貴重なコメントと『危機の二十年』が語る戦争とは?

1.十字峡さん海太郎さん有り難うございます。貴重なコメントで考えさせられました。まず、「あたらしい憲法のはなし」の朗読会、いい催しですね。
私は昭和26年4月中学に入学しましたので、記憶にありません。私立だったので文部省の副読本は使用しなかったかもしれません。若い人が参加しているのが嬉しかったというお気持ちよく分かります。
さすが京都でしょうか。東京にはもっと催しが多いでしょうが、町のサイズが大きすぎて情報が拡散しているような気がします。京都はこういう情報が伝わり易い場所なのだなと思いました。


2.海太郎さんのご指摘はまことにご尤もです。
「なんとアホな戦争をしたことか」を始め半藤さんの文章をそのまま引用したのですが、確かに読み手に違和感を抱かせるところはありますね。
半藤さん自身は、戦争がいかに愚かしいものかを伝えたい気持ちだったと私は理解していますが、この部分だけ引用すると、そう受取れないと思う方もいるでしょう。
これは引用者である私の責任です。

ただ、重要な問題提起だけに、花見の前にじっくり考えてみますが、

「戦争で得るものが多かった、ロス以上に見合うプロフィットがあった、としたらどうなのでしょう。戦争をやっても良かったのでしょうか?」
また、「人の土地へ出かけていって、国土を荒廃させるようなことは損得勘定の視点をはなれ、すべきでないと思うのですが・・・」
という疑問には反論できませんが、そもそもこの問題は、
(1)じゃ国家は、何のために、なぜ戦争をするのか?無くせないのか?
(2)正義の戦争はあるのか?戦争が肯定される場合があるのか?
という問いに拡がっていくように思います。


3.「戦争に正義があるのか?」について、学者はよく以下の4つに分けて説明します。
(1)「正しい戦争(聖戦)はある」という積極的正義論、例えば、過去の十字軍の指導者や、イラク戦争におけるブッシュ政権など。

(2)「専守防衛」や「人道的介入」の場合など、ごく限定的な・やらざるを得ない戦争があるという消極的正戦論。

(3)「戦争は悪だが、なくならない。しかも、ある戦争が良いか悪いかの判断は困難である。だから、ルールを決めること(例えば科学兵器の使用禁止とか)が最も大事」という、無差別戦争観。

(4)「戦争は悪であり、やるべきではない」という立場で実際に発言し行動する絶対的平和主義。個人のレベルでは「良心的兵役拒否」の立場。

しかし、学者がこんな風にきれいに整理したからといって、言うまでもなく、現実はそう簡単ではありません。
殆どすべての国家が、自衛のため、あるいは正義のため、あるいは自国の安全保障のためと銘打って戦争を始めたことは(70年以上経ってもそう主張する人がこの国に少なくないことも)ご承知の通りです。
だから(1)と(2)を第三者が判断するのはまことに難しいし、
どの国家も国益と称する「プロフィット」を守るために「ロス」を覚悟しても戦争するのではないか?

(4)がもちろん理想でしょうが、国家が政治権力(と道義)の集合体であるとすれば、それはやはり無抵抗の理論であり、政治のボイコット,「国家」の否定につながらざるを得ない、と英国の歴史家E.H.カーは言います。(『危機の二十年』1939年邦訳は岩波文庫


彼はまたこうも言っています。
「戦争は、主要戦闘国すべての胸中においては防御的ないし予防的性格をもつものであった。これらの国は、将来の戦争で自国が一層不利な立場に立たれないようにするため戦ったのである」

そして「人間というものは、すでに持っている物に加えて、さらに新しい物が獲得できるという保証があるときでないと、物を持っているという安心感にひたれない」というマキアヴェリの警句を引用し、その後すぐに、
「安全保障という目的のために始められた戦争は、たちまち攻撃的、利己主義的になるのである」
と結論づけます。
もう1つ、彼の以下の言葉も引用しましょう。
「「侵略に抵抗する」という明白かつ私利私欲のない目的のために戦争を行うのだという主張は、集団安全保障理論の誤りの1つである」。

これらの言葉を集団的自衛権の法制化に熱心な某首相に、ぜひ読んでもらいたいと思いますが、彼はそもそも真面目な本を読んだことがあるのでしょうか?


4. ということで、いささか長く・硬い文章になりましたが、海太郎さんの指摘・疑問はまことに重要ですが同時に、現実には、
戦争を無くすことが、政治権力の集合体である「国家」の属性からして、いかに難しいかも考えざるを得ないと思います。
カーは「戦争は他の手段による政治的関係の継続にほかならない」というクラウゼヴィッツの言葉を引用して、残念ながら悲観的です。
とすれば、かなり現実的かつシニカルな見方になりますが、
「せめて、損得勘定をして損だと思ったらやめてほしい」
という最低限の主張をしたくなるような気持にもなるかもしれません。


人間の習性・本能を変えることがいかに困難か・・・
最後に、硬い話題からまったく逸れて、もと同じ職場の年下の友人から来たメールを紹介して終わりにします。
彼は第2の職場として、中堅商社の人事管理部門の責任者として働いています。
最近の若者についていろいろと戸惑ったり対応に悩んだりすることが多いようで、時々メールで私に意見を求めてきます。どうやら、私が大学勤務もあって最近の若者の気持ちをかなり知っていると誤解して訊いてくるようです。

今回は「一般職で入社した女性の社員は、なかなか仕事は出来るのだが、ガムを噛みながら仕事をすることが多い。上司から指示を受けるような時もガムをかみながら聞いている。
これ、どうしたものだろうか?注意してやめさせていいものだろうか?
大学のゼミでそういう学生が居ただろうか?どう対応したか教えてほしい」
というメールです。
さて、どう返事したらよいか、考えているところです。