など)
(5) 「3人の国籍については、触れない」(英国のガーディアン紙)

なお、言うまでもなく、正式発表(スゥエーデンの王立科学アカデミーによる)は受賞者の国籍に触れていません。



3.そこで今度は近くの図書館に散歩がてら出掛けて(よほど暇人ですね)、日本の新聞をざっと眺めました。
気がついたのは
(1) 東京新聞のように「3人の日本人に」という報道と
(2) もう一つ「日本の3人に〜〜」という言い方
があることで、後者の表現で紹介する新聞が結構多い、ということです。例えば日経は「物理学賞、日本の3人に〜」という見出しです。

この「日本の〜〜」という言葉どういう意味でしょうね。
「日本人の〜」とは言いにくいから、「日本の〜」にしようという発想だとしたら少しあいまいな言葉づかいだなという気がします
対して、FTの「日系アメリカ人が〜」
あるいはWSTの「3人の日本生まれの〜」は
正確に紹介していると言っていいでしょう。
そもそも、ノーベル賞の発表自体がそうであるように、英国のガーディアン紙がそれを踏襲しているように、国籍に触れないという判断もあるでしょう。

4.

度々ブログにも書いているのですが、そもそも私たちは「人種」と「国籍」とを普段区別して考えないのではないか。
悪く言えば、都合がいい時は皆日本人にしてしまう。
しかし、国籍を基準に考えれば、中村氏は少なくとも現在は、日本国憲法が権利と義務の対象とする「日本人」ではない。
他方で、ドナルド・キーンさんは間違いなく「日本人」ですが、ひょっとして彼がノーベル文学賞でも受賞したら、どう紹介するのでしょうか。
あるいは、在日韓国人で、日本生まれ・日本育ち・日本語しか喋れない、しかし日本国籍を持っていない人物がひょっとしてノーベル賞を受賞したら、どう紹介するのでしょうか。英米のメディアはおそらく「Japan-born Korean」として紹介するでしょう。中村博士を「Japan-born American」と紹介するのと同じ発想ですね。しかし日本では、中村博士は「日系アメリカ人」ではなく「日本人」もしくは「日本の〜」と紹介される・・・・

もちろん中村博士の場合は、受賞対象となるLEDの研究は日本に居たときになされたのですから、「日本人」と言いたくなる気持ちはjたいへんよく分かります。
しかしそれなら、NYタイムズが「アメリカ人と2人の日本人が〜〜」という大見出しをどう理解したらよいか。


それにしても「日本の3人」という表現は、気持は分かるけどあいまいですね。
この場合に限って「人種」としての日本人を優先したのか。
前にも書いたと思いますが、今年の3月、サッカーの試合で浦和レッズのサポーターが
「Japanese Only(「日本人に限る」」という横断幕を掲げて「人種差別ではないか」と騒ぎになったことがありました。
「人種差別だ」と騒ぐ前に、私が思ったのは「ここで言う日本人とは誰のこと?」という疑問です。

ここで「日本人」が「人種」を意味しているのであれば、ドナルド・キーンさんはこの日の浦和レッズの観客席に入れません。
「国籍」を意味しているのであれば、キーンさんは大歓迎。しかし、中村博士は入場できません。

5. 言うまでもなく、この問題の前提には、国籍法の問題があります。
日本の国籍法11条は「日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」と規定されています。つまり多重国籍を認めません。
他方で、いま多重国籍を認める国は多くあります。
図で「緑色」がOKの国ですが、アメリカ、英国、カナダ、ロシア、メキシコ、トルコ、ブラジル、イタリア、スイス、豪州、ニュージーランド・・・等々。

だから例えば、中村博士の代わりに、日系ブラジル人(つまりブラジル生まれの日本人の2世ないし3世で、その後アメリカの大学の教授になって米国籍を取った)がノーベル賞を受賞したと仮定したら・・・
彼はアメリカとブラジルの両方の国籍を持っていますから、NYタイムズは「アメリカ人が〜」と書き、ブラジルの新聞が「わが国の学者が〜」と書いても一向におかしくありません。
その時、日本の新聞はどう報道するでしょうか?
人種は日本人だから「日本の・・・」とはさすがに言いにくいでしょうね。


―――以上、こんなことに関心と興味を持つのは私ぐらいでしょうが、
これは実は、在日韓国人や日本に住む日系ブラジル人(2世あるいは3世)等々にも深くからんで来る問題だです。
例えば、ある日系ブラジル人で日本の大学教授の話を聞いたことがありますが、
「日本は大好きで一生暮らしたいと思っています。しかし多重国籍が認められないのでブラジル国籍を失うことは母国にいる親が許さず、たぶん永久に「ガイジン」として日本に暮らすことになるでしょう」と語っていました。