- 先週初めは、今年最後の蓼科滞在でした。
日曜日は気持ちよく晴れて、原村にある八ヶ岳農業実践大学校を訪れました。
誰でも入れて、学生たちが作る野菜や乳製品を売っています。牛や羊がのんびりと牧草を食み、八ヶ岳やアルプスも遠望できます。
- その1週前の日曜日は東京で、世田谷読書会に久しぶりに出席しました。
年配の読書家が多く集まり、面白い会です。
本を推薦し、発表&議事進行を担当する機会も多く、いままでに私が取りあげたのは16冊。
『日の名残り』(カズオ・イシグロ)や,『こころ』や三島由紀夫に始まり、
大岡信の『日本の詩歌』(岩波文庫)、加藤陽子の『それでも日本人は「戦争」を選んだ』、
水村美苗の『日本語が亡びるとき』、『ユーモアのレッスン』(外山滋比古,中公新書)、『女性のいない民主主義』(前田健太郎)、『黒人差別とアメリカ公民権運動』・・・・など多岐にわたり、思い返すと懐かしいです。
- 今回のテキストは、スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』が選ばれました。
(1) 4回も映画化されている、アメリカ文学を代表する作品です。
(2) 26歳のアメリカ滞在時に読み、その後何度も読み返している、「青春の書」です。
(3)語り手ニックを通して描かれる「ギャツビー」は,青春時代に南部で会った富豪の娘デイジーに恋い焦がれる。
ギャツビーは、「貧しい若者は、金持ちの娘と結婚しようなんて考えるべきではない」という警告を受けながら、彼女の愛を獲得すべく努力し、しかし結局は挫折し、悲劇的な死で終わってしまう。
(4)本書は、翻訳した村上春樹も言うように「アメリカン・ドリームとその崩壊の物語である」という評価が定説です。
アメリカン・ドリームとは、アメリカでは生まれや家柄に関係なく、機会は誰にでも平等に与えられている、誰もが自らの努力によって夢を叶えることができるという「神話」です。
(5) しかし私は、「アメリカン・ドリーム再生の物語でもある」と理解しています。
本書は語り手ニックの「成長物語」でもあるからです。
たしかにギャツビーは挫折した。しかし彼が抱いた夢は、ただ一人、ギャツビーを「グレート」な人間だと信じるニックを通して継承されていくだろう。
そこがこの物語の大いなる魅力です。原文の最後の文章は、まさにそのこと、「夢の再生」について美しく語っているのではないでしょうか
―――「ギャツビーが信じた緑の灯―年月とともに遠ざかっていく素晴らしい未来―は、今回は私たちの手から滑り落ちてしまった。しかし、それでも構わないではないか。――明日には、私たちはもっと速く走り、両腕をもっと先まで差し伸べるのだ・・・・そうすれば、いつか素晴らしい朝には――。
だから私たちは、絶え間なく過去へと押し戻されても、流れに逆らうボートのように前へ前へと進み続ける。」)
しかし、理解しておく必要があると思うのは、
・このキーワードが今後ともアメリカという国家を支えていくために絶対必要な「神話」だということ(日本で相当するものは何か?)。
・かつ、いまも決して「完全に死んではいない」ということ。
例えば、最高裁判事のソニア・ソトマイヨールです。2009年、当時のオバマ大統領は、プエルトリコからの貧しい移民の両親から生まれたソトマイヨールを指名するスピーチで、「彼女こそアメリカン・ドリームです」と述べました。
本書がいまも「アメリカ文学最高の傑作」と言われる所以の1つだろうと思います。
6.翻って26日の英国BBCは、日本の新カップル誕生を報じる記事を、「見出し」に続いて「プリンセス・マコは、カレッジ時代の恋人ケイ・コムロと結婚し、かくして皇族の身分を失った」という一文から始めます。(Japan's Princess Mako has married her college sweetheart Kei Komuro、thus losing her royal status)。
そして、皇室典範12条の規定、「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と結婚したときは、皇族の身分を離れる」を紹介します。
彼女は、NYという新天地でアメリカン・ドリームに挑戦したいと考えているのでしょうか。
真鍋博士の言葉に共感して、ひょっとして国籍を移すこともあるでしょうか・・・・。