朝の散歩時のスズメ君と「かかし応援隊」

  1. 先週の東京は、前半は暑い・晴れた日が続きました。

庭の緑が陽にあたって、窓から室内に影の模様をつくります。

後半は涼しくなり朝の散歩も再開。ただ、以前に比べて距離も速度も落ちました。

  

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  1. 久しぶりに、駒場小学校2年生のスズメ君に会いました。

(1)以前にも書きましたが、通学途中の彼と一緒になることがあり、校門の近くまでお喋りをしながら歩きます。老人に対して物おじも嫌がりもせず、自分のことを明るく話す子です。 妻が「スズメ君」と呼んで可愛がっています。

 

(2)夏休みをどう過ごしたか訊いたところ、家族で本栖湖に行った話をしてくれました。コロナも関係しているのか、若い家族や若者の間でキャンプ旅行が流行っているという話を、蓼科の「ストーブ・ハウス」という、キャンプ用品や薪ストーブなどを売っている店で聞いたばかりでした。

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(3) まだ30代初め、同期の友人と週末に2家族でキャンプをしたことを思い出しました。

彼とは一緒にニューヨーク勤務し、ちょうどスズメ君ぐらいの子供たちがいたせいもあって仲良く付き合いました。アメリカ郊外のキャンプ場に連れて行ってくれて、帰国してからは丹沢の山に行きました。

 テントを立てるから炊飯まですべて、学生時代から山登りの経験豊富な彼の指導で、楽しい・懐かしい経験でした。

 

(4)1970年前後の当時は、テントを立てるのもたいへんな作業でした。

スズメ君の話ではいまは便利になって簡単だそうです。

 炊飯もやり、夜は流れ星を眺め、湖でカヌーで遊んだ。サップ・ボードという子供でもひとりで操作できる軽量のボートがあるそうです。

 仲の良い家族の話を聞くのは気持ちの良いものです。

 

(5) 以前は仲良しの女の子と一緒だったのに、一人で歩いているので訊いてみたら、コロナのせいで登校時間がばらばらになったとのこと。

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  1. 散歩は駒場野公園をまわって帰ります。

 

(1) この地は明治の初めに駒場農学校(後の東京大学農学部)があり、ケルメルというドイツ人の農学者が指導して科学的な日本式農業に取り組んだ。そのため「近代日本における農学発祥の地」と言われる。

 

(2)その跡地に小さな田が残り、「ケルネル田んぼ」と命名されて、近くにある筑波大付属駒場中高が受け継いで維持している。同校の生徒が「実習」の授業として、田植えや稲刈りをする。収穫した米は、卒業式・入学式の折に赤飯にして、生徒たちが賞味するという。

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(3)さらに、この活動を応援する「かかし応援隊」というボランンティアのグループもできて、毎年、かかしを作っている。コンクールもやり、見に来た人が選んで優秀作の表彰もする。

38年続けていたが、昨年と今年はコロナのせいでコンクールは中止され、展示だけになった。その代わり「奮闘する医療従事者への感謝のかかし勢ぞろい」と称して25体が完成して11月まで展示されるとのこと。

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4.これもまた大昔の思い出ですが、

(1)当時私の通った中学には「農業」という授業がありました。いまは無くなったでしょうが、多摩川の土手に沿って小さな農園があり、そこでサツマイモを作りました。

戦争で負けてまだ10年も経たない、誰もが貧しい時代でしたから、食べ物に対する意識は今とは大きく違っていたでしょう。

 

(2)「農業」担当の佐藤先生は、いかにも実直な感じの先生でした。生徒からは「パイスケ」というあだ名で呼ばれていました。

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(3) 「パイスケ」とは、もともとは土砂・石炭の運搬に用いる竹または縄で編んだ籠(かご)のことだそうです。「鋳物業とくに中小の企業では昭和40年代前半までよく使用された」、そして「この不思議な言葉の語源は、外国人がこれを見て「バスケット」と発音したのが訛って「パイスケ」となったとも言われている」とあります。

佐藤先生の農業実習ではさつまいもや肥料などをこの「パイスケ」に入れて生徒が運んだのでしょうか。よく覚えていませんが、先生がこの言葉を頻繁に使っていた記憶はあります。「~スケ」という語尾が人の名前を連想させるせいか、恰好のあだ名になりました。

「甘藷掘り昭和も遠くなりにけり」ですね。

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(4) 飽食の時代と言われて久しいいま、進学校として知られる「筑駒」が、いまも実習で稲作をやる、それを市民がかかしを作って応援する、いい話だと思いました。

中央高速を往復したこと

  1. 先々週は妻と交代で運転して田舎に行き、帰宅してからの先週は東京で、平日の4日を電車とバスで病院に通いました。

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  (1)この年でまだ運転を続けるのは悩ましいですが、田舎家ではどこに行くにも車は欠かせません。

 

 (2)無理や不要不急を避けるために注意しているのは、

・都内では私はまったくやらず、妻もたまに利用するだけ。

・蓼科―東京往復と、蓼科現地で使うのがメイン。

・夜間や雨の日や人混みでの運転は可能な限り避ける。知らない道も走らない。

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(3)高速を走るのは中央自動車道だけで、ここの道路事情はよくわかっています。

スピードは出さす、追い越し車線に出ることもほとんどありません。

 

  1. 私は26歳のときにアメリカのテキサス州で運転免許を取り、帰国して日本の免許に切り替え可能でした。

 (1)1960年代当時のテキサスでは「自動車教習所」はなく、電話すると教員が家に来てくれて、運転席に座らされ、いきなり路上で運転させられました。すぐ高速(ハイウェイ)も運転しました。数回の訓練のあと、実地試験だけで免許がもらえました。

 

(2)そのとき教員に、「車間距離が最重要で、これだけは気を付けろ」としつこく言われました。

 

(3) 日本で運転して、高速道で車間距離を空けない車が、とくに追い越し車線で多いのには驚きます。アメリカでの厳しい忠告を思いだして、いつも気になります。

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3.先々週に往復したときは、帰りは好天でした。

(1)行きは、東京を出たときは曇りでしたが、途中から雨が降ってきました。幸いに車の数が少なく、助かりました。

 ホンダのフィットという大衆車ですが、安全装置がいろいろついています。

 速度を一定にセットする装置もあるので、81キロに設定してゆっくり走りました。

 

(2)中央高速はいつも高井戸で乗って諏訪南で降りますが、この間約160キロ、ずっと上りが続きます。

中央高速道の最高地点・標高1000mの場所も通ります。

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(3) 急な登りでは、2車線のさらに左側に低速車用の道路が何か所か設置されています。

例えば、笹子トンネルに入る直前、山に向かって登っていくところなどです。

この車線は、「登坂車線」および「ゆとり車線」と呼ばれています。

 私は、英語表記の“slower ”から、制限速度(通常80キロ)以下で走る車のための道路と理解していて、大型トラックや軽自動車が利用しています。

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4.この特別道路を通るたびに、いつも「面白い呼び方だな」と感じます。

 英語の表示は「slower traffic lane(他より遅い車の車線)」です。「~より遅い」の「~」が必ずしも明確ではありませんが、言いたいことはよく分かります。

 日本語だって「低速(車用)車線」とあれば英語と同じ表現になり、誰もが理解できると思うのですが、そこを日本人はそうは言わない。

 どの車線の車も「登坂」しているのに 「登坂」だの「ゆとり」だのという名前を付けるのは、物事をはっきり言わない習性から来ているのでしょうか。

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 こんなことを面白いと思うのは私ぐらいでしょうが、関係あるかなと思ったのは、

(1)「思いやり予算」という言葉と、

(2)今年のノーベル物理学賞を受賞した気象学者真鍋淑郎さんの言葉

の2つです。

 

(1)「「思いやり予算」とは、在日米軍の基地駐留経費のうち「日米地位協定」に規定のない、年間約2千億円の日本の追加負担のことです。この言葉遣いが私には面白い。

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(2) 次に真鍋さんですが、プリンストン大での記者会見で「なぜ米国籍を取ったのか?」と訊かれて、以下のように答えたそうです。

 

―――「日本の人々は、いつもお互いのことを気にしている。調和を重んじる関係性を築くから」と述べ、さらに、

 

「(調和を重んじるのは)お互いが良い関係を維持するために重要です。他人を気にして、他人を邪魔するようなことは一切やりません」

「だから、日本人に質問をした時、『はい』と言う答えが必ずしも『はい』を意味するわけでなないのです。実は『いいえ』を意味している場合がある。なぜなら、他の人を傷つけたくないからです。他人の気に障るようなことをしたくないのです」

・・・・その上で、真鍋さんは、「アメリカではやりたいことをできる」と語る――(ハフポストの日本版サイトから)

5.いろいろ詰まらぬ話で失礼しました。

 

ドイツの総選挙と、蓼科で10月を迎えました。

  1. 拙いブログを続けて、今年もあと3か月を切りました。

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(1)コメントを頂くMasuiさんはドイツ留学の経験があり、刈谷さんはドイツ在住です。今回の同国の総選挙とその後への関心は高いでしょう。

 「前回の4年前は大連立政権まで数か月かかった。今回はコロナ対策があるので早くしてほしい」とは刈谷さんの在住者らしいコメントです。

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(2)それでも、

メルケルさん引退の影響もあってか,第1党の中道右派キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が議席を大幅に減らし、

・連立を組んでいた「社会民主主義」を標ぼうする中道左派社民党SPDが16年ぶりに第1党になり(シュレーダー政権以来。ただし過半数には届かず)、「緑の党」も議席を大幅に増やして第3党になった、

―――という選挙結果は興味深いです。

あらためて、日本の政治状況――自民党の総裁が決まっただけで号外が出る――との違いには驚きます。 

 

(3)連立がまとまるにはクリスマス頃までかかるという予測もあるようです。

しかし、その間は現メルケル政権が続投するし、社民党のショルツ党首も現財務相として政権に入っていますから、さほど政治の空白を懸念する必要はないような気もします。

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(4)今回、可能性が高い連立シナリオは以下の2つだそうです。

 ・第1党の「社民」+「緑の党」+「自由民主」か?

 ・第2党の「CDU・CSU」+「緑」+「自由民主」か?

(5) 政権をどの政党が、どういう形で担うかについて各政党が真剣に話し合うプロセスは、巨大与党の総裁がそのまま国会で首相に選出されてしまうより、健全な民主主義だと思うのですが。

戦後ドイツ(西独)の歴代首相はメルケルまでで合計8人。うち5人がCDU・CSU、3人が社民と、二大政党制が見事に根付いています。

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(6) 田舎家の書棚にあった丸山真男の『講義録・政治学1960』(東京大学出版会)を眺めました。

60年安保闘争の年の秋学期、法学部の学生に行った必修授業の内容です。

彼は「第四講」で「政党および代表制」について講義をします。

 

「・政党とは、もっとも本来的な政治集団あるいは政治組織である。

・(しかし)政治的システムのなかのサブシステムである。それはPartyという英語が示す通りpart(部分)であって、政治的システムの全体ではない。

・(だから)西欧型民主主義においては、対立政党の存在がlegitimate(正当にして合法的なもの)として公認されている・・・・・・」

 

といった基本的なことを、彼はまだ世間を知らない大学生に丁寧に教えようとしたのだ、と改めて思いました。

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(7)それにしても ドイツの4年前の「保革連立」(第1党のCDU・CSUと第2党の社民との)はよく成立しましたね。

    メルケルさんが党の中ではリベラルだったからこそ可能だったのでしょうか。

 それと彼女の「モラル・リーダーシップ」への強い支持があったからでしょうか。

大量難民を受け入れるかどうかで大揺れに揺れた2015年のドイツ。12月のCDUキリスト教民主同盟の党大会で彼女は、「欧州はオープンであるべきだ。これはモラルの問題だ。それ以下でもそれ以上でもない。そして移民の受け入れはリスク以上の利益をもたらす」と強く訴え、実に9分間のスタンディング・オーベーションを受けました。

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  1. そんなようなことを考えながら、先週1週間は蓼科の田舎家で過ごし、昨日帰京しました。

(1)今年は例年より刈り入れは早かったようです。到着時はまだ田に実った稲穂が美しい眺めでしたが、その後は徐々に刈り入れが進みました。

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(2) 早速、地元の新米を購入して、炊き立てのご飯に生卵をかけ、京都の友人から頂いた「八百三」の柚子みそを木綿豆腐にかけて、おいしく頂きました。

(3) 紅葉はまだ少し早いです。中旬になれば、落葉松やもみじが美しく色づくでしょうが、いまはいつも一番手のツタウルシの葉が紅くなってきたくらいです。

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(4) 畑は、その前の週末に、友人夫婦と娘夫婦がほとんど片づけてくれました。

 私たちは、まだ残っているトマトを少しもいできました。小さいトマト、これがおいしいです。妻がソースにして帰京の前日の夕食は、手づくりのトマトソースのスパゲッティを頂きました。

(5) ほとんど人に会わない山麓はいつも静かです。

今度は,『本当に君は総理大臣になれないのか』(小川淳也)

  1. 前回は小説『総理の夫』で、政権交代による女性首相がどのようにして実現するかを紹介しました。現実はなかなか、こうは行かないでしょうね。

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 と思っていたら、藤野さんから、小説の主人公相馬凛子と重なる現実の政治家を取り上げたドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないか」(2020年)を紹介して頂きました。

 たまたま、映画の主人公小川淳也衆議院議員を取材した『本当に君は総理大臣になれないのか』(講談社現代新書、2021年)を読んだばかりでした。

 

  1. 本書は6月刊行で、すでに3刷です。

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(1) 小川議員は50歳、香川県出身、東大法学部卒、自治省を経て2005年に初当選、現在立憲民主党所属。「2009年の衆議院予算委員会厚生労働省の統計不正問題を取り上げ、「統計王子」の異名をとる」。

 

(2)本書は、同氏の生い立ちや活動を紹介した部分と、彼がインタビューに答えて自らの政策(「国家改造抜本改革」)とそのための「タイムテーブル」を語る、2部構成になっています。

 

(3) 小川は1971年、「高松市ののどかな田園地帯に生まれた。自らを「パーマ屋の倅」と称するように、両親は市内で小さな美容室を経営している。

1948年生れの父は、「讃岐弁の「へんこつ」を絵に描いたような頑固者で、正義感が強く、曲がったことが大嫌い。ひとつ年下の母はいつも明るく温和な性格だった」。

 

(4) 30歳で自治省を退職。その直前、ロンドンに1年勤務したことも多少影響したかもしれない。「それまでの凝り固まった価値観が音を立てて崩れる気持ちだった」と彼は語る。

根本には仕事への不満があった。「俺たちは国家に奉仕する行政職であって自民党の下請けではないぞと何度も思いました」。

 

(5)本書では同氏を、「目先の党利党略には関心がない。他方、日本という国家の理想を熱っぽく語らせるととまらない」と評します。

中高大学が一緒の私の友人(弁護士)は、「真面目で一点の曇りもない男」というのが党内の評判だと教えてくれました。

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3.(1) 『総理の夫』は小説ですから、話の面白さが中心にならざるをえません。相馬首相の訴える政策は、「消費税増税脱原発」が紹介されるぐらいです。

 

(2) 他方で小川議員は自ら「日本を良くしたい政策オタク」と言い切る人物ですから、すでに2014年には『日本改革原案』と題する著書を出して、具体的・意欲的な「政策」と、それを実現するための「タイムテーブル」について熱心に語ります。

 

(3) 私が面白いと思ったのは、直ちにやりたいこととして、

党内の党議拘束を解除する

国民とともに政権公約を作成する

政権与党の事前審査制を廃止する

といった具体策をあげていることです。

 

(4) この中で、とくに「事前審査制」を廃止したいとして、同氏はこう語ります。

――「日本の政治における独特な慣行で、内閣が国会に提出する法案は、事前に自民党の中にある総務会や政務調査会などの「審査」を経て、そこで了承されたものだけが国会に提出されるという暗黙のルールです。

 法律はないので、慣行にすぎません。

しかしそのせいで、国会で提出された法案を与党と野党が議論しあうという実質的な審議がまったく骨抜きにされてしまっています。

 野党議員には案件・議案に指一本触れさせないといういまのこの仕組みを転換し、国会を実質化させる必要があります。・・・・」

➡ こういうところにメスを入れるという発想が大事だな、と読みながら思いました。

言うまでもなく、国会は「国権の最高機関」です。(日本国憲法第41条)

 

(5)こういう本や映画が話題になり、人物への有権者の関心が高まるとすればとてもよいことではないかと、個人的には思いました。

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引き続き『総理の夫』と、NZのアーダーン首相

1.今回も『総理の夫First Gentleman』を読みながら考えたことです。

まずは、女性首相・相馬凛子はいかにして誕生したか?

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(1)長年の与党民権党の結束に陰りがみえて、党内の保守派と原九郎率いる改革派とが分裂する。

(2)原は、自分の勢力を引き連れて民権党を離脱し、民心党を立ち上げる。

その上で、野党が共同で提出した政府の不信任案に賛成し、不信任は可決されて、議会は解散、総選挙となる。

(3) 選挙で、民心党は80議席を獲得して、野党第一党になる。

原九郎は、野党四党をまとめて議会の多数を確保する。自らは当面は裏方として動き、首相候補に、10議席しかない弱小野党の党首相馬凛子のスター性に目をつけて担ぎ出す。

(4) 彼女が首相に選出され、民権党は野党に転落、晴れて連立政権が誕生する。

 

(5) 相馬新首相は、真摯に変化と改革を訴えて国民の高い支持も得て順調にスタートするが、何れ自分が総理になるつもりの原は面白くない・・・・

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2. このように『総理の夫』では、初の女性総理の誕生は政権交代とセットで実現します。

(1)いま自民党総裁選に女性の候補者も出ていますが、小説とは経緯がまるで異なります。

(2) 相馬新首相の魅力は、「変化と改革」を訴えて、野党から登場することにあります。

 彼女は、原九郎にこう訴えます。

ーー「だいたい、民権党の一党支配が長すぎるのです。もう二十年以上も与党だなんて、正常な民主主義政治が行われているとはとても言えない。適度な政権交代が為されなければ、なれ合いと腐敗がまん延する。そのとばっちりは国民が受けるんです」

 「ごもっとも」と原氏。お隣りの夫人も、にこにこしている。ーー

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(3) 言うまでもなく、議院内閣制は、国民すべての利益や意見を代表しているわけではなく、相対的多数による権力支配にも拘わらず権力のコントロールが難しいという本質的な欠陥を抱えており、「不完全なシステム」です。

 「それなのに、英国の議院内閣制が機能し、正当化されえたのは、競い合う二大政党による政権交代などがあればこそであった」。

 相馬凛子も、彼女を小説に登場させた原田さんも、そのことをよく理解しています。

 

3.相馬凛子を現実の政治家と比較するとすれば、やはりニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相でしょう。彼女も政権交代の結果、登場しました。

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(1) アーダーンが36歳で首相になったのは2017年です。原田さんはその4年前に本作を刊行しました。

 

(2) 二人のどこが似ているかというと、

・アーダーンは、労働党の支持率低迷の責任をとって前任者が辞めたあと、新鮮さをかわれて党首に選ばれる。

労働党は、その年の総選挙で第二党になるが、第一党の与党国民党も過半数を取れず、中道左派労働党が何と右派のNZファースト党と連立を組んで、アーダーンが首相に選ばれる。

・しかも、3年後の2020年の2回目の選挙では、コロナ対策等への信頼もあって、労働党の大勝利、第一党となり、本来のリベラル路線に注力できるようになる。

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・相馬凛子の場合も、他の野党との連立で首相になり、1年後の選挙で大勝利となり、第一党に躍り出る。

 

(2) おまけに話題性においても似ている。

・人口5百万人の小さな国の女性リーダーがテロ対策でも名をあげ、世界に注目されてタイム誌やヴォーグ誌の表紙を飾った。

(相馬凛子も「タイム誌の表紙に登場した」と小説にある)

 

・「総理の夫」の相馬日和クンについては前回触れた。アーダーン首相の「夫」も写真で見るといかにも好人物のようで、献身的に妻を支えている。

・アーダーンは、首相就任後2か月で妊娠を公表し、6月に出産後の産休を取り、おまけに秋の最初の国連総会に赤ちゃんを連れて出席し、話題を集めた。

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(『総理の夫』でも最後に、凛子が妊娠を発表する場面がある。その先はないが、あれば凛子が赤ちゃんを連れて総会に出席する話まで原田さんは書いたかもしれない)。

 

(3) 唯一最大の違いは、超インテリで富裕な相馬凛子に対して、父親は田舎町の警察官で自分は「持ち帰り料理店の店員だった」アーダーンが掛け値なしの庶民派だということでしょう。

 その点を除けば、まるでその後の現実世界のアーダーン首相を見ているような気がします。

 原田さんには未来を見る力があるかもしれませんね。

『総理の夫First Gentleman』(原田マハ)という小説。

  1. 人気作家原田マハさんは実に多作です。題材は専門の美術関連に限りません。しかもご自身は、そういう精力的な印象を感じさせない、普通の女性です。

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2. 今回は60作以上の著作の中から、『総理の夫 First Gentleman』(実業之日本社文庫)、日本初の女性首相が奮闘する話をご紹介します。

 映画化もされて、9月23日全国公開です。2013年に書かれた原作が8年後のいま映画になって、制作した映画会社もタイミングの良さに喜んでいるでしょう。

 

  但し、当たり前の話ですが、小説の世界と現実の政治とは大違いだろうと思います。

読み終えて、「ああ面白かった、しかし現実にはあり得ない」と割り切るか、どうしたらこういうことが本当に可能になるかを考えてみるか・・・・。

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  1. 本書について取りあげたいのは以下の3点です。

(1)「感動の政界エンタメ!」と出版社が宣伝するだけあって、物語作りの巧みさ。

――しかしそれだけでは、「ああ面白かった」で終わってしまうので、

(2) 女性の首相は日本にも生まれるだろうか?

(3) 女性首相は、政権交代の結果で誕生するというのが本書の筋書きだが、政権交代は可能だろうか?

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  1. 今回は、主に「エンタメとしての面白さ」を取りあげます。(1)20XX年に、相馬凛子(りんこ)という、初の女性で史上最年少42歳の総理が日本に誕生する。

「第111代の首相」とあり、1年で退場する菅氏が第99代ですから、その12代あと、数十年先の未来を想定している。

 

そして、「総理の夫」が書き残す日記体で物語が進む、という仕掛けが巧みである。

(2 )相馬凛子は、両親はともに故人だが父は夭折した天才小説家で、母は著名な国際政治学者という設定。

 

本人は東大法学部卒、博士課程を終え、その間にハーバードに留学。シンクタンク研究員を経て、32歳で無所属から立候補して衆議院議員になり、わずか5名の少数野党「進歩党」の党首になる。

飛び切りの美人、頭脳明晰、曲がったことが嫌いで、信念と理想に燃えて、自らの言葉を大切にして、ひたすら国民のために闘う強い女性。

ちなみに先に読み終えた妻は、雅子皇后を想像したと言います。

 

(3)他方で、「総理の夫」になる相馬日和(ひより)は38歳。大富豪の次男坊で、東大理学部博士課程を終えた、浮世離れした鳥類学者。

講演会の講師として登壇した凛子に一目ぼれして「運命の女」と出会ったと感じる。

 

この「日和クン」は、人柄が好く、凛子を全力で支えることに傾注する。朝食を用意し、妻の体調管理に気を遣う。ユーモアがあり、人間を鳥と比較して観察し、いつも周りを和ませる。

 

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(4) ともに抜群に頭が良く、かつ正義感あふれる強い女性と大金持ちで優しい男性とのコンビネーション。

 私たち庶民がやっかみや反発を感じさせないほど雲の上の存在の二人が、政治の醜い陰謀に巻き込まれて闘っていきます。

 

  1. 相馬新総理は、改革派の象徴のような存在です。
  2. 以下、本書からの引用です。(1) 「凛子は、(解散に踏み切った)選挙選で、繰り返し叫んだ――。

 絶対に、絶対に、絶対に、私たちは後戻りをしてはなりません。

 かっての与党、保守派が、何十年もこの国を支配してきた結果が、いまの日本なのです。

 この国を、かって与党だった人たちに再び預けるわけにはいかない。

 彼らは自分の利権を守るために走り、この国が間違った道を逆走することには微塵も関心を寄せないのです。

 そうなっては、いけない。絶対にいけないのです。―――

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  (2) そして彼女は選挙で勝利した直後に、国連総会に出席し、スピーチをする。

「各国代表が席を立たず(いままでは日本の首相のスピーチなど国際的にはまったく人気がなく、始まったとたんいっせいに離籍するというのが普通だったらしい)、流暢な英語での凛子のスピーチに耳を傾けてくれた。

 この人物は、本気で、日本を変えようとしている。そして、本気で日本のプレゼンスを高めようとしている。

 いまの凛子は、まちがいなく、誰の目にもそう映っているのだ。」―――

 

7. 非の打ちどころのない完璧な女性が日本を変えていくという話は、 日本のいま(女性候補を含めて)とはあまりに異なり、拍手喝采したくなります。しかし,所詮夢物語ではないかと思う人も多いでしょう。

  著者自身は「私から提案した理想の総理像。いずれこういう総理が現れてくれるという予言の書(笑い)」と語っているそうですが・・・・。

京言葉「そうおしやす」と蓼科の風に吹かれて

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  1. 前回、京都小説『異邦人(いりびと)』(原田マハ)を紹介したところ、祇園町会長岡村さんから長いコメントを頂きました。

 

(1)「多くの京言葉に少しの違和感を感じることなく物語に没頭した」とあります。たしかに本書には、

「あんじょう、おしやすか」

「へえ、おかげさんで」といった会話がふんだんに出てきます。

彼はいつも聞く祇園の女将(おかみ)さんの言葉遣いと重ねて読んだそうで、著者が聞いたら生粋の京都人のお墨付きを頂いたと喜ぶでしょう。

 

(2)おまけに、長らく忘れていた言葉まで思い出したそうで、それは、

・「入らしてもろてよろしおすか」という問いに対する、

・「そうおしやす」という応答だそうです。

この小説で「~よろしおすか」の問いは、京都に長逗留する主人公・菜穂の部屋に手伝いの女性が入ろうとして、よろしいですかと声をかける場面です。

菜穂は東京人ですから、「どうぞ」と応じます。

他方で岡村さんは、「そうおしやす」(そうなさい)という受け答えを思い出したというのです。

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(3) そして続けます。

 お茶屋の息子で、花街が嫌いで飛び出してしまった小学校の同級生が久しぶりに会いにきてくれた。

 友人は認知症を病む奥さんの介護をしていて、苦労話を聞いた。

 岡村さんは、小説を読んで、「そうおしやす」という言い回しが妙に懐かしく頭に浮かんだことを話した。

「すると彼が、そんな言葉遣い、ずうっと忘れていたなあ、その本見せてくれないかと言い出したので、驚いた。本など読む男ではなかったのが急に興味を示したのは、花街で繰り返し聞いた言葉遣いで、子供の頃を思いだしたのか、妻を介護する彼を元気づけたのか、次の約束をして大型バイクに乗って帰っていきました」。

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(4)そして岡村さんは、「自分もこの年になってやっと足元のこの地を少しは見つめ直してみようという気になりました」と書きます。

 本書が、老境に入った二人の男性の「足元を見つめ直す」きっかけになったとすれば、原田マハさんも本望ではないでしょうか。

 

2.夏も終わり、当方はまもなく東京に戻ります。当地は私たちも「異邦人(入りびと)」ですが、40年以上も過ごしているので、思い出もたくさんあります。

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(1) この夏も、おかげで緑に包まれ、山を眺めて穏やかに静かに過ごしました。

今はもう秋の気配。蝉や郭公は居なくなり、代わりに見るのはトンボやススキです。稲もだいぶ育ってきました。

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(2) 小学校の秋学期も始まり、朝夕には通学する子供たちを見かけます。

我が家からいちばん近い「泉野小学校」は車で5分ほどのところ。生徒はみな徒歩で、遠い子は山道を何キロも歩くでしょう。厳しい冬の時期はたいへんですが、いまは良い気候で楽しそうに歩いています。

高齢化が進み、休耕地が増えている土地に、当然に若い世代は減っていて、泉野小学校の在校生はいまはたった88人、一学年平均15人弱です。

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(3)それでも立派な小学校で、鉄筋コンクリート3階建ての校舎、1000平米の運動場と25メートル・プールまであります。標高1000メートル、茅野市でいちばん高地にある学校とのこと。

 しかも創立は明治6年ですから、歴史のある学校です。こんな冬の厳しい土地に古くから人が住んでいたのです。

明治の半ば、歌人の島木赤彦も先生をしていました。卒業生には、スピード・スケートのオリンピック選手もいます。

八ヶ岳を仰ぐ泉野小学校も、里山の風景も残ってほしいものです。

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(4)そんなことを考えていた雨の昨日、隣人が突然やってきて、我が家で暫くお喋りしました。

長年、夏だけ当地で会う仲です。同い年で、いろいろと病を抱え病後療養中の身です。

私どもは東京へ、彼は大阪へと別れると来年夏まで会うことはありません。「これが今生の別れかもしれないから、ちょっと顔を見にきた」というので、「それを言うならお互い様。でも出来れば来年も会えるといいね」と返しました。

 

(5) そんなこともあって、岡村さんの友人の話をまた思い出しました。

奥さんの認知症の症状が進んでいる、最近は冷蔵庫から品物を全部取り出して並べる、注意すると興奮して怒り出す・・・・

「そんなときは、なだめてドライブに連れ出すぐらいしかできないんや」と嘆いたそうです。

岡村さんはおそらく万感の思いを込めて、友に「そうおしやす」と応じたのではないかなと想像しています。