夏の季語:炎暑、涼し、原爆忌

氤岳居士さん、柳さんコメント有難うございます。

本題でないコメント大歓迎です。実をいうと、前回も本題は例によって
長すぎるしまじめに読んで頂けないだろうと思い、導入として、
「名前→具体と抽象の組み合わせ→土門英明さんもそうだ→
ロンドン地下鉄のギター弾き」とつなげて行った次第です。


名前というのはお2人のご指摘のとおり、いろいろ考えると興味深いですね。
Blackburn は黒川さんですか。なるほど。

柳さんいわれるように、時代で変わりますね。


とにかく、苗字は誰もが先祖の代から変えられない。
対して名前は、普通は親がわが子のために命名する。

ということで、よくも悪くも、親自身の好みというか、思いで決められる。
子供は迷惑しているかもしれませんね。

その結果、「凛空」だの「寧音」だの簡単には読めないような名前が登場する。

比べて、アメリカ人の名前は、だいたいジョンだのトムだの、メリーだの、
そんなに凝ったのは少ないのではないでしょうか。
イギリスの王様女王様だったら、ヘンリーかエドワードか、リチャードか
エリザベスか・・・
簡単でいいですね。

個人・個性を大事にする英米で、むしろ名前は簡単。
逆の国民性の日本で、むしろ名前は複雑・・・・面白いですね。
所詮、名前は記号でしょうから・・・もっと簡単にしてもいいかも。

やはり、この暑さのせいか、碌なことは考えません。
うちの猫もやや夏痩せしたようです。
もっとも昨日の新聞に出ていましたが、
こういう酷暑の時は「夏バテ」ならぬ「秋バテ」が怖いそうです。
皆様お気をつけください。


それにしても
「夏」とはいつからいつまでか?


私の持っている古い「山本健吉編最新俳句歳時記」
文藝春秋昭和46年)によると、
「季語の分類は次の原則によるとして、
夏は立夏(5月6日)から立秋の前日(8月7日)まで」とあります。
これは陰暦をもとにしているのでしょうね。

他方で、「英語歳時記」(研究社1970年)という、これも古い
愛読書の1つですが、
ここに「summer 夏」の項目があって、
「暦の上では、夏至(6月21日)から秋分(9月22日)までをいう」
とあります。


因みに、英語歳時記によれば
「(夏はイギリスでは)1年のうちで最も快適な季節である」とも。



いつも英国というと名前を出す吉田健一
――夏があまりに短いのをどうしたらいいか ――
というシェイクスピアの詩を引用して解説します。

「浪漫主義文学と呼ばれているものが英国に起こったのは無理もないことで、
眩いばかりの自然は、これに劣らず精妙な魅力に富んだ詩を人々
に書かせる結果になる。それも、冬の暗さをとことんまで知らされた
後でのこういう自然の美しさなのであるから、この美しさも何れは
秋とともに過ぎ去ることが余りにもはっきりしているから、
これを歌い、歌うことで一層深く認識する気にならざるを得ない
・・・・」


「エリザベス時代の英国人が考えていた存在の短さと、文学の不滅の関係が
そこに見られる」



どうも昨今の日本人とはだいぶ違うようで、我々は、こんなに暑い夏、
早く終わってほしいと願ってしまいますが。


それでも、ご存知でしょうが、「涼し」というのは夏の季語ですね。

「口紅のいささか濃きも涼しけれ」(万太郎)という句があります。

私の手元の古い歳時記にはまだ「猛暑」も「酷暑」も季語に
採用されていません。これから「猛暑」を
うたった句が増えることでしょう。

代わりに、「炎暑」「炎昼」「炎天」等は昔からあります。

「炎熱や勝利の如き地の明るさ」(草田男)


言うまでもなく、「原爆忌」も夏の季語。

9月12日(日)の日経俳壇に、武蔵野在高橋富久子さんの

「空青し原爆の朝もまた今日も」が2席で採用されていました。


日経俳壇は選者が2人いますが、黒田杏子さんは毎年必ず、原爆や敗戦忌の句を
いくつも採用されます。
なぜか分かりませんが、もう1人の選者には見かけません。俳人によって句風があって、
黒田さんはこういう句を採ってくれるだろうという期待があるのでしょうか。


高橋さんは、ここ数年、必ず原爆の句を寄せています。


2008年は、
「書き遺す原爆のこと空青し」(2席)
昨年は
「命とは一握の灰原爆忌」(1席)

これには黒田さんの次のような解説がありました。
「旧広島県立第一高等女学校1年13歳の作者は勤労動員を体調不良で欠席。
出席の生徒223名全員が被爆死した。
原爆の句を作ることは即ち祈ることであると記す作者である」


08年、09年は何れも、8月中の投稿でした。

今年はお見掛けしないな、と何となく気になっていたら、9月12日の紙面で拝見し、
何がなし、ほっとしました。