まだジョン・グリシャムの“The Racketeer”と国家の論理


八ヶ岳山麓はいまバラの花が盛りです。
そばの花も満開です。
1. 前回は、人気作家ジョン・グリシャムの新作を取り上げました。物語のメッセージは、
(1) 迷宮入りの殺人事件の凶悪犯人を知った者がそれを告発することで、自分が罪人であっても恩典と減刑を受けるという法律が現実にアメリカにある。
(2) 小説ではそれを利用して、国と取引をして契約を結び、服役の途中で自由の身になる男がいる。
(3) 犯人の報復を防ぐべく、国は彼の身の安全を100%保障する。

殺人犯を捕まえるという「正義」を実現するためには手段を選ばないという、アメリカの「法」のあり方です。
「善」よりも「正(義)」を優先する国家のあり方と言ってもよいでしょう。


2.しかし、この小説に興味があるのは、(1)このような国の論理だけではなく、(2)国の「正義」と自ら考える「正義」とが異なる場合、後者にこだわる、場合によって国に敢然と「戦いを挑む」個人の思考と行動です。


「私たちは、国家と社会契約でつながっているのだから、国家のやり方に納得しないなら、それに挑戦することは「正義」である」という考えであり、
それは、(良くも悪くも)エドワード・スノーデンの行動にもつながるでしょう。



3.(1)小説の主人公Aは刑務所を出て、国(この場合はFBI(連邦捜査局)と州の保安官)の完全な保護下に置かれる。整形手術もし、別の・新しいアメリカ人になり、住居も提供してもらう。定期的に保安官が訪れて、状況をフォローする・・・・。


(2)しかしAの真意は、そういう保護をしてくれる国の、他方で「正義」ではないと彼が考える行動と判断(つまり自分を起訴し10年の禁固刑に処したこと)に独力で挑戦することにあります。


(3)FBIは、Aを徹底的に保護する。
ということは、彼の行動や居場所を完全に監視下に置くということでもあります。
自宅の電話もインターネットも銀行口座もクレジットカードの買い物も、どこに外出するかも、車の移動先も、全てFBIはつかんでいます。


(4)彼は、国家(この場合は司法)の自分に対する有罪判断が間違っていた(と自分が信じる)ことに挑戦するために、ある行動を取ろうとし、そのため、保護される安全さを犠牲にし、リスクを負ってでも、このような監視から自由になろうとします。
FBAをいわば「こけ」にして、彼らの監視の届かないところで、独力で自らの目的を果たそうとします。

もちろん「所詮フィクションさ」と言ってしまえばそれまですが、

彼の、国家に対するクールな感覚、決して100%は国家を信用していない思考、たった一人でも権威と戦う姿勢は、日本人である私には、痛快でもあると同時に、とても出来ないなあという違和感も覚えます。

(5)Aはもと弁護士で。実行力や決断力に優れ、頭脳も明晰。
それだけではなく黒人です。
ロースク−ル時代に首都ワシントンの超一流の弁護士事務所でアルバイトをした。仲間17人のうち彼だけが卒業後そこに就職出来なかった。
しかも首都での就職活動に全て失敗し、郷里の・全く流行らない・黒人2人で
細々とやっている事務所に雇われる。

(6)主人公には当然に、社会システムに対する「ルサンチマン(強者に対する社会的弱者の恨み・怒りなど)」がある。
アメリカには「ルサンチマン」を肯定する文化があるだろう。
ルサンチマン」はどちらかと言えば公憤ではなく私情として否定的に捉えられますが、
そのような個人的な私憤が、社会を変えるモメントになるとして、肯定される社会がある・・・


(7)Aは、巧妙な戦略を駆使してFBIを翻弄し、その結果、自らも大きな利益を受けて、作戦大成功となる。
日本人だったら「なんだか国を騙して私腹をこやしたみたい」と非難されるかもしれない。
しかし、この国は、こういう、多少は「悪知恵」でも「よくやった」と評価される。
「正義感」が、100%純粋な正義感ではなく、人間である以上当然に「私欲」と共存していて、それでいいじゃないか、と共感する文化がある、
ということでしょう。


4.今回もエドワード・スノーデン→国家と個人をひきずってしまいました。


せいぜい、時々口先やブログで政治家の悪口を言うぐらいで、何の行動も挑戦もしない、お上にまことに従順な典型的な日本人である私は、都会の暑さも選挙の訴えも新しく解禁された「ネット選挙」も敬遠して(もちろん投票はしますが)、田舎に逃げ出しております。

暇にまかせて読み終えたアメリカの大衆小説を横に置いて、
日本には、深刻な対立も挑戦もない、平和だなあ、と言うべきか、
あるいは、どこかに孤独な戦いを挑んでいる同胞が居るかもしれないのに目を向けない、
つまり、他人の問題を自分の問題として意識と具体的な行動に示そうとしない
私自身が怠惰なのか・・・・
(あえて固有名詞はあげないが、日本にだって、ルサンチマンを抱いている被害者や弱者はたくさん居ると思うのだが)

そんなことも考えました。