JR東海からジパング会員証不携帯で制裁を受けた話の続き

1. 前々回のブログに書いた「和歌と短歌の違い」について我善坊さんから丁寧なコメントを頂き、お礼を忘れました。周回遅れですが、勉強になりました。俳句の「型からの解放」は芭蕉から、他方で短歌の「(和歌からの)解放」は子規からですか。
「型」について考えると面白いですね。「保守」は「型」ではないかと思う者ですが、真正保守主義者を自認する我善坊さんは、どうお考えでしょうか。


2. 他方で、前回のブログは「JR東海からジパング会員証不携帯で制裁を受けた話」でしたが、arz2beeさん、まことに有難うございます。
「それが決まりですからは怖い」のコメントはまさに正論ですね。一見いんぎん無礼だが要は「問答無用」の風潮が社会にはびこっているのでしょうか。

実は、このブログにはフェイスブックや個別のメールなどいろいろとコメントを頂き、感謝しております。
そこで今回、頂いた内容の一部を報告させていただきます。

3. まず、フェイスブックで「理路整然とした反論はお見事で、こちらの方が私には参
考になりました」というお褒めの言葉を頂きました。光栄の至りですが、でも結局「のれんに腕押し」ですから意味ないですね。


4.次に私と同じように、今まで「ジパングの会員証&手帳」の携帯を忘れて乗車している方が結構多いのではないかと推測されることです。

こういう人には私のブログ発信は「警戒警報発令」になったようで、感謝されました。
ある友人からはこんなメールが来ました。
「私も今まで、会員手帳と会員証の提示を求められたことはありませんが、今後は
万一の場合に備え、携行を励行したいと思います」。
これには早速「万一の場合どころか必ずチェックすることになった筈で、一切反論は許されないから、「励行したいと思う」どころか、必ず携帯するように」と忠告しました。

別の友人からは「ボケないうちに自分のズボンにでも手帳を結びつけておかないといけないね」と言ってきました。


5.もう1つ面白いと思ったのは、
「先日、旅行社にてジパングを使いJRの切符を求めた。そうしたら「必ず手帳を携帯ください」といつこく言われたので何かなと思っていたら、ブログを見て納得した」というメールです。


このどこが面白いか?と言うと、旅行社は、「しつこく言う」が、その背景と影響を説明していないことです。つまり、JR東海自身が背景と影響(3月26日から運用を変えて、携帯なければ差額料金を取るよ)を旅行社に話していないのでしょう。
これは、極めて「姑息な」というか、厳しく言えば「手の内を明かさい」「フェアでない」対応ではないでしょうか?

(話が逸れますが、アングロ・サクソンの社会では「フェア(公正)かどうか」がもっとも重要な判断基準です。その前提が「情報開示」です。
伝説ではあるけど、昔の日本の教科書にも載った、ワシントンの桜の木のエピソードは、このことを言っています。これが「正義=justice」です)。


6.次に、別の友人から「他のJRでは今もやってないよ」という報告です。
実は、私も同じ経験をしました。

たまたま、田舎の家で夏を過ごしており、所用があって、7月27日朝、茅野から新宿まで中央線「あずさ」を利用しました。ジパングで切符を買って、何より大事な「会員証&手帳」を「ズボン」はともかく鞄の奥にしっかりしまって乗りました。
道中、一切、検札はありませんでした。


――ということは、私の苦い経験はJR東海に限ったやり方だと思われます。
ジパング倶楽部の会員証・手帳はあらゆるJRの利用に共通です。他の新幹線だろうが、中央本線「あずさ」だろうが、同じ規則が適用されます。
しかし運用は同じではない。
しかもJR東海だって、少なくとも3月7日までは、「あずさ」の7月27日の対応と同じだった。

――ということは、JR東海は運用方法を変えたということでしょう。しかも、そのことを事前に周知徹底することなく「(今までは紙に書いただけだった)規則」を持ち出して「ここに書いてある」の一点張りで「新しい運用」を強行した訳です。
―――これが「アンフェア」でなかったら、「アンフェア」とは何なのでしょう?


7.もちろん、不携帯のチョンボについて、こちらに落ち度があることは認め、お詫びしています。しかし、事前通知なく「制裁」を食らわすというやり方は果たして「フェア」か?
誤っても許してくれないほど重大な過失なのか?しかも今まで何も言われず、突然の「制裁」だが、JRを始め、誰にも不利益や損害や迷惑を与えていないと思う。

頂いたコメントはまだまだあります。
もう少し、一般論・本質論にわたるものです。
例えば、


(1) 規則一点張りの「コンプライアンス(法令順守)が最重要」の杓子定規な社会に、いつからか日本はなってしまった・・・・という嘆き。
(2) 「その中でも JRの場合、安全運航が金科玉条で、どんな部署でも現場の恣意的判断を許さず、ルール厳守が組織文化の軍隊みたいなものでしょう」という企業文化論

(感想―日本の軍隊が敗れたのは「現場の恣意的判断を許さない」組織文化のせいもあったのではないかと思いますが、どうでしょう?)


(3) なおJR一般については、大学時代に「鉄道研究会」に所属し、今も電車をこよなく愛する某君から、長いメールが来ました。

彼は住まいの関係でJRの利用が頻繁ですが、いかにひどいかを延々と書いてくれました。具体的事例を一々を紹介する紙数はありませんが、
「JRは国鉄の時代から悪くなったことはあっても良くなったことはあまりないのでは、というのが私のかねてからの感想です」
「JRへの文句を書き始めたら丸1日かかっても終わらないほど、いろいろ言いた
いことがあります」
という言葉をそのまま引用させて頂きます。


8.また「全く貴兄の言う通りで、ジパング倶楽部への抗議文と、新聞への投書をぜひとも実行すべき」というご提案も頂きました。

これには、気持ちは分かるが「残念ながら、それだけの元気もエネルギーも(時間の余裕も)ありません」とお断りしました。
申し訳ないですが、投書にはあまり興味がありません。
そんなことをしてもJR東海の対応が変わるとも思えないし、逆に京都市の助役さんに八つ当たりで跳ね返ったらまことに気の毒だと思うからです。
得てして、こういう組織って、「上にはペコペコ、下には権威主義」という人が多いでしょうね。これこそ、福沢諭吉が、日本社会の病理として鋭く批判した「権力の偏重」でしょう。


9.それより、昔暮らした、英米豪州の、こういう場合の「悪く言えば、いい加減な」「よく言えば、寛容な・自分の裁量と判断で対処する自由な」社会を懐かしく思い出します。
もちろん、これらの国では、電車はしょっちゅう遅れるし、チョンボだらけです。
問題は山のようにあります。日本ほど、完璧でも安全でも清潔でも正確でも便利でも、ない。しかし、人間は間違いを起こす動物です。(ジパング手帳を)忘れる動物です。
「自分にも寛容だが、その分他人にも同じように寛容」な社会に暮らすと、住み心地がいいな、私も「他人にできるだけ寛容に接したいな」という気持になります。