蓼科に来て、中世の日本女性と和歌のことなど考える

1.岡村さんコメント有難うございます。旅を通じて元気な日本女性のパワーに感心しておられる様子が微笑ましいです。触発されて、今回は昔の日本女性のことなど考えます。

まずは、5月3日に「空飛ぶ婆や」が無事ロンドンの娘のところから帰国しました。
翌4日には早速田舎に向けて中央高速を蓼科の田舎へ。
渋滞はありましたが、のんびり走り、途中の休憩所で富士山がきれいに見えました。
長女夫婦が前日来て、畑の手入れをしてくれたので助かりました。
この時期は、いよいよ畑に鹿避けのネットを張り、土を掘り返して畝をつくり、肥料をまき、ジャガイモなどの植え付けをします。
私がいちばん役立たずですが、若者が手伝ってくれるので助かります。


2. ということで、老夫婦がまた合流しましたが、それまでの2週間は、「留守番じいさん」のひとり暮らしが続きました。


この間、墓参など外出することも多く、気を遣って、長男夫婦やもと職場の若い友人が食事に誘ってくれたりしました。

連休の前半4月29日には神田の学士会館で、「二十一世紀詩歌朗詠懇談会」主催の
15周年記念講演会があり、中国文学者で詩吟連盟会長の石川忠久氏が「中唐の詩人、白楽天漢詩の世界」、藤原俊成・定家の子孫になる冷泉貴実子が「現代に生きる冷泉家の和歌」と題して講演がありました。


終わって、会食をして、二次会は貴実子さんと二人で学士会館のバーで飲みながら、和歌のことなどお喋りをしました。
大岡信の『日本の和歌』(岩波文庫)も話題になりました。
本書はフランス有数の大学での講義録です。フランス人の学生を相手に喋っただけあって、素人にもわかりやすい本です。
その中で著書は、「和歌」の「和」は「人の声に合わせ応じる」、ひいては心を相手に合わせて「互いになごやかに和(やわ)らぐ」という意味であり、これが最初の勅撰和歌集である『古今集』を初めとしてその後の編纂理念の根本をなす原理であると説明します。

そして、「和歌がこのようなものであったことと、和歌のきわめて重要な担い手が女性であったことの間には、切っても切れない関係がある」として、
「和歌は原理的にみて、女性なしには存在しえない詩であったのです」と語ります。

例えば、「新古今」に49首も採られている(女性でトップ、男性では西行の94首)後白河院の皇女・式子内親王の、百人一首にもある、
<玉の緒よ、絶えなば絶えねながらへば、忍ぶることの弱りもぞする>を引用して、

大意は、「わがいのちよ、ふっつりと切れるなら切れてしまってくれ。このまま生き永らえているなら、苦しさに耐えてこれまで包みかくしてきた私の恋が、ついには忍びきれなくなり、人にもわかってしまうかもしれないから>

そしてこう続けます。
式子内親王をめぐる伝説の1つに、10歳くらい彼女より年下だった当時最高の歌人藤原定家との間に、秘密の熱烈な恋愛関係があったと想定するものがあります・・・」


3.講演では、貴実子さんは、冷泉家成立の歴史についても簡単に話しました。

(1)藤原定家(俊成の息子、新古今和歌集百人一首の選者、19歳から書き始めた日記『明月記』でも知られる。)の息子が為家で、その三男為相が冷泉家の始祖である。

(2)為家は先妻の長男為氏と仲が悪く、相伝の貴重な和歌文書や定家自筆の「明月記」などを、後妻である阿仏尼の息子・為相に譲った。

これがその後も「冷泉家」の和歌の家としての権威のもととなっている。

(3)また為家は、現在の兵庫県三木市にある荘園を、最初は為氏に譲ったが、のち改めて為相に譲った。

(4)ところが、為家の死後、為氏は父の遺言に反してこの荘園の権利を手放さない。
阿仏尼は、夫から息子に伝わることになった貴重な和歌資料をもとに、藤原から分家した新しい「歌道」の家を建てることを考え、それには一定の収入も必要である。
そこで、彼女は1297年、鎌倉幕府に、この荘園相続の正統性を訴えに出る。当時、荘園の実質的な支配管理に関わる権利については、鎌倉幕府武家裁判所が管理していたからである。


(5)その折りの紀行と鎌倉滞在の様子とを記したのが、『十六夜(いざよい)日記』である。
「古来、名文の誉れが高い。歌人としての優れた感性をもち、母親として子供たちのために、また新しい歌道家の創設のために奔走する、行動力にあふれた女性の姿が、そこにはある」(『冷泉家、時の絵巻』所収の赤瀬信吾・京都府立大教授の文から)。

(裁判は長くかかり阿仏尼生前には結論は出なかっが、最終的に為相の勝訴に終わったそうです。)



冷泉貴美子は、講演の中でこの出来事に触れて、
鎌倉時代の初期から土地をめぐる法制が存在したこと。
・裁判所が、女性の訴えを認めたこと。
の2つを、当時の日本社会の特徴として紹介しました。
もちろん加えて、赤瀬教授の言うように阿仏尼が強い意志と行動力の持ち主だったことも大きいでしょう。


また講演では、聴衆の皆が、講師と一緒に白楽天漢詩を朗読し、和歌の披講(詩歌を詠みあげること)にも挑戦しました。なかなか面白かったです。


4.話変わって、蓼科に来る前日、渋谷の本屋で、英誌「エコノミスト」の最新5月5日号を買いました。
前回ブログに日本関連の、三面記事的な報道が3回つづいたと書きました
今回は「やはり」というか、辞職した前財務次官の「セクハラ」疑惑の話です。


「セクハラ」摘発に日本社会が消極的なのは、日本が「男性社会」だからだと結論づけています。女性は国会議員総数の僅か10%、閣僚20人の2人である、さらには前々号で取り上げた、大相撲の土俵の問題も同じ「女性差別」の問題として取り上げています。


そうかもしれない・・・・少なくとも「表の世界」「建前の世界」では、いままで女性の出る幕はあまりなかった。
しかし、上述したように、世界に誇る「源氏物語」をあげるまでもなく、「文化」の世界では女性は大きな役割を果たしていた。


辞職した某財務次官の問題は、もっぱら「表の世界」「権力の世界」ばかりを歩いてきて、和歌の美しさなんて全く知らない、無教養なエリートの悲劇ではないかと思います。「権力の世界」しか知らないと、「俺は権力者だから何を言っても許される」という気持ちになるのではないか。
日本文化の「たおやめぶり」の伝統を知らない無学な日本人がえてして、政治や官僚の世界では出世するのかもしれません。
そう言えば、某財務大臣はマンガしか読まないと、新聞で読んだ記憶がありますが・・・