少し硬いけど「国籍」と「人種」

1.2回続けて、イチロー選手を取り上げて、野球とビジネス、マーケティングなどについて書いてきました。

彼の快挙はもう7年前で、以来ずっと授業に使っているのですが、昨年からは例の『もしドラ』についても、アニメを見せて、題材に取りあげます。

2.これらについては、とりあえずここらで切り上げて、授業ではさらに以下のような話にも拡げます。

(1) 日本人とは?アメリカ人とは?
(2) 人種(差別)問題について、日米関係について・・・・ジョージ・シスラーが記録を達成した1920年当時の状況と現在の違い
  (当時は、アジア人やヒスパニックはおろか、黒人も大リーグに入れてもらえず白人だけ。黒人は「ニグロ・リーグ」という別のプロ野球でやっていた)

といったようなことです。


3.この点について、まず、知人のブログを紹介します。
http://uta34n.churaumi.me/nuhahin/?p=980
彼は、ラグビーの熱心なファンで、W杯の応援にニュージーランドまで出かけて帰国したばかりですが、

(1) ラグビーの日本代表は、オリンピックや野球・サッカーと違って、必ずしも「日本国籍」である必要がない。
(2) 3年以上、日本に居住して、他の国の代表になっていなければ有資格である。

の事実から、「ラグビー日本代表は日本ラグビー代表なのだ」と話を展開して、なかなか面白いです。


4.だからラグビーの論理からすれば、イチロー選手も、本人が希望すれば、かつ日本代表にまだなっていなければ、WBCアメリカ代表として出場したって良いわけです。
このことは「国籍」というものが、所詮、人間のつくった仕組みで、相対的なものだという事実を示唆しています。


どうも私たちは、「国籍(ナショナリティ)」としての日本人と、「人種(エスニシティ)」としての日本人を一体化して考えてしまいますが、これは別に世界共通の認識ではない。

エドワード・サイデンスデッカーもドナルド・キーンも私たち以上に、誇るべき日本人だと思いますが、そういう意識をつい忘れがちで「ガイジンさん」という目でみてしまう。
(逆に言えば、例えば、レオナール・フジタ別名藤田嗣治は、誇るべきフランス人です)


5.前にも書いたことがありますが、2008年に南部陽一郎博士はノーべル物理学賞を受賞したとき(他の日本人学者2人と同時受賞)、日本の新聞はどこも「日本人が3人受賞」とトップ記事で報道しました。


南部博士は長年アメリカで研究を続け、アメリカ国籍です。
同日のニューヨーク・タイムズは、当然ながら「ジャパニーズ・アメリカン」のドクター・ナンブが受賞したと報じました。


6.言うまでもなく、アメリカには(人種的に)さまざまな「アメリカ人」が居ます。


ゴルフのタイガー・ウッズを取りあげてみると、彼の写真をみせて「何人だと思うか?」と学生に訊くと「黒人」という答えが返ってきます。

彼は人種的にいうと、「白人が8分の1、黒人が4分の1、中国とタイがそれぞれ4分の1、ネイティブ・アメリカンが8分の1」だそうです。
もちろん国籍は立派なアメリカ人です。
人種的に何人か?という質問は彼にとって無意味か、答えられないでしょう。


9.もちろん、これには「国籍法」がからんできます。
日本では同法第2条に、
「子は、出生のときに父または母が日本国民であるときは、日本国民とする」
とあります。(これが、血統主義です)


かつ、日本は二重国籍を認めませんから、「外国の国籍を有する日本国民(例えば、かっての南部博士)は、外国および日本の国籍を有するになったときが20歳に達する以前であるときは、21歳前にいずれかを選択すること」
と決められています。


10.これに対して、アメリカは生地主義を採用し、かつ二重国籍を認めています。
したがって、私の友人に事例が幾つもありますが、アメリカに勤務しているときに子どもが生まれた。
その時点では彼あるいは彼女は(国籍は)日本人でもありアメリカ人でもあります。
しかし、日本の法律上、21歳前にどちらかを選らばなければなりませせん。

私の友人の息子さんで、現在、アメリカの大学で日本文学を教えている方は、アメリカ国籍を選びました。


11.話が逸れるかもしれませんが、こういった視点から「在日韓国人」について考えてみることも意味があると考えます。


某国会議員が日本名を名乗っている在日韓国人の方から数十万円の献金を受けた。
これは「外国人」からの献金を禁止している法律に違反している、けしからん・・・・という議論です。


この点について、文理解釈上は「外国人」かもしれないが果たして立法者の趣旨はどうなのか?立法の趣旨からして「違法」と言えるのか?という議論をする価値があるだろうと私は思います(この点は、前にブログで書きました)。


その前に、考えてほしいのは、
「彼らは、もちろん、日本の国籍法上は日本人ではない。
しかし、彼らがアメリカに住んでいたら、自動的に立派なアメリカ人だ」
ということです。

つまり、冒頭書いたように、ナショナリティとしての「〜人」というのは、国によって決め方が違い、日本の決め方が(悪いとはもちろん言いませんが)、唯一絶対のものではないということです。


12.いささか、硬い話になってしまい、これで今回は切り上げますが、
授業でそんな話を学生にいたします。


「目からうろこが落ちた」と言ってくれる学生も居ます。