5年で買い換えるPCと古い上着の話

1. このブログは、なるべく1週間に1度、日曜日の更新を心がけています。


日曜日には、過去の1週間を思い出し、今回は先週のPC騒動の続きと、「古い上着よ、さようならではなく、今日は・・」の話かなと感じており、以下は、そんな詰まらぬ話です。


2. PCについては、むせたお茶を画面にこぼして動かなくなり、やむなく新しい東芝ダイナブックを購入し、同時に旧ダイナブックを修理に出したのですが、予想より早く・安く直ったので(むせたお茶なので幸いに大量ではなかった)、秋葉原東芝PC工房まで取りに行きました。

ということで手もとには何と新旧2台のパソコンがあります。新の方が当然に軽く・立ち上がるのも早いですが、まだ不具合があり(私の操作ミスもあるかもしれませんが)
重くて遅い旧パソコンを主に使っています。
「大枚を払ったのに、勿体ない」と脇で家人がぶつぶつ言っています。


3. 家人の「勿体ない」を、少し補足すると、先週、古い上着を1つ修理したのですが、この費用がPC購入の10分の1で済んだ、これは少しおかしいではないか、という、そういう主張なのです。


つまり、大量生産の、中国製の機械製品と、1人の職人さんが時間を掛けて丁寧に手作業で直してくれる、後者の方がよほど価値ある労働ではないか、それなのに対価が全く見合っていない、こう言いたいのです。
もちろん、これは需要・供給に基づく経済学的に理屈の合う話では毛頭ありませんが(つまり今時、上着の直しをする人が居るか・・)、気持はよく分かります。
ということで、この「気持ち」の背景を補足したいと思います。

4. 直してもらったのは、私が長年愛用しているフラノのジャケットです。
思い起こせば、馴染みの洋服屋さんに仕立ててもらって、もう30年近く、主として晩秋から冬にかけて4カ月ぐらい着ています。私の場合、幸いに体形があまり変わらないので長く着ることが可能です。
しかし、さすがに、袖は擦りきれ、裏地は破れてきて、それでも着続けていたのですが、流石にもう寿命かなと家人と話合いました。
この程度なら、直しに出してもまだ着られると思うのですが、馴染みの洋服屋(Sさん)はもう83歳、「申しわけないけど直しは出来ません。手が動きません」。


 そこで家内はたまたま知り合いに、京都宇治に居る、まだ60歳台の洋服屋さん(Tさん)が居るのでこの方に頼んだらと電話したところ、「喜んで」ということで若干時間はかかりましたが、直してくれました。
それが先週届いたのです。
かけはぎもしてくれ、袖の擦り切れたのは1センチほど縮めてくれ、裏も新しく、お陰さまで、新品のようになりました。「さすがに日本の職人さんの仕事は一種の芸術だ」と感心しました。

送り返してくれた上着には手紙が同封されて、「とてもいい生地でしっかりしています。今どき、こんないい生地は手に入りません。まだまだ十分着られます。大事になさって下さい」という手紙とともに、1万円の請求書が入っていました。

. そこで家人が憤慨した訳です。いくら何でも、これは安すぎる。もちろん知り合いということで配慮してくれたかもしれないが、それにしても、新しくPCを買うのと、違いすぎる・・・10分の1以下ではないか、むしろ逆ではないか・・・・
(もちろん、そもそも需要がなく、定価がある仕事でもなく、知り合いに頼まれた、ボランティアのような意識だったのでしょうが、結局、勝手に割り増してお払いしました)


 要は、仕立「直し」なんてもはや「仕事」にならない、そんなことを頼む人は日本にはまず居ないということでしょう。

「家電製品が壊れたら、部品の取り換えはもう出来ない、出来たとしても高くつく、それより新しい製品に買い換えたほうが安いし、物もいい」・・・・そういう時代です。
「親の形見なんで大事にしたいんですが・・・」と言っても、まず難しいでしょう。


5.当り前でしょうが、そもそも日本には、そういう職人さんが居なくなりました。
背広の上着のボタン。私のように20年も30年も着ていると、年中留めたり外したりしている訳ですから、取れてしまいます。この、上着のボタンをもういちど取れないように縫いつける仕事・・・・裁縫が得意な家内は「私でも出来ない。付けてもすぐに取れてしまう。さすがにプロの職人さんは違う」と言います。

83歳になるSさんによると「仕立屋の職人の修業では、まず背広のボタン付けから仕込みます。これがちゃんと出来るようになるだけで、2年はかかります」だそうです。

ということは、今時、そんな悠長な・辛抱強い修業に耐えられる若者は居ません。
どっちが先か分かりませんが、仕立てた背広を着る、あるいはその良さを知る日本人も少なくなっているのではないか。ブランド物の上着の方がよほど流行に合って恰好いい、そういう若者が主流ではないか。
とすれば、ボタン付けに最低2年はかかるような「洋服の仕立て」を一生の仕事にしようなんていう若者が出てくる訳がない・・
かくして、SさんもTさんも自分の息子を始め、後継者が居らず、何れは消えていかざるを得ないのです。


6. 私の場合、若い時から極端に痩せて手足が長く、当時出来合いの背広は体に合わず、たまたま家人の父親が愛用していたSさんを引き継いで、ずっとお願いしてきました。
もちろん作る時はかなり高い買い物です。しかし、20年、30年も着れば、とても安く付く、経済的にも十分、元が取れるのではないか。おまけに体に合って快適で(流行にはまったく関係ないが)、お馴染になってしまえば、何とも便利です。
着る物を含めて買い物が大嫌い、無精でデパートなどに出掛けるのが大嫌いな私にとって、最初の「型どり」や生地の打ち合わせ、その後の「仮縫い」,すべて週末に自宅まで来てくれる、一度作れば、ちょっと体形が変わっても丁寧に直してくれる、海外勤務の多かった私の場合、先方に型紙があるので頼めば作って海外まで送ってくれる・・・
サラリーマンにとって背広は仕事着ですが、40年近く、全くSさんを頼りに、親しく付き合い、職人文化についても聞いて面白かったです。
そういう、日本の誇る「職人さんの文化」もいま消えようとしているのでしょう。


詰まらぬ思い出話を長々としてきました。まるで新品みたいに直ったフラノの上着を、これを着てあそこに行った、あんなことがあったと思い出しながら、これからも生きている限り通して35年は着られるかも、と喜んでいるところです。
家内は、Sさんに手紙を書いてこのことを知らせたところ、自宅にすぐに電話がかかってきました。「洋服屋冥利に尽きます」と先方もとても感激していました。
いまも、そういう年配の・昔のお客さんが10人ぐらいは居るそうですが、もちろんこういう職業と同じようにお客の方も年々減っていくことでしょう。

最後になりますが、たまたま、思い出深いこのジャケットを家でも身に付け、朝食を取りながら新聞を読んでいたら、『フランス人は10着しか服を着ない』という題名の本があるそうで、これが44万部も売れるベストセラーになっているという広告が載っていました。
10着どころか、『ある日本人は1着を30年以上着ている』なんて本を書いたら、ベストセラーになるでしょうか・・・・・。まず無理でしょうね。