まだ日本語やらクロスワード・パズルやら

1.t-kono1223さんのコメント、水村さんの『日本語が亡びるとき』に興味を持っていただき、有難うございます。
お勧めの金谷武洋著『日本語は亡びない』(ちくま新書2010年)は未読ですが、サイトを覗くと、著者はカナダの大学で日本語を教えている人だそうで内容紹介に、
「・・・庶民の間では現在も将来も、日本人の生活語は日本語だけに留まるであろう」
とありました。外国に占領でもされないかぎり、それはそうでしょうね。


これも同じ出版社というのが面白いです。
筑摩書房さん、まず「亡びる」で売り、次は「亡びない」でまた稼ぐ・・・商売上手ですね。もちろん、真面目な本のようです。
水村さんのも題名はセンセーショナルですが、本当に「亡くなる」と言っている訳ではなく、きれいな言葉を読み・書き、それを通して文化を継承していきたいと言っているだけでしょう。例えば、こう言います。


―――(国語教育において)日本人は何よりもまずは日本語ができるようになるべきで
あるという前提を、はっきりと打ち立てるということ。
人間をある人間たらしめるのは、国家でもなく、血でもなく、その人間が使う言葉で
ある。
日本人を日本人たらしめるのは、日本の国家でもなく、日本人の血でもなく、日本語
なのである。それも、長い<書き言葉>の伝統をもった日本語なのである。<国語>こそ、可能な限り格差をなくすべきなのである ―――


著者が12歳から20年米国で暮らしたことは前回も触れましたが、元旦の日経で、漱石について堀井敏幸氏との対談が載っていました。
対談で彼女は、漱石のロンドン滞在時の日記にある「つくづく日本を思う」を引用して「異国にいると、(略)日本のことを考えずにはいられなくなる。私の書くものにも「日本」という表現がついつい多くなってしまいます」と語っていました。
多少は異国に長く暮らした人間の1人として、そういう水村さんの述懐は分かる気がします。
しかし、その思いがあまりに強く出るとナショナリスティックにうけとる人も現れる。ポピュリズムにも外国人排斥にもつながりかねない・・・そこは警戒しないといけないでしょう。
本人の思いから離れて、言説を曲解して利用する人も出てくるのではないか。
なかなか難しいものです。

2. 先週は昔の職場の仲間による新年会が、横浜の海の見えるホテルであって、そこに出ながら、そんなことを考えました。
昔会社で一緒だった仲間がいまも夫人同伴(もちろん全員ではありませんが、夫を亡くした未亡人で出席する方もいます)で集まるというのは珍しいかもしれません。これも、仕事の関係で「全員が異国に(人によっては10年も20年も)暮らした」という経験が多少影響しているかもしれません。だからといって「ナショナリスティック」な人は誰もいません。
ナショナリスティックにならず、しかし「違うこと」を意識して、それぞれの「違い」を認めるという姿勢は持っているような気がします。


高齢ということもあって、急きょ欠席した人もおり、出席者もそれぞれに健康や親の介護などを抱えて、いつまで続くかという懸念を覚えながら、それでもせめて元気でいる間は明るく過ごそうという気持ちで集まった人が多かったでしょう。

普段は、「難民」も「テロ」もさほど気にせず、(申訳ないですが)福島も沖縄も遠く、平和に暮らしている人が多い筈です。
しかし実は、明日は何が起こるか分らない・・・・
もちろん高齢者はそういう不安を自分の体に抱えている訳ですが、それでも実際に起きるまでは、遠い世界の出来事のように思える。
しかし突然、身近に意識せざるを得ない出来事もある。


実は、今回の軽井沢でスキーバスが転落して大学生15人が死亡した悲劇で、間接的ながら、そういう思いを強くしました。

大学4年生で就職も決まっていた某さんは、父親が私の息子の会社の同僚だった・・・
もう1人、大学1年生の某々さんは、孫と中学高校の同学年だった・・・


ごく身近なところで悲劇は起こる、しかもいつ起こるか予想もつかない、
本人は言うまでもなく、関係者にとっても辛い悲劇が日々、どこかで起きているのだと改めて思います。
私たちにできることは、その日その日を自分なりに精一杯過ごすこと、しかも謙虚に過ごすこと、それぐらいでしょうか。

3.しかもそれが若い人に起きた場合、無念はいっそう募ります。
たまたま大学受験の時期です。
話は変わりますが、毎日新聞が毎週土曜日に「クロスワード・パズル」を載せていて、中高時代の友人の某君が購読しているので、親切にも友人4人にメールで送ってくれます。
これが夫人連中にとても評判よく、皆メールを待ちわびています。
実によく出来たパズルのようで、時事問題や季節の出来事を盛り込んだ出題が多いようです。
私は世事にうといので、手掛けません。とくにTVや新聞の社会面スポーツ面の話題など苦手でさっぱりわからず敬遠しています。
家人は大のファンで、メールが届くといそいそと鉛筆をもってテーブルに向かいます。
時々、分らないことがあると傍にいる私に助けを求めますが、敵もよく分かっていて、「これなら答えられそうだ」という「問い」しか訊いてきません。あとは、困ると辞書やインターネットの検索に頼っているようです。
最近訊いてきたのはタテのカギかヨコのカギか忘れましたが「フランスの文学者でノーベル賞を辞退した・・・・」、これは質問を終える前に間髪を入れずに答えました。
もちろん「(ジャン・ポール)サルトル」ですが、新年早々の出題で今年の干支「サル」をテーマにした出題が多く、よく考えて作っています。
先週は「ラジオの大学受験講座のテーマ曲に使われたブラームス「大学――序曲」は?」という質問を家人が「祝典」だっけ?と確認してきました。
受験のシーズンだなあ、と昔ラジオに向かってこのメロディを何度聴いたことかと懐かしく思いました。

ちなみにこのパズル、毎回、「クロスが完成したら埋めた文字の中から指定された幾つかの文字をつなげた言葉を答えろ」という質問が最後にあって、今回は
「カゼヒカヌヨウニジュケンセイ」でした。
実によく出来ています。ウィットにも富んでいるようで、「出題者西尾敏也」とありますが、どういう頭脳の構造になっているのかまことに感心します。
日本語の勉強にもなることでしょう。
友人が送って来始めたのは去年の2月14日 。
家人はそれから今日までの47回分 全部を取ってあります。