福澤諭吉か?福沢諭吉か?

1. アメリカの(1)リタイアメント・コミュニティと(2)ホーム・スクールについて、
フェイスブック上の中島さんのコメント有難うございます。
個人主義の中から新しい共同体を建設しようという理念・・・・」
ですか。なるほど。

(1)(2)どちらの場合も、以下のような発想でしょうね。
「自分たちのやり方で、高齢者のコミュニティを作りたい」あるいは「子ども達を教育したい」
「どうぞご自由に。その代わり、支援は一切ありませんよ」
「もちろん結構です。自分たちとボランティアと、寄付を募ります」

こういう思考と行動が可能な社会が存在するということ自体、面白いですね。
しかも、「こりゃ面白そうだ。金を出そう。応援しよう」という富豪やボランティアが必ず現れる・・・・
他方で、
「誰かがやってくれることに頼り、それに文句だけは言う・・・」という社会もある。


日本でも「逝きし世」には、むしろ寺子屋にこういう自由さがあったかもしれません。
福沢諭吉が学んだ「適塾」も彼が始めた慶応義塾も、元来の発想はホーム・スクールとあまり変わらないのではないか。

これが福澤の考えた「独立自尊」の1つの姿ではないか。
因みに慶応義塾のホームページを開けると真っ先に、「独立自尊」について以下のように説明しています。http://www.keio.ac.jp/ja/about_keio/index.html

「独立」は権力や社会風潮に迎合しない態度、「自尊」は自己の尊厳を守り、何事も自分の判断・責任のもとに行うことを意味し、これは慶應義塾の教育の基本です。


2. ということで、そろそろ福沢諭吉です。
昨年から、世田谷市民大学という生涯学習のクラスで15名の仲間と「福澤諭吉を読む」というゼミに参加しています。

2年コースで2年目が4月から始まりました。
昨年は、『福翁自伝』『学問のすすめ』『文明論の概略』他を読み、各自が発表し、賑やかに議論しました。
ブログにも度々記録しましたが、昨年11月の「権力の偏重と丸山諭吉」あたり  を最後にお休みしています。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20111109/1320833720



春休み中には各自が『西洋事情』を読み、2年生になった今年度は、短い文章を多く読むという方針で、
「窮理図解」「帝室論」「丁丑(ていちゅう)公論」「痩せ我慢の説」と続きます。

今回のブログは、下らないと言えば下らない問題提起で
福沢諭吉か?福澤諭吉か?どちらの表記を取るべきか?」です。


3. そんなこと、何で気になるの?と不思議に思う人の方が多いでしょう。
どうも私は妙な性格で、こういう些細なことが気になります。

もちろん本人が生まれたときは「福澤」しかなかったでしょうが、
いまは新聞・出版物は姓名も当用漢字が原則なのか、本人の著書も解説書も「福沢」表記が普通です。


他方で、ゼミの先生は慶応の「福沢研究センター」の所長ですが、自ら「三田評論」に書かれた論文の表題は「福澤諭吉の学問観と「文明」」。
ゼミでは研究センターの所員を2人招いて講義がありましたが、
1人は都倉准教授で「福沢諭吉の戦略的思考」という表題。
もう1人は、西澤教授で「福澤諭吉の女性論・家族論とその現代的意義」でした。


4. なぜ、こんなことが気になるか?
昔、團伊玖磨(だん・いくま)という作曲家が居て、「パイプのけむり」という随筆がよく知られていました。
その中に、「自分の名前は“團”であって、“団”では断じてない。
団伊玖磨という宛名で来る郵便物は中身を見ないで、紙屑箱に捨ててしまう」
という文章があって、自分の姓名というか、その表記にここまでこだわる姿勢に妙に感心しました。


以来、知人・友人の姓名を書くときなど、「渡辺か、渡邊か、渡邉か?」あるいは「吉沢か?吉澤か?」など、従来以上に気を遣うようになりました。


5. というような訳で、西澤教授の話を聞いたときに、
「頂いた先生のレジュメには、福澤研究センター所員とありますが、正式には「福沢研究センター」ではありませんか?澤と沢をどう使い分けておられますか?」
という、まことに詰まらぬ質問をしました。


こういう答でした。
「ご指摘の通りですね。実は、自分の名前に引きずられてしまうのです。
西澤というのは夫の名前で、私自身は、まったく拘りがないので、西沢と名乗っていたのですが、ある時、夫の母から『我が家の姓は西澤なので・・・』と言われて、以来、西澤のみならず、福澤を使うようになってしまいました・・・」
なるほど、我が家の姓は「団ではなく、團だ」と主張する姿勢と同じだな、とよく理解した訳ですが、
面白く思ったのは西澤先生の、
「自分はどちらでも気にしないし、もっと言えば、福澤諭吉自身、どちらでも全く気にしない人物だったと思う」
というコメントで、なるほどと思いました。


6. 因みに、西澤先生は、講義にあたって、福澤諭吉の「人となり」について、
「好奇心・積極性・合理主義者・情愛の人・人間が好き」
というキーワードで紹介しました。

彼が合理主義者・功利主義者・プラグマティストであるとは、多くの研究者が指摘することです。

これは平たく言えば、「しがらみや伝統や昔からの約束事に捉われない・拘りがない」「形式より実質を大事にする」精神の姿勢といえましょう。
福翁自伝』を読むと、彼のそういう性向が明らかです。下級とはいえ武士の出というのに、自分の家名・先祖・出自などに全く関心がない。
名前は符号と考えている節があって、9人の子供を持ちましたが、4人の男の名前は、一太郎、捨次郎、三八、大四郎、と全く、味もそっけもありません。
「三八」に至っては、三男で八番目の子供だから!


明治になって、平民一般に苗字をつけることが可能になったことはまことに結構だが、妙に格好つけた名前が増えた・・・とからかうような文章も書いています。
(「姓名の事」『福澤文集』明治11年


少し話が逸れますが、彼が生前から、位階・勲章・爵位・学位のたぐいに一切、興味がなく、全て断り、それを知っている遺族が死後の遺贈も、一切受けなかった、というのはよく知られています。
これも合理主義者らしい一面でしょう。

(蛇足ですが、慶応義塾はその伝統を受け継いで、大学のもと教職員のために、勲章の推薦をするということは一切やらないそうです)

「本人は、福澤だろうが、福沢だろうが全く気にしなかったのではないか・・」
というコメントは、まさに彼の生来の思考と行動を要約したような理解で、
私自身、ずっと「福澤と表記しようか、福沢にしようか」と悩んでいたのですが、「彼はどちらだって気にしないんだ」と思い、おかげでだいぶ気が楽になりました。