「江戸時代の日本美術」を学ぶことと京都の「品格」

1.三寒四温で、まだ寒い日も続きますが、2月20日国際文化会館のロビーには、早くもひな人形が飾られていました。会員から寄付されたそうで、「京都にある丸平大木人形店のもので、昭和初期につくられ、顔の丸さや、内裏びなの隣に三人官女が飾られているのが京都風雛人形の特徴です」とあります。

「京都風」であれば、男雛を向かって右に置かないといけないのですが、国際文化会館はそこまではやっていません。

2. お二人のコメント有難うございます。
山口さんは良い絵本を教えて頂きました。
「寝るとき孫と一緒に声をだして読みます」、いいですね。山口さんは声が美しいから素敵な読み手でしょうね。
岡村さん、関西の冬はカニですか。
東京は何でしょうね?一人暮らしが2週間になりましたが、自炊はせず外食やデパ地下で買ったもので済ませており、あまり季節感は意識しません。
応挙の幽霊図は有名ですね。冷泉さんの『円山応挙論』は応挙の個々の写生、雪・松、鶴、孔雀、人物表現などについて個別に論じますが、幽霊には触れていません。今度訊いてみましょう。


3.『円山応挙論』は420頁の大著ですが、付録として「理想と現実」という小冊子がついていて、これは著書冷泉為人氏の、いわば「私の履歴書」です。

(1) 兵庫県播磨平野に生まれ育った自称「田舎者」の「ガキ大将」。
高校までテニスに熱中した少年が関西学院大学文学部美学科に入学して、江戸時代の美術にのめり込む。

そこで人生大きく変わったと思ったら、大学院卒業後、大手前女子大の教授のときに「奇しき縁に導かれて」京都・冷泉家に入ることになって、人生は「激変した」。
以後和歌の家という貴重な文化遺産を守り・継承しながら、江戸美術の研究も続ける人生を省みて、自ら、「迂闊な田舎者は、京都のド真ん中に住まいするも、真の「京都人」ではない。・・・無骨者で、「京人(みやこびと)」の「雅び」「優美さ」なども持ち合わせていない・・」と意識している。

(2) そんな人物の半生記ですが、個人的に面白いと思ったのは、大学・院時代の思い出です。いい学校で良き先生のもとで学ばれたなとまことに羨ましく思います。
例えば、
・今井清先生の言葉――「物事ははっきりと言うこと。「良い」か「悪い」かは別にして、はっきり言い切らないと次の展開が出てこない」
また、パスカルの「柔らかき魂」という言葉にからんで、「「硬直した精神」では新しいものの理解ができない」ということも教えていただいた。

・源豊宗先生からは、日本美術の特色について、「数え切れないほど様々なことを教わった」前回紹介した「西洋はヴィーナス、中国は龍、日本は秋草」もその1つです。


加藤一雄先生―――応挙を研究するなら、京都をさけては通れないと言われ、
「京都は「品格」を尊ぶ町です。それは「はんなり」とか「公道(こうとう)な」という言葉で表現されているものですが、これは一朝一夕にはわからない、非常にむずかしいものです」と言われたこと。

ちなみに著者はここで以下のように補足しています。
――「はんなり」という言葉は、(略)どことなく華やかさが漂う、匂ってくるような「わかりにくい華やかさ」のことであろう。・・・
そうしたことを難なくこなせる、消化できる人のことを「公道な」人というのであろうかと思う。
これは、「教養」とか、フランス人のいうところの「ボン・サンス(良識)」という意味であろうか。そういう意味で、京都はなかなかわかりにくい、味のある奥深い町である。


私はこの「公道な」という言葉を京都人について使うことを初めて知りました。広辞苑(六版)には「きちんとしていること。着実、手堅いこと」とあります。



(3) いちばん面白かったのが、
「今一人忘れることのできない先生がある。それは、美学・音楽学の張源祥先生。大学院の芸術学特殊講義を二年間受講した」

以下、本書から引用します。

―――その先生の講義は、ただただマーラーブルックナーのレコードを聴くことであった。音楽の素養のない私には実に辛抱のいるものであった。
それを聴いている途中で先生は実に感激され、悦楽されているご様子で、「音楽は良いですね」「あなたがたはいかがですか」、ということを二、三回繰り返しいわれるだけである。
ただきまってその講義の初めには、「おいしい紅茶」が出てきて、それをいただいてからレコードを聴くのである。
またその講義の大きな節目の時には、紅茶にクッキーがついていることがあった。それのある時は、「妻が焼いたものです。どうぞ」といわれ、その後に先生の照れ隠しの愛想笑い、「フウー、フウー」という感嘆詞がつく。何ともいえない、先生の慈愛に満ちた「徳」が垣間見られた瞬間であった。これに出会った時は無遠慮な学生も流石に満ち足りた豊かな気分になったものである。
 受講していた当時は、この授業の目指しておられるところがよくは理解できていなかった。後年、この張先生の講義そのものが「美」であり「芸術」であったことが理解できたのである。つまり芸術・美術は「楽しむもの」でることを実践されていた・・・・


4.ただひたすら、先生と学生が一緒にマーラーブルックナーのㇾコ―ドを聴く。
これは実に贅沢な時間ですね。
文学部美学科での「学び」を本当に羨ましく思いました。


私は家が母子家庭で弟が2人いて、国立大の、それも卒業してすぐに役に立つ法学部にしか行けなかったので、こういう講義は想像もつきませんでした。
もちろん時代もあるでしょう。いまこんな授業を大学院でやる先生がおられるだろうか?
そもそも、江戸の美術など学ぼうと思って大学に入ってくる若者がいるだろうか?


ここ数年、もと名古屋大学教授から、「古今集」の話を毎月、新宿の朝日カルチャーで聞いており、そのあと先生と補講を兼ねてお昼を一緒にします。
先生は、いま大学で、日本美術はいうに及ばず、古典文学(和洋を問わず)に関心をもつ学生がどんどん減っているという話しを、いつも淋しそうにされます。