高尾山で「寄付文化」を考える

加藤さん、コメント有難うございます。「家なき娘」、たしかに名作ですね。

なるほど、素晴らしいアニメがあるのですか。「ペリーヌ」普及委員ですか。
勉強になりました。


同じ思考の持ち主がいたのは嬉しいです。「先を越された」と思う必要は
毛頭ありませんから、ぜひ「普及」活動をお願いします。


それにしても、CSR(企業の社会責任)というのは難しいですね。
3月31日の「クローズアップ現代」は
「あなたの寄付が社会を変える」と題した番組で、中で、
米証券最大手のゴールドマン・サクス(GS)が会社名義の巨額の
寄付を実施し、世界中の拠点に選定を任せているという話しが出ていました。
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2868
ご承知の通り、そのGSがサブプライム・ローン関連のビジネスで2007年に
金融詐欺を働いたとして、
16日SEC(証券取引委員会)から訴追されました。


GSはSECの主張に対して強硬に否定しており、
今後どう発展するかは不透明です。

仮にGS側にも「三分の理」ぐらいはあるとしても、他方で「寄付による社会貢献」がやや「免罪符」的行動のように見えるのも事実でしょう。


クローズアップ現代」までが取り上げた「寄付」について、18日、「山道を歩きながら考えました」。


好天になった日曜日、妻と2人で、高尾山に行ってきました。
といってもケーブルカーで上がって、あとは山頂まで歩いて往復ですから
70歳前後でも大した運動ではありません。


前の日に時ならぬ雪が降り、このあとがぬかるんで歩きにくいのが
難点でしたが、人も多く、桜もきれいでした。

薬王院という真言のお寺が中腹にあり、登っていく参道の右手に
「杉苗」を寄進した人たちの芳名が並んでいました。
最高は10万本から最後は1000本の名前が延々と並んでいました。

薬王院のHPは以下で

http://www.takaosan.or.jp/ogoma.html

ここにはこう書いてあります。

・・・・遠い昔より高尾山の御信徒は、自分のお願いが成就した時に、
感謝とお礼を込めて、苗木を奉納する習慣がありました。
今日でも高尾山では杉苗奉納が続いており、参道大杉原には一
年間掲示される杉苗奉納者の芳名板が、板塀のように並んでおります。
現在、環境破壊が叫ばれておりますが、高尾山では寺法にしても
「殺生禁断」を第一義に、むやみに草木を切ることを厳しく戒めてきました。
私達は信仰心と共に大自然を守り守られつつ共存共栄し、
本日の景観を造りあげて来たことを忘れてはならないと思われます・・・・

一口3千円からで1万円以上の人をこうやって掲示するとのこと。


これは「寄付」かどうか?
まあ、やはり寄付でしょうね。

とすると、こういう「寄付」あるいは「寄進」(そういえば、
お寺の石段や石垣には、他のお寺と同様に「寄進」した人の名前が延々と彫ってあります)


と、例えば、アフガンでの医療活動と水路開発を続けるペシャワール会への寄付
とをどう優先するのか?


たまたま、14日(水)にさわやか福祉財団の方2人と昼食をともにしました。
財団は種々のプロジェクトを行っていますが、その1つにお2人が関わっている
「寄付文化普及チーム」があります。



日本における「寄付文化」とは何だろう?何を普及する必要があるのだろう?
とあらためて考えました。


ご承知の通り、日本経団連は1990年に「1%クラブ」を設立。
「会員は経常利益や可処分所得の1%相当額以上を自主的に社会貢献活動
に支出しようと努める企業や個人のこと」。


「1%クラブでは、会員に対しては寄付や社会貢献活動に関する情報を
提供するとともに、広く一般の方々に企業の社会貢献活動に対する理解を
深めていただくための事業を行っています。また、企業やその社員と、市民活動団体をはじめとするNPO(民間非営利組織)を結び付け、より有効な社会貢献活動を行うためのコーディネートも行います」

とあります。

例えば仮に、年金生活者で年に4百万円の
可処分所得」があるとして、その1%は4万
円。まことにささやかながら、年に4〜5万円を寄付に回すとして
、どういう使途があるだろうか?


・ お祭りの寄付、町内会の寄付など
薬王院の杉苗のような「奉納」あるいは「寄進」(教会も含まれるか)
ペシャワール会のようなNPO活動への寄付
・ 「赤い羽根」や今回の青海省地震のようなスポットの災害への寄付

これらをどのように振り分けるかは個人によって違うだろうが、その基準はいかなるものか?



クローズアップ現代」は、「寄付金による社会貢献の意識が市民の
間でいま、急速に高まっている」として、主としてNPO等を想定しており、
そこに「新しい」芽生えを期待している。

しかし、杉苗のような「伝統的」な寄付とどう折り合いをつけていったら
よいのか、という問題も残りそうですね。


もちろん経団連の提唱は、「伝統的な寄付ーお寺・神社・教会、母校などー
の他に、別枠で1%ぐらい”新しい”社会貢献活動にも寄付しようではないか」
であるでしょう。


しかし、人によっては、
「おっしゃる通り寄付は大事だ。
これから、年1千本だった薬王院の杉苗寄進を3千本に増やそう」
と考える人もいるかもしれない。


狙い通り、お金が「新しい」社会貢献に回っていくだろうか?


私だったら、どうするか?
そこにおいて日本の「寄付文化」はどのように作用するか?

「山道を歩きながら」まあ、そんなことを考えてみました。


それと「寄付文化」という場合に、「市民」の動きも大事とは思いますが、
もう1つ、「市民」ではない「新貴族」(という言葉はやや意味不明ですが、
日本にも我々庶民とは違う人種がいるはずですよね)に
よる「ノブレス・オブレージ」がもっと大事、「寄付文化」はこの2つの
適正なバランスで成り立つのでしょうね。


カーネギーであり、ビル・ゲイツであり・・・という行動。日本だって
もちろんいるでしょうが、例えば、鳩山由紀夫さんや麻生太郎さん。


贈与税を払って母親から貰ったお金を「子分」に渡すのは勝手ですが、
こういう「新貴族」はせめて同じぐらいの規模で
(政治家は特定の団体に寄付をするのは難しいでしょうが、
財団でも何でも作って)、「市民の間で高まっている社会貢献の意識」
を見習ってほしいと思うのですが・・・


ひょっとして、「陰徳」ですでに実施しておられるかもしれませんが。