都市・つながり・そして京都

1. Facebookの中島さん、arz2beeさん、コメント有難うございます。
たしかにオーストラリアの某教授は、「ラッキー・カントリー(幸運な国)」という別名のある、日本と同様に「普遍的価値観」とは関係なさそうな国からの発信ですね。

「普遍的な原理」の不足ではなく、むしろ想像力が乏しいのではないかという中島さんの指摘は面白いですね。憲法9条については私も同意見ですが、ただ、日本人一般にそういう意識があるかどうか、行動の規範になっているか、そういう世界観で思考しているかというと、どうでしょうか?


2.arz2beeさんご指摘の通り、広井氏の著書は決して目新しい主張ではないかもしれませんが、よく整理されているのが特徴かと思います。
副題が「つながり・都市・日本社会の未来」とあるように、都市も中心のテーマであり、彼が言うところを以下に聞いてみましょう。

(1)ヨーロッパなどの街と日本の街との、ある意味で根本的な違い・・・その核のひとつにあるのが「都市」というテーマではないか。


(2)「根本的な違い」にはソフト面とハード面の両面があるが、


(ソフト面)日本における人と人との関係のあり方の特徴として、「“身内”あるいは同じ集団に属する者の間では、過剰なほどの気遣いや同調性が強く支配する反面、集団の「外」にいる人間に対しては、無視か、潜在的な敵対関係が一般的となる」→「社会的孤立」が生まれる所以。


ハード面・・・・現在の日本の都市(特に大都市)の景観は残念ながら世界的に見てももっとも醜悪といわざるをえない状況にあると思う。
(なぜか?)


日本の都市とりわけ大都市においては、個々の建物が文字通り“孤立”して存在している。
つまり個々の建物が、その形状や高さ、色等を含めて、周囲との調和や街並み全体のまとまり等といったことを一切配慮することなく、ただバラバラに存在している。


(3)そして大事なのは、ソフトとハードが裏腹だということ。つまり、
人と人との関係のあり方という「ソフト面」と、建物どうしの関係や全体としての街並みという「ハード」面のありようとは不可分の関係にあるということである。
(注・・・人と人が社会的に孤立しているからこそ、街並みも調和がなく、孤立している。従って醜悪である)


(4)ここから著者はさらに、「市民」の概念もまた不可分であると指摘します。

「都市型コミュニティ」をささえる「市民」とは、資格あるいはメンバーシップであり・・・その「つながり」の原理をなすのは(農村型コミュニティを支えるのが、情緒的・非言語的一体感であるのに対して)
言語的・規範的なものであり、「個人をベースとする公共意識」と呼びうるものがその実質をなす。


そこではある種の“普遍的なルール”ないし“原理・原則(基本的理念)”が人と人とのつながりを支えており、逆にいえば、そうしたルールないし基本理念への賛同あるいは遵守を示せば、その限りにおいてそれは誰に対しても「開かれた」ものなのである。


3. 広井氏の紹介はこれぐらいにしますが、
「都市」と「個人をベースにしたつながり」と「普遍的な原理に支えられた人と人との関係性」とが同じ土壌にあること、そこから「美しい都市の景観」も生まれてくる・・・
この指摘に賛同できるかどうかが、ポイントになるだろうと思います。


その意味から、広井氏は以下の増田四郎の『都市』の1節を引用しています。


・・・以前、「東京は世界最大の村である」という表現をよく聞かされたが、ヨーロッパの町々を廻り、そこに数ヶ月でも住んで帰って来ると、このことばはまことにうがった表現であったような気がする・・・・



4. 実は、私はこんな箇所を、京都に行く新幹線の車中で読んでいたのですが、
「おそらく、京都は日本に珍しく、都市型のコミュニティの性格を多少そなえた街ではないか」と感じました。

今年に入って、3月までの3ヶ月に7回、京都・東京を往復しています。
たいした用件ではないのですが(3月10日は昔の同僚の結婚披露宴ですから、これは大した用ですが)、それでも、ちょっと京都に用事があるというと喜んで飛んでいきたくなります。


別に、観光することもなく、寺社やお庭や文化財を拝見することもなく、時間があれば、御所のお庭でも歩いて、
「イノダ」か「進々堂」で朝食をとって、寺町や三条あたりをぶらぶら歩いて、それで十分満足です。
このあたりを歩いていると「個々の建物が文字通り”孤立”して存在している」という感覚が、さほどにはしません。
もちろん、京都の町家の家並みは昔はもっとはるかに美しかったでしょうが・・・・

三条の古い旅館の前に「駐車禁止」の掲示があって、それが
「駐車は遠慮しておくれやす」
とあり、こちらは裏で、表には「京の三条にようこそおこしやす」と表示してあります。
こじつけと言われるかも知れませんが、一方的に「駐車禁止」と書いてあるより、
「ルールないし基本理念への賛同あるいは遵守を示せば、その限りにおいてそれは誰に対しても「開かれた」ものなのである。」という広井さんの言う「都市」感覚に近い言語ではないでしょうか。


先日は、三条通から、文化博物館の「北斎展」を見てきて、さすがに日曜で混んでいましたが、それでも何となく余裕があって、満足しました。
北斎生誕200年記念でホノルル美術館からの展示。
アメリカ人の小説家ジェームス・ミッチェナーの浮世絵コレクション5千点強の一部が中心の展示とのこと)

「市民」というと大げさですが、京都にいると、ほんのつかの間の滞在客であっても「メンバー」に入れてもらったような気持ちになるから不思議です。


5. 何となく、別の国の都市にも短い滞在をしたい気持ちになっていたところで、
しばらく留守します。
PCを持参しない旅なので、次回のブログ更新は、21日以降になります。