政治家の資質と「立国は私なり、公にあらざるなり」

1. さわやかNさん、有難うございます。
それから加藤さん、Facebook
http://www.facebook.com/profile.php?id=100002034153468
に「教養あふれるブログ」「ゼミの講義を受けているようだ」とのコメント、恥ずかしくも光栄です。
ゼミかどうかはともかく、「少数」だけを考えて同志意識を大事に発信したいと思います。

実はKSEN仲間の中尾さんが、Facebookとブログの接続をしてくれたので、加藤さんのようなコメントが出てきて、まことに有難く、「教養とは何か?」など何れフォローしたいなと考えました。


2.他方でNさんのコメントからは
「公益とは何か?リーダーシップと政治家の資質とは?」
について改めて考えました。
国史から日本を考えるというのは面白いですね。
私の場合、どうしても専門がアメリカなので、日米関係から比較するということになってしまいます。


3.そもそも丸山真男さんも言うように「リーダーシップというのは政治学の用語です」。
この点に関して、いまの日本の政治家の名前を持ち出すのは私の好みではないのですが、たまたま最近の新聞で読んだ小沢一郎氏の発言から、この人は政治家(ステイツマン)ではないなと痛感したので、まずその点に触れます。


1月19日の新聞報道ですが、陸山会事件で強制起訴された小沢一郎氏が被告人質問で、起訴内容とされた政治資金収支報告書の虚偽記入とのかかわりを真っ向から否定したという報道に、氏がこう発言したとありました。


「私の関心は天下国家のことで、それに全力で集中している。
それ以外の仕事は秘書に任せている」

私は、これを読んで失笑しました。(本当にそうか、或いは裁判のための言い逃れか、はともかく、こういう言い逃れが通用すると思う、そのセンスに対して・・・・)
その理由を短く結論だけ書くと、以下の通りです。

この発言は、天下国家と資金収支のチェックを比較して、前者は次元の高い仕事で後者は秘書任せで構わないという価値観から来ているが、これが政治家として根本的に間違っている、と私は思います。


(1) まず、お金の流れ、特に自ら額に汗して得たお金ではない政治家の場合の資金収支、これほど大事な、「天下国家」に関わる事項はない。お金にタッチするのは秘書任せという発想は政治を理解していないといわざるを得ない。


(2) 次に「天下国家」を考えることは、医者が患者を治すことを、庭師がきちんと庭の手入れをすることを真剣に考えるように、政治家の当たり前の日常業務である。
前回、オバマリンカーンの信念を、共感を込めて紹介したことに触れましたが、
これを分かりやすく繰り返せば、
「政治家というのは、自分で「天下国家」の仕事をしたいと手を上げたから、私たちより少しは上手に、私たちのために「天下国家」仕事をやってくれるだろうと信じて頼んだ存在なのだよ」ということです。

「天下国家を考えている」というのは「政治家の仕事を普通にやっています」というだけのことで、自慢にもならないし、「政治資金の出入り」をチェックすることも、「自ら考える天下国家」を具体化するために政治家がやらねばならない大事な「仕事」である。
この点の自覚が全く欠けているのではないか。



(3) 第3に、「天下国家」について、これを他の「仕事」より次元の高いと考えることに大いなる錯覚があるのではないか。


我々庶民も、政治家に「天下国家を考えている」なんていわれると、つい「恐れ入ります」と恐縮・尊敬してしまいがちだが、別に、恐れ入る「仕事」ではない。
人間として誰かがやらねばならないというだけで、医者が患者を治したり
庭師が庭の手入れをしたりすることに比べて、どっちが高尚か、という話しでは
ない・・・・
この点は、そうかな?と思う人もいるかもしれない。やはり「天下国家」はもっと価値が高くて、意義が大きくて、大勢の人間・国民の運命を左右する大事な「仕事」ではないだろうか?と反論する人もいるかもしれない。


 この点を補足して説明するには、紙数が足りないので、(何れフォローするつもりですが)ここでは
「立国は私(わたくし)なり、公(おおやけ)にあらざるなり」
という福沢諭吉(言うまでもなく、小沢氏が学んだ学校の創立者)の有名な言葉を紹介するだけで、先に進むことにします。立国とは国を繁栄させること、天下国家と言い換えてよいと思います。


4. 実は以上は前置きのつもりだったのですが、どうも前置きだけで紙数が尽きてしまいそうです。

本当は、前回に続いてオバマ大統領のフォローをしたかったのですが。

タイム誌1月30日号が「オバマから見た世界」と題してファリード・ザカイア(政治評論家)が、4年間のオバマ外交を、もちろん誤りもあったにせよ、高く評価しています。
「私はアメリカ外交の道筋を変えたいと決意している」という彼の言葉を引いて、外交面での実績、あるべき世界像、アメリカのイメージ向上に資していると賞賛しています。
もちろん選挙民は外交より国内の厳しい経済に目が向くでしょうから、これが再選の大きなプラスになるかというと、そう簡単ではないでしょうが。


5.もっとも、この点を詳しく紹介している紙数はないので
ただ1点だけ。
『タイム誌』にはザカイアのインタビューも載っています。
ここで彼は、「あなた(オバマ)は、クールである、人間関係で距離を置く、お高くとまっている、例えばレーガンやブッシュ子のように、親しみ易く、国内外の政治家と個人的に親密にならない、という批判があるが、どう思うか?」と質問します。

これに対してオバマは、自分は違ったスタイルで、しかし、彼らと緊密な人間関係を保っている、と反論した上でこう答えます。

「たしかに、社交的な付き合いは少ないかもしれない。冷たいと思われているかもしれない。しかし仕事は山ほどあり、時間は限られており、しかも、私と妻は同時に良き両親でありたいと強く願っている。それは13歳と11歳の2人の娘にとってどんなに大事なことか・・・」

大げさかもしれませんが、私はこの言葉を読んで、感動しました。

もちろん小沢氏の発言と比較する話しではないかもしれない。


しかし、ここに、
一方で「天下国家を考えていて、資金収支なんか見ている余裕がない」という政治家と
「たしかにパーティに出席する回数は少ないかもしれない。しかし2人の娘との時間を持つことの方が私たちにとって大切と思う」と語る政治家(しかもアメリカの、ということはいわば世界のリーダー)とがいます。


ワークライフバランス」なんていう、奇妙な言葉を流行らそうとする前に
私たちは、「私」ということについてもっと考える必要があるのではないか・・・
と思った次第です。


5.ここまで書いたら、(小沢氏には無関係ですが)
国会議員の野次があまりにひどい、という友人からのコメントが同級生のチャット用のメールで流れました。
・ ・・テレビで国会中継を観た。ヤジはし放題。
しかも品性のない言葉の連発。発言しているのは皆選挙で選ばれた国会議員。

議会のヤジの多発は討議の妨害だ。発言を聞こうにも聞こえないほどだ。

ヤジを連発する議員を更迭するなど、何かお咎めはできないものだろうか。・・・・


情けなくて、涙が出ますね。
せめて「天下国家のこと」ぐらい、我が家に来る庭師なみに見事に・黙々と・責任感を持って・そして気持ちよく成し遂げてほしいと願います。