蓼科レコードコンサートとガリ=クルチ

海太郎さん、柳居子さん、有難うございます。

1. まず、柳居子さんのご指摘―
「最新俳句歳時記」の「最新」はおかしい−−は同感ですね。私も、題名を確認しながら同じ感想を持ちました。その点も書こうかと思ったのですが、すでに(いつものように)長くなりすぎているので、やめました。
しかし、人間、些細なことで共通する感覚をもつということはありますね。

人との付き合いで「共通する言語(same language)が大事だ」ということを言う人がいますが、本当にそうだなと思います。

もちろん「共通する言語」とはともに日本語や英語を喋る、という意味ではありません。



2. 海太郎さん、お久しぶりです。
体調が回復されたようで、まことに
嬉しく存じます。

長年の俳句を趣味にしている方に読まれてしまい、恥ずかしい限りです。
それにしても、中村草田男の「勝利のごとき地の明るさ」、印象に残ることばですね。

それと、やはり『英語歳時記』(研究社)
が愛読書ですか。
仰るとおり、共通する愛読書がある、それも例えば、ムラカミハルキのように誰もが知って・読んでいる本ではない、珍しい書物の場合、なおさらですね。

奥付を調べてみると、1968年出版、四季
プラス「雑」で5冊。
「夏」であれば、私のもっているのは70年版の4刷で、2年で4回も刷っています。当時こういう本を買う人が結構いたのですね。

定価1600円で、5冊あわせると8000円。当時としてはかなり高価な本を安サラリーマン
(私がサラリーマンになった1962年の月給が月9000円でした)の分際で、よく思い切って買ったものです。

海太郎さんのおかげで、この本、また何度も手にとることになりました。

有難うございました。


3. ということで、今回、お礼で長くなりました。

「共通する」が今回のキーワードなので、最後に、蓼科ビレッジでのレコード・コンサートに触れておきます。


18日から3連休の方も多かったでしょうが、私は、残暑を逃れて蓼科高原に逃避行。

高原がすでに秋の気配・・・・・稲が刈り取られ、コスモスが咲き、御柱祭りがあちこちで行われ、村の小学校で運動会が賑やか・・・でした。


友人のお宅に主客あわせて、3組の夫婦が集まり、早目の夕食とワインのあと、レコードを鑑賞しました。

ご主人夫妻のお宅に、このたび良質のオーディオが設置されたので、(CDではなく)お互いの・お気に入りのレコードを持ち寄って秋の夜長、おしゃべりしながら鑑賞しようというものです。
とくに、英国クォード(QUAD)のスピーカーがまことに素晴らしい。


4.もう1組のお客夫妻からは、ドレスデンの優雅な音楽堂で演奏したというバロックのレコードを聴きました。


小生は主としてピアノ曲で、デイヌ・リパッテイとバン・クライバーン。
前者は、フランス、ブザンソンでの最後の演奏会のレコード(彼は、この2ヶ月後、白血病のため33歳で亡くなりました)の中から、モーツアルトソナタK310とシューべルトの即興曲90. 「聴いていると涙が出てくるほどだ」(志鳥栄八郎)と評される演奏。


後者は、やはりモーツアルトソナタK330.
このレコードについては、昔、拙いエッセイでも紹介しました。


このほかに、懐かしきアメリカ・1950年代(いわゆる“オールディズ”)の歌手パティ・ペイジのレコードで、テネシー・ワルツ他を聴きました。
ちなみに、いま、以下のユー・チューブで聞くことができます。
http://oldiesus.seesaa.net/category/3213287-1.html

5. ご主人夫妻のコレクションからは、パブロ・カザルスの弾くバッハの無伴奏チェロ組曲(この日は、5番と6番)、と、アメリータ・ガリ=クルチのレコード(引退してからの記念版で彼女のインタビューも入っている)を聴きました。


とくに、後者は私のような素人かつ不勉強者は、名前を聞くだけでこのような記念盤のレコードが残っていることも知らなかったので、実に良いレコードを聴く機会を得てまことに幸せでした。


ガリ=クルチは、オペラ歌手(ソプラノ)。

エンリコ・カルーソ(テナー)やトスカニーニ(指揮者)とほぼ同時代の伝説的な音楽家です。

帰宅して、あわててネットで調べたら、ちゃんと日本語のウキペディアもあり、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AA%EF%BC%9D%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%81

おまけに、彼女が歌う「埴生の宿」をユー・ツーブで聴くこともできます。

なんとも便利な時代になったものです。





1882年イタリア生まれ、1910年代、20年代アメリカで活躍し、30年に引退。
以下、ウィキぺディアの引用です。



「1915年にアメリカへ。

ただし事実上の無名歌手としてであり、したがって滞米期間は短期間の予定であったが、シカゴで《リゴレット》のジルダ役で絶賛され、あまりのその熱狂的な評判に、シカゴ・オペラ・カンパニーに留まることを決心し、1924年まで共演を続けた。1921年にニューヨーク・メトロポリタン歌劇場にデビューし、1930年にオペラ界から引退するまでその後も同歌劇場に出演を続けた」


この日も『リゴレット』の中のアリアを聴きました。