1枚の写真や絵が語る「ここに美女ありき」英米編


1. いつも遅くなりますが、我善坊さん、柳居子さんコメント有難うございます。
 柳居子さんは本当にいろいろご存知ですね。コータッチさんの本は知りませんでした。


2. 我善坊さんのコメントから、暇つぶしに、写真や絵から見る英米人の「美女」というのをちょっと考えましたので、今回はそんな話を気楽に拡げます。

英米人にとくにこだわっているつもりはありませんが、多少は知識があるのと
私が考える「美女」というのが、いわゆる映画女優のような姿かたちの良い「美女」ではなくて、かなり特殊な条件で選んでいます。
その条件とは、即ち
(1) 当人の肖像画もしくは写真が印象に残る
(2) 当人をめぐる魅力的な(必ずしも幸福ばかりではない)物語が存在する

の2点です。


3. そこで上の条件にかなう「美女」を近代・現代の英米から探してみると
前回のナンシー・アスターも我善坊さんご指摘のようにその思考や行動には同調できない点があるかもしれないが、肖像画はちょっと心に残るし、「物語」の持ち主でもある。
その他に挙げれば
(1) やはり度々、話題にしている、エマ・ハミルトン(1765〜1815)

貧しい出自から駐ナポリ公国の英国大使夫人(レディ)となり、ネルソンの愛人となり彼の戦死後、不幸と困窮の中で死んだ女性。
トラファルガーの戦いの旗艦「ヴィクトリー」号から彼は勝利を見届けて死ぬ2日前、最後の手紙を書きます。
その手紙を戦死の報とともに受け取った彼女は
余白に「ああ、何とみじめでかわいそうなエマ、何と幸せな、栄光に満ちたネルソン」(Oh miserable wretched Emma, Oh glorious and happy Nelson)
と書き添えました。
その手紙は今も大英博物館に展示されている筈でロンドン滞在中に目にすることが出来ました。


(2) エマ・ハミルトンの肖像画は(これも度々話題にしていますが)英国の画家ジョージ・ロムニーが何枚も描いていて、その1枚はニューヨークのフリック美術館に飾られています。絵ハガキを買うこともできます。

「美女」の絵ハガキについ惹かれて、買ってしまった中に、以下の2人の女性が居ます。

右側の女性は英国のヴァージニア・ウルフという小説家(1882〜1941)
この写真は、ロンドンの「国立肖像画美術館」(National Portrait Gallery)で買いました。
左側の女性は、アメリカの、ベラ・ダ・コスタ・グリーン(1881〜1950)と言います。

後者は日本では殆ど知られていないと思うので短く触れますと、
アメリカの金融王として著名なジョン・ピアモント・モルガンは、美術品の収集家でもあり、彼のコレクションを集めた「モルガン・ライブラリー」がニューヨークにあって一般公開されています。
彼女は、そこの館長を長く務めた女性で、美術品の収集や管理・運営に大いに貢献したそうです。
黒人である出自を隠して父親(黒人として最初にハーヴァード大学を卒業した学者)とも縁を切って暮らした女性としても知られます
因みに自らのアイデンティを隠して世に生きる(とくに黒人が)ことを英語で“passing”と言います。
この絵ハガキは「モルガン・ライブラリー」を訪れた時に求めたものですが、彼女の「物語」にもちょっと興味を覚えさせるところがあります。


4. 黒人に触れたので、最後に、本物の黒人の写真を紹介して終わりたいと思います。
彼女はまだ健在の筈ですが、いわゆる普通に言う「美女」かどうかは知りません。
しかし、私の定義する
(1) 1枚の絵あるいは写真が印象的である。
(2) 「物語」の中の女性である
の2つの条件は十分に満たしています。

・この写真はあるアメリカの通信社が選んだ「20世紀を代表する100枚の写真」の1つに選ばれました。


・サングラスを掛けている黒人の女性の名前はエリザベス・エクフォード、すぐ後ろで叫んでいる白人の女性はヘイゼル・ブラウンと言います。
・時は、1957年9月5日、2人は15歳、場所は、米国アーカンソー州リトルロック
・エリザベスは、州教育委員会に選ばれた8人の最初の黒人の高校生の1人として、この日、白人専用のセントラル高校に入学するために学校に行こうとして、州知事の指令で配置された州兵に阻まれて入れませんでした。
・ブラウン判決という、公立学校での人種差別は憲法に違反するという米憲政史上最も有名な最高裁判決が出て3年後のことです。
・それだけでなく、周りに集まった白人から一斉に罵倒・罵声にさらされました。(「ニガー、自分の学校へ行け!」などと)
・「カメラマンのウィル・カウンツは、怒り狂ったヘイゼル・ブラウンという白人の少女が(略)憎しみを込めて彼女に叫んでいる瞬間をとらえた。(略)この白人少女は、群衆全体の怒りを代表しているようにみえる。この1枚の写真は人種差別主義者が黒人に対して抱く憎悪の象徴になった」(『黒人差別とアメリ公民権運動』バーダマン、集英社新書、2007年)


・バーダマンの著書は短い新書ですが、とても良い本です。
同書の後半には、この2人の女性、エリザベスとヘイゼルが、40年後の1997年に再会し、和解するエピソードが紹介されます。アレンジしたのは、あのカメラマン。
「セントラル高校で行われる40周年の記念行事に先んじて、2人はエリザベスの自宅で会った。(略)2人は車でセントラル高校まで行き、高校の前に一緒に立った。
(略)翌年、人種問題を改善するためにいくつも大学で開かれた会合に、2人はそろって姿を見せ始めた」

同書のこの箇所を読み返して、最近、行われているというヘイト・スピーチ、とくに娘が送ってくれたインターネットに載っているデモの写真を見て考えたことです。
デモに参加する人たちが、たとえ40年後でもいいから、謝罪し、そして両者が和解する時がはたして来るものだろうか・・・・と。