タイム誌、ICAN事務局長そしてサーロー節子さん


1. 冬の寒さには温泉がいちばんと思い、嬉しくも子供たちがチケットを贈ってくれたので、年初早々鬼怒川温泉に行きました。1泊して、翌日は生まれて初めて日光東照宮にお詣りしてきました。陽明門が新しくきれいになっていました。
子供の頃は、「日光を見ずして結構と言うなかれ」とよく言われましたが、この年になってやっと「結構」なものを拝見しました。


お猿さんの彫り物も、左甚五郎作と言われる眠り猫も初めての見物です。
「見ざる、言わざる、聞かざる」の真意は、「幼いころは、世の中の悪いことは見聞きせず、悪い言葉も使わせず、良いものだけを与えよ」という教訓だと、これも初めて知りました。

2. いまは、JRが東武線に乗り入れていて、新宿から直通で2時間で鬼怒川温泉駅まで到着します。便利になりました。
電車の中で、読み遅れていた「タイム誌」12月25日〜1月1日号を拡げました。

実は前回のブログで、同誌の12月18日号「2017年今年の人」の選出がアメリカ中心ではないか、女性を候補に選ぶならノーベル平和賞受賞者ではないのか、そもそも英米のメディアはICAN核廃絶国際キャンペーン)についての言及が少ない、と不満を書きました。

1週遅れではありますが、電車で読んだ同誌で、ICANのベアトリス・フィン事務局長について2頁にわたって紹介しています。
「パーソン・オブ・ザ・イヤー」の候補には入れなかったけれど、きちんと報道しているという点では同誌を評価したいと考え直し、今回はこの記事を紹介したいと思います。


3.「ノーベル平和賞受賞者ベアトリス・フィンとタイム誌」と題する記事は、

(1) かってキング牧師ダライ・ラマのような高名な人物が受賞した栄誉を、今年は彼女とその組織が受けるという電話を受けた時、ベアトリス・フィンは、ショックを受け、一瞬冗談だと思った。

(2) 彼女がそう思うのも無理はない。彼女はまだ35歳で、ICANは10年しか経っておらず、自前のスタッフも少数で、468の団体の緩やかな連帯でつながっている組織にすぎないからである。
しかも、彼女とその組織の受賞が、可能性のきわめて低い出来事(a long shot)であるとしたら、彼らの究極の目的――世界にある1万5千の核弾頭を廃絶するという――はもっと可能性が低いように思える。

(3) しかし彼らがすでに実際に成果(real accomplishment)をあげたことも事実である.
昨年7月、加盟国192か国の3分の2の賛成によって、国連は核禁止条約の成立に成功した、彼女はその主要な原動力だった。
そのことを――核を保有する全ての国、米、ロシア、中国、英、仏、インド、パキスタン、そして北朝鮮、が反対したにも拘らず――ノルウェイのノーベル委員会は高く評価したのである。
アメリカは、条約交渉をボイコットするように、NATOの加盟国に圧力まで掛けた。ヘイリー米国連大使は「現実的に対処すべき」と批判した。


(4) もちろんベアトリス・フィンは、彼女たちの行動を「非現実的でナイーブ」だと批
判する人たちが多くいることを十分承知している。仮に50ヵ国の批准によって国際法になったとしても核兵器がすぐには無くならないことも認識している。

しかし、彼女はこの条約が、核兵器反対の大きな世論の引き金になるだろうと信じてもいる。「もはや、核は強国が誇示して所有するものではなく、恥ずべき所有物(something
shameful)」と人々は感じるのではないでしょうか」。


(5) 核は平和のための、抑止効果があり、必要悪と主張する専門家が少なくない中で、
ベアトリス・フィンはきわめて素朴に、「核はそもそも兵器(weapons)なのだ」と考える。
「何百万の市民の命を奪う恐るべき(horrifying)ものです。
しかし所詮は、人間の作った武器なのです。だから、地雷や化学兵器を人道的に止める法律が出来たように、人類は、いつかは、核についても同じことが出来る筈です。」

「人間が作ったものを、人間がやめる、それは出来る筈です」

(6)その点で、「核戦争という悪夢の可能性が現実に起こり得る」と黙示録的世界を警告する一部の識者と違って、ベアトリス・フィンは、むしろ楽観的である。


4.  なかなか客観的な記事だと思いながら読みました。
欲を言えば、フィンさんと一緒に受賞スピーチをしたハーロー・節子さんにも触れてほしかった。
東京新聞は、彼女の受賞スピーチの英文と邦訳を全文載せています。

語り部が高齢化し、何れ誰も居なくなる状況で、彼女のような「被爆者」がこういう場で公式に語るのは、最初にして最後の機会でしょう。
彼女は、あの日の地獄についても語ります。それがどんなに「horrifying」であったか。


「広島を思い出すとき、最初に目に浮かぶのは4歳だった甥の姿です。小さな体は溶けて、肉の塊に変わり、見分けがつかないほどでした。死によって苦しみから解放されるまで弱々しい声で水が欲しいと言い続けました」。

また、
「幽霊のような人影が行列をつくり、足を引きずりながら通り過ぎていきました。人々は異様なまでに傷を負っていました。血を流し、やけどを負い、黒く焦げて、腫れ上がっていました。飛び出た眼球を手に受け止めている人もいました。おなかが裂けて開き、腸が外に垂れ下がっている人もいました。人間の肉体が焼けた時の嫌な悪臭が立ち込めていました」。


「このようにして、私の愛する都市は1発の爆弾によって消滅したのです。ほとんどは非戦闘員でした・・・・・」。


――言うまでもなく、これは津波地震と違って、人間の作った「武器」による100%人間の仕業なのです。
東京新聞以外に英語。訳文ともに全文を載せた新聞があるかどうか知りません。
日本政府の中で、このスピーチを読んだ人がいたかどうかも知りません。

5. ご承知の通り、フィンさんは今月中旬に来日しました。長崎から広島へ。そして東京では、国会内での与野党代表による公開討論会に出席し、日本記者クラブでの記者会見にも出席しました。
記者会見では「日本はこの問題で世界のリーダーになれると思う。少なくとも、条約への加盟がどうしたら可能か、何が問題かの調査を国会レベルでやってほしい」と訴えました。広島・長崎と政府との意識のギャップについても語り、「アメリカとの軍事同盟を維持しつつ、条約に賛同することは可能だと思う」とも発言しました。
同席した川崎哲ICAN国際運営委員は、「核の抑止力に正統性があるという論理は、北朝鮮の独裁者の発言とまったく同じではないか」と語りました。

https://www.youtube.com/watch?v=tbMyaaPC5Ic

首相は「日程の都合が付かない」という理由で、面談の要請を断ったそうです。

権力者は、子供のときに教えられた「見ざる、言わざる、聞かざる」の教訓を、大人になっても守っているのでしょうか。