『地下鉄のギタリスト』(土門秀明)

柳居子さん、いつものことですが、お礼が遅くなって恐縮です。

テンプルから、シャーリー・テンプルを思い出すところ、さすがですね。
若い方には知らない名前でしょうが。
アメリカの名子役、イギリスからの移住者ですか。

暑さのせいか、当方はそこまで頭が回りませんでした。
ご指摘のお陰で、姓名について少し考えました。

テンプルさんは、お寺さん。
ウッド(林)さん、ヒル(丘)さん、ブルック(小川)さん、フィールド(野原)さん、ゲイツ(門)さん
・・・なんていうのもあります。


日本人の姓名を考えると、

・苗字は、自然や地名や身近な事物をもとにした具体性のあるものが多い
・他方で、名前は、男も女も抽象的な言葉が多い −美だの、俊だの、英だの、明だの。
・・・・私の娘の1人は「夏子」と言いますが、こういう具体性のあるのは珍しいかも。
・それと苗字の場合、同じキーワードからいろいろ広がる→「寺」から、寺田、寺村、小寺・・等々、
「林」から大林、小林、中林・・・等々
・「門」から門田、土門、さらには敬語が入って、「土御門」という苗字まである。

まあ、暑さにまぎれて詰まらぬことを考えたものですが、たまたま「土門秀明」という、まさに典型的な
「具体名刺」の苗字プラス抽象名詞の名前をもつ人物の存在を知ったからで、彼が書いた
『地下鉄のギタリスト』(水曜社)という本を読んで、実に面白かったです。


英国滞在時に娘夫婦から聞いた人物(娘の亭主は個人的に知っているらしい)ですが、
ロンドンの地下鉄駅構内で毎日ギターの演奏をしている日本人がいる、それが4年ほど前に本を出した、
というので帰国してからアマゾンに注文。



読みやすいので1日で終わりましたが、なかなか面白い。

調べたら、この本を出してからかなり知名度が上がったようで、
ウィキぺディアにも登録されているし、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E9%96%80%E7%A7%80%E6%98%8E

http://domon.co.uk/

公式のホームページもある。興味のある方は、ユーチューブで彼の、地下鉄構内での演奏ぶりを聴く
こともできる。

知る人ぞ知る。若い方は先刻ご承知の存在かもしれません。


以下、紹介です。


1. バスキングという言葉を初めて知ったが、「路上など公共の場において歌や楽器演奏でお
金を稼ぐこと」を意味する。その歌手や演奏者をバスカーという。

2.「ロンドンの地下鉄では、昔からこのバスキングがさかんで、もはや伝統的な音楽文化となっている」


2. 昔は誰でも自由にやれたが、2003年、ロンドン地下鉄当局は、ライセンス制度を導入した。
彼は、オーディションに合格し、日本人で初めてライセンスを取得、以来、ほぼ毎日地下鉄構内で
ギターを演奏し、ギターケースに入れてくれたチップで生活している。
1日平均5,6千円の収入らしい。


3. いまバスカーは500人以上いる。ロンドンの地下鉄には冷房も暖房もない。
暑さ・寒さの厳しい日にはまことにつらい仕事。

4. 地下鉄の各駅の構内で演奏ができる場所を「ピッチ」と言い、ここを2週間前に
電話で予約する必要があるが、この予約を取るのがたいへん。
みんなが一斉に電話をするので、なかなか
つながらないし、人気のある「ピッチ」(乗降客が多く、収入の多く見込める駅)は
すぐ埋まってしまう。


ちなみに、予約にはルールがあって
・1回の演奏時間は2時間
・同じピッチは2日連続ではとれない
・人気のピッチは中2日以上空ける
・1日につき2ピッチまで予約できる

等。


まあ、こんな仕事をずっと続けている人です。

本書によると、2005年から始めて、英国での労働ビザの更新ができないかもしれない、ビザ期限が切れた
ら帰国しないといけないかも・・・と心配していますが、幸いに更新できたようで、
いまでも続けているようです。


以下、簡単な感想です。


1. 何といっても、まことに珍しい経験で、誰もが知らない・やったことがない仕事で生活している、
その「物語」に読んでいて引きずり込まれる。


2. 上に書いた、寒さ・暑さなど辛いことも多い。いやがらせにも遭うし、「日本人は死ね」と
言われたこともある、ギター・ケースに入れてくれるお金をジプシーらしき女に盗られたこともある。


3. しかし、他方で、さまざまな出会いもある。
演奏者同士の、駅員との、ほとんどの乗降客は素通りするが、立ち止まって聴いてくれる人たちとの、まさに
「一期一会」としか言いようのない「弱い・弱い」きずなの
心に残る一瞬。


4. 駅員の中にも意地悪な人もルールにしゃくし定規な人もいる。しかし、概して、ユーモア
と温かみでバスカーに接する人が多い。通行人の中にも話しかけてきたり、一緒に歌をうたったりする人もいる。

5. そのあたりに、英国らしい、貧しい人々の暮らしやスタイルや他人への接し方もうかがえる。

また、著者は、繰り返し

「イギリス人は、体の不自由な人や老人に対してとても親切である」


とも書く。


6. こういったあたり、日本と違った世界・文化・人々の中でひとりで生きていく、良いことも
悪いことも含めて、「世界はさまざま」ということを学んでいく・・・そういう日本人が居るということに、
何がなし感動します。


日本人はえてして悲観したり、憤慨したり、批判したり,
評論したりする人が多いですが、

総理大臣が誰になろうが関係なく、たくましく世界で生きていく日本人がいる、行動する・まず生きる
人間がいる・・・ちょっと楽観的になりませんか?



7.何せ、毎日、見知らぬひとと公共の場で接し、しかも頼まれもしないのに自分でメッセージを発信し、
それで生きているわけですから、ほとんど毎日、何かが起きる。

したがって本書は具体的なエピソードが満載で、それが実に面白いし、ときに感動的でもあるのですが
、詳細に紹介できないのが残念です。


いちばん有名なのは、2005年7月7日の朝、ロンドン地下鉄の同時爆破テロで死者が多く出て、
その日は、すべて運転も駅も閉鎖。


しかし翌日には再開。
彼は状況を知るために、朝、バスキングの事務所に電話すると、こう言われる

「バスカーたちも、いつもどおりにバスキングしている。とにかくブッキングした駅に行って、
可能だったら演奏してきなさい。今こそ、あなたたちバスカーの出番よ!ロンドンの地下鉄の雰囲気
を明るくしてちょうだい!さあ、気合いを入れて、しっかりね!」


彼が予約していた駅のピッチに行くと、前の時間帯の演奏者がビートルズの「Let it be」をやっている。


以下、本書の引用です。
「ふと彼の足もとを見ると、いつものお金を入れてもらうバスケットがない。かわりに、マジックで
走り書きされた段ボールの紙片が置いてあった


“No tip today. I will sing for you”(今日はチップは受け取らない。みんなのために歌うよ)

そして、最後にこう付け加える ――「本日の稼ぎ:0ポンド」(本書112ページ)