ロンドンからの出張者と友人たちの話題の本

  1. 先週は、外出の機会が多かったです。

11日(土)には、英国に住む次女の2年4カ月ぶりの出張でした。

翌日曜日は、我々家族も再会を楽しみました。場所は六本木の国際文化会館です。

 

(1) まずは順調に帰国できたようです。入国時の検疫も時間がかからず、すんなり通過した。但し、ロシア上空を飛べないので、ANAは南回りで、飛行時間は従来より2時間ほど長かった。

 

(2) 全員のマスク姿には、聞いてはいたが驚いた。到着後ホテルのバーに入ろうとしたら、午後9時閉店だった。ロンドンでは誰もしていない。すべて平常に戻った。

(3) 英国は物価高騰のインフレでたいへん。子供の学校の送り迎えがあり、ガソリン代節約のため、電気自動車(EV)に買い替えた。充電も簡単で安く、利用者は増えている。

 

(4) 円安は旅行者には有難い。日本は英国のビジネスマン・ウーマンにとって「行きたい国のトップ」で、人気抜群。入国が容易になって、いまも同じ会社から別の出張者が何人も来ている。

(英国は大陸諸国ほどウクライナに近くはないが、それでも連日の戦争の報道にけっこうストレスがあって、“平和な”日本でおいしい物でも食べて精神的にリラックスしたいという気持ちもあるのか、と考えました)。

 

(5) 孫たちの話で、10歳の男の子が6年生で、あと3年同じ学校で過ごしてからパブリック・スクールに5年進学する(大学はそのあと)。どこに進学できるかが、今年の11月には決まってしまう。

私立校の教育費が高い。日本とはちょっと比較にならない高さで、果たして親の負担が可能だろうか、心配になります。

 奨学金も昔とだいぶ変わって、どんなに成績が良くても授業料免除にはならない。所得のごく低い親だけが例外的に対象になるだけ。

 それでも、よほど教育の質がいいのか不満は少なく、進学競争も激しい。

  1. あとは、友人に会ってお喋りしたり、「源氏物語」の講義を聞いたり、福沢諭吉のゼミに出たりの日々でした。

「源氏」は第40巻「御法(みのり)」に入り、源氏最愛の紫の上が「明けはつるほどに消えはてたまひぬ」、哀切の場面です。

 ゼミは、福沢が生きていたらいまの日本経済・社会について何を言うだろうかも話題になりました。

 

3.真面目な時間の合間には『80歳の壁』(和田秀樹幻冬舎新書)の話が出ました。いま大ベストセラーです。著者は1960年生まれの精神科のお医者さん。

4.この本ですが、

(1) 同世代の友人から盛んに勧められています。

(2) 釣られて買って、妻が先に読み、およその中身を聞きました。話を聞き、本屋で「帯」を読めば、大体のことは分かります。

(3) 主なメッセ―ジは、

・「80歳の壁」は高く厚いが、乗り越える最強の方法がある。

・それは、嫌なことを我慢せず、好きなことだけすること。

・「食べたいものを食べていい。お酒も飲んでいい」

・「健康診断は受けないほうがいい」

・「ガンは切らないほうがいい」

・「血圧、血糖値、コレステロール値は下げなくていい」

・「運転免許は返納しなくていい」・・・・等々。

 

5.友人たちにこの本が好評で、推薦したくなる理由を訊くと、

(1) 要は、我が意を得たり。日頃自分が考えていたことを、専門のお医者さんが言ってくれたという、満足感・安心感が大きいようです。

 

(2)また、「この本では、高齢者でなく「幸齢者」と呼ぶ」だの、「老化より「朗化」が大事だの」、「高い壁を低くするヒント50音カルタ」だの、巧みなメッセージを考えています。

(3)年寄り向けに、とにかく活字が大きくて読みやすく、細かい・難しい活字は後回しという向きの読書層には実にうまく作られています。

 

何事もこういう、便利な、悪く言えば安直な時代になりました。

 

 

「リアルな日々」と「公共的な死」

  1. 前回は、妻が、ITに弱い同世代の仲間と久しぶりに会食をした話を書きました。

(1) 田中さんから、「いろんな意味でリアルな日々が大切だと、コロナ禍で学びました」とコメントを頂きました。

 

(2)岡村さんは、「京都にも観光客が目立って増えてきた。修学旅行の学生姿も見かける。最近は目的地別の小グループで行動するようだ」

 

(3)続けて、「スマホで行き先を検索している彼らをよく見るが、観光バスでの団体旅行ではなく小グループだから、京都市民ともっと会話を持てばよいのにと思った」とありました。

 そして昔、韓国でいかに親切・丁寧に道を教えられたかという思い出を語ります。

(4)確かに、道を訊かれる・訊くという習慣が無くなりました。

私はスマホ検索が苦手なので、今でも道を訊くことがあります。しかし最近は「スマホで自分で調べればいいじゃん」と思うのか、けげんな顔をする人もいます。他方で、自分のスマホから検索して教えてくれる人もいて、逆に恐縮してしまいます。何となく声をかけにくい時代になりました。

 

(5)たまたま図書館で眺めた雑誌の論考に、「ITは便利だということになっているが、それを謳歌して、自由な時間を楽しんでいるかというと、むしろ、本来私たちが楽しむべき仲間との時間や男女で過ごす時間といったものが少なくなってきている」という一節を読み、まさに田中さんの言う「リアルな時間」だなと思いました。

筆者は、小林武彦東大教授、生物学者です。未読ですが、『生物はなぜ死ぬのか』(新書大賞2022第2位)の著者だそうです。

2.「リアルな時間」を味わえるかなと、6月も短期間、蓼科の山奥で過ごしました。

 

(1)れんげつつじの咲くカントリーロードや田植えが終わったばかりの里山の風景を眺めながら走り、田舎家に到着。あとはのんびり、ぐうたらです。ほんの少し畑の草取りもします。

(2)畑を一緒にやっている年下の友人がいて、寄ってくれます、彼らの愛犬「さくら」にも挨拶します。

(3) 小鳥もりすもひまわりの種を食べにやってきます。

今回は、小鳥三羽が並んで平和についばむ、珍しい光景を見かけました。

春ゼミが賑やかに鳴いています。

3.ところで前述した小林教授の一文は、「利己的な生と公共的な死」と題する中央公論6月号特集「老いと喪失」の中にある論考からです。

 

小林先生は述べます。

(1)「生物は、(略)いわば、死ぬものだけが進化できて現存できている」

(2)人間も例外ではないが、異なるのは「老い」が長いこと。「他の生物はほとんどの場合、生殖可能期間が終わると寿命が尽きて死んでしまう」

(3) 「人間の老いは生物学的な問題だけではなく、社会的な問題と密接に結びついている」。

 

(4)「そうであっても、死は避けられないものとして受けいれるしかない。(略)みんなが死んでくれたから、今の私は存在している。だから、最後は私もご奉公として死んでいくのだ」

 (人間は、生まれてくる時は利己的だが)、成長するに従って少しずつ公共的になっていき、最後は自分の権利をすべて放棄し、完全に公共的に死ぬのである」。

4.だからこそ、「すべての人が生きやすい世界を作ること」が必須である、と小林教授は主張します。

(1) ところが、むしろ「ITストレス」と彼が呼ぶような状況が生まれている。

 そして、「ITを含めて周辺環境の変化のスピードが速くなっている、ヒューマンフレンドリーでなくなっている。友達と遊んだり、デートをしたり、釣りやどこかを散策するといったことを時間の無駄だとみなすようになってきている。」

 

(2)小林教授は、こうした「現代的なスピード・効率重視の発想が進んでいけば、残念なことに、人間は100年持たないと私は考えている」と言い切ります。

 

高齢者もようやく外に出るようになりました

1. 今回も神代植物公園の薔薇の写真です。

 (1)我が家の玄関脇にも、「プリンセス・ミチコ」の小さな薔薇が今年も元気です。

  (2) これも「プリンセス・チチブ」も英国で開発されました。今年は、女王の即位70年を記念して「エリザベス女王陛下」と名付けられた新種が作られたそうです。

薔薇は英国を代表する花ですが、君主国のせいか、こういう命名を好むようです。

  (3) 女王の祝賀行事が、英国で6月2日〈木〉から4日間、行われました。

  初日のパレードで、バッキンガム宮殿に続く「ザ・モール」と呼ばれる道は、たいへんな群衆でした。

 

  1. 日本もようやく外出制限がなくなり、 あちこちで人出が増えているでしょう。

 6月1日から空港の入国制限も緩和された由。特定の国は、検査も自宅待機も不要になり、英国に住む次女も、来週は2年ぶりの出張で一時帰国します。「日本ではまだマスク着用だよ」と念を押したところです。

 ちなみに次女一家のマンションでも「女王祝賀パーティ」が開かれたそうです。

3.我々夫婦も出かける機会が徐々に増えました。先週は、妻が学校時代の級友4人の昼食会に行きました。

 老人の「お出かけ」はなかなかたいへんです。

 

(1) 場所は、JR 武蔵小杉駅に近い中華料理屋。1人が膝の具合が悪く、歩行にやや難があるので、彼女の自宅に近い場所を選んだ。

 待ち合わせ場所は、駅の改札口。

 

(2) 武蔵小杉は人気の郊外都市で、交通の便もよい。改札口といってもたくさんある。

しかも、少し離れたところに、東急線の同じ名前の駅がある。

 

(3) 2人の女性は、東急線を利用して「武蔵小杉」で下車し、JR「武蔵小杉」駅改札口まで歩いてくる。

(4) 2人は、パソコンはおろか、アイ・パッドも携帯電話も持っていない。

場所を探すのに手間取り、待ち合わせの時間に遅れても連絡の取りようがない。

 

  1. 幸い、当日は無事に会えたようですが、妻も事前にご自宅に電話をして、何度も詳しく場所の説明をしていました。

1人の女性はそれでも心配で、前日、わざわざ下見にJR武蔵小杉駅まで確かめに出掛けたそうです。

 

5.しかし何年振りかで再会出来て、お喋りを大いに楽しんだようで、よかったです。

 

(1)妻は、抗がん剤の世界的権威前田浩博士の『最強の野菜スープ』というベストセラーの紹介をしたそうです。

使い残した野菜を捨てずに有効に利用できるというのが、「無駄」を嫌いな「焼け跡世代」の女性たちの好みに合ったようで,関心を持ってくれた由。

 

(2)本書については、数週間前にブログで紹介しました。

これを見れば、本の内容は分かるし、写真も載っている。しかし、パソコンもスマホもない女性は見られない。

 そこで妻は、ブログのコピーを取って、自宅に郵送したそうです。

      (3) デジタル社会に追いつけない高齢者は決して少なくないと再認識しました。

 とくにこの2人は、夫を亡くして一人住まいです。お子さんは海外で暮らしています。そういう家庭の状況も大きいかもしれません。

 私どもも、デジタルの流れに追いつくのは決して容易ではありません。私は不器用なのでメール入力や検索はスマホでなく、PC専門です。

 それでも、夫婦で情報交換は多少できるし、近くに次世代の家族もいるし、辛うじてデジタル化のあとをよちよちついていきます。

 

6.今の若者ならむろん、スマホを駆使して情報を収集し、発信する。

 便利でしょうし、ウクライナの情報などを見ると意義も大きいと思います。

 しかし他方でフェイク情報も溢れているようです。便利がそのまま幸せかは別問題かもしれません。

  老人はむしろ、心配なら前日下見に行くようなアナログ文化に徹した方が、精神衛生上はよいかもしれません。

5月の薔薇とウクライナのオルガ・ルデンコ編集長のこと

1.五月晴れの気持ちよい日、妻と二人で調布の神代植物公園に満開の薔薇を見に行きました。大勢の人出でした。

 

2.それぞれに付けられた名前を確認するのも楽しみです。

「プリンセス・チチブ」「イングリッド・バーグマン」などは毎年迎えてくれます。

「ピース(平和)」という薔薇もあります。

3.プーチンウクライナ侵略は4か月目に入りました。

米タイム誌5月23~30日号は、「次世代のリーダー10人」を選ぶ特集記事を載せました。

トップは、ウクライナの33歳の女性オルガ・ルデンコ。読書と日本のアニメが大好きな、「キーウ・インデペンデント紙」(以下「キーウ紙」)の編集長です。

 

4. 電子版だけの、20人強のちっぽけな日刊新聞は、侵略のわずか2週間前に発足しました。

いま、「英語で発信される、この戦争のもっとも信頼できるウクライナからの情報源」とタイム誌は評します。ツィッターのフォロワーは200万人を超えます。

5.彼女とその仲間は、戦争が近いと確信して既存のメディアから独立して本紙を立ち上げ、以後、危険かつ悲惨な戦場と化した場所に留まり、情報収集と発信に努めています。

「ジャーナリズムは正義の実現を助ける仕事だ」と語ります。

 

6.その「キーウ紙」が、5月24日に「ニューヨーク・タイムズの社説への応答」と題する社説を載せました。

 ニューヨーク・タイムズ(以下タイムズ)は、170年の歴史を有する、リベラルな、アメリカでも有数の高級日刊紙です。

ウクライナを支持するタイムズ紙の姿勢はキーウ紙も十分認めている。しかし、5月19日の「社説」には賛同できず、鋭く反論しました。 

(1)タイムズ紙は、

ウクライナが決定的に勝利すると考えるのは現実的ではない。

・ロシアは強大であり、プーチンは自らの威信を賭けている。

ウクライナは辛いだろうが、一部領土の割譲を譲歩すべきであり、アメリカはその方向で説得すべきだ。それがこれ以上の殺りく、世界の食糧危機、エネルギー危機を救う道でもある。

――という社説を掲げた、とキーウ紙は紹介し、これは第2次世界大戦時、英仏がヒトラーに譲歩したと同じ「融和政策」であり、ウクライナは断じて譲歩しないと主張します。

 

(2) なぜなら、まず,そもそも大義のないロシアの軍隊は、決して 強くない。

しかも、ウクライナ国民は、この戦いが自国の生存と独立のための防衛戦であり、敗れれば滅びることを十分理解している。

だからゼレンスキー大統領といえども、国民を説得することは出来ない。

(3)しかもウクライナは、「長く続く平和で自由な“世界”」のためにも戦っているのだ。

 ここで譲歩するのは、ロシアの、レイプ・拷問・大量虐殺を見逃すことになるのではないか。ファシスト国家の更なる侵略を許すのではないか。台湾に対して、中国に譲歩しろと迫るのと同じではないか。

 

(4) その為にもアメリカはロシアに妥協せず、支援を一層強化してほしい。それはアメリカそして自由世界すべての為でもある筈だ・・・・・・。

  1. キーウ紙社説の必死な訴えには心を打たれます。

 

(1) 他方で英国BBCは、「大きすぎる血の代償に、停戦を求める声が大きくなっている」と伝えます。

 

(2) しかし英国エコノミスト誌は断固として反論します。最新27日電子版の論説は、名前はあげませんがキーウ紙を全面的に支持する内容です。

即ち、――「今はふらふらする時期ではない。ウクライナに必要なのは弱腰のアドバイスではなく、支援なのだ。プーチンとの妥協は、永続する平和をもたらさない」

 

(3) NY タイムズと英エコノミストという古典的リベラリズムの両雄が、いまプーチンの残酷な戦争をいかに収束させるかをめぐって、真向から対峙しています。

第四回京語りの会に出席しました。

1.5月14日(土)、東京は赤坂で、今年最初の「京語りの会」が開かれました。通算4回目です。

(1) 最初は京都の有名人・下前さんの「床屋談義」でした。2回目からは同氏の語りに加えて、もうひとり講師が加わりました。

 

(2)今回は、「帯匠誉田(こんだ)屋十代目山口源兵衛さん」という方でした。

 京都の室町で280年以上続く老舗の帯問屋で、ご本人は帯作りを専門にしておられます。

 ホームページには、「ヨーロッパの有名デザイナー達がお忍びで訪れ、目利き達を熱狂させる、日本屈指の帯匠」とあります。

(3) ロンドンの国立博物館「ヴィクトリア&アルバートミュージアム(V&A)」(下の写真)が氏の作品を10点も買い上げたそうで、まさに工芸品でもあり、芸術品でもあるでしょう。

 また、「コロナ禍で中止になったが、昨年、V&A主催の世界的な染織シンポジウムの大トリで、源兵衛さんが講演することも決まっていた」そうです。

 

(4)山口氏は、4月14日放映のNHK日曜美術館―写真で冒険,京の町~京都国際写真祭2022~」にも登場しました。

 誉田屋の24畳の奥座敷が「国際写真祭」の展示場の一つになり、そこでスペインの写真家イザベル・ムニョス氏の作品をもとに山口氏がデザイン・制作した帯が初公開されました。その模様が番組で紹介されました。

(5)「京語りの会」では、伊藤若冲の八重菊の絵をデザインして10年かけて作ったという帯や、中国の水墨画をもとにした「跳鯉」の帯などの写真を拝見し、「こんな帯作りたいねん」という想いを伺いました。

 

2.こういう人物が京都にいるのだ、と改めて日本文化の奥深さを再認識しました。

そして、伝統工芸の大家をこの会にお連れした下前さんの人脈と構想力にも感心しました。

(1)しかも、あとから続く山口源兵衛氏の話を踏まえて、和服の話をされました。

(2)呉服は「呉の国から渡来した」。兵庫県池田市にある呉服神社の社伝案内に説明があるそうです。

 

(3)という話から始まり、時代とともに和服離れは進む。その理由と背景について語る。「明治天皇も洋化政策のシンボルとして着用被服すべて洋服に定められた」。

 

(4)そして、和服振興のためにはどういうことを考えたらよいか、と問うて、

 1つは、着物姿を褒めること、

 2つは、天皇皇后のお二人に、私的な機会でもよいから着物を着て頂く、

の2つを提言されて、私はなるほどと思いました。

(5)(1)について補足すると、こんな話でした。

京都はさすがに着物姿を多く見かける。ある日、薄い青の着物姿の女性が歩いているのを見て、下前氏が「きれいですね。今日の空の色のようですね」と声を掛けたところ、とても喜ばれた。以来、「褒めること」の大切さを実感した・・・・なかなかいい話です。

 

3.見ず知らずの方にも気さくに話しかけるのが同氏の人柄のなせる業でもあり、京都という土地柄もあるかもしれません。

 (1)当日は30人ほどの会でしたが、中に一人ウクライナ人の女性がいました。

 カテリーナさんは下前さんのブログにたびたび登場する女性。ある日、市バスの中で同氏が話しかけて以来仲良くなった由。共にウクライナから来日した夫は京大の研究員だったが、理研に転勤となり、いまは家族で埼玉に住んでいる。

 そこでカテリーナさんもこの会に急遽駆け付けた次第です。

(2)会の最後に、下前さんの紹介で、彼女が日本語で.祖国に残した両親のことなどを語りました。

 総合司会の松井孝治慶應義塾大教授の呼びかけで、ウクライナ国歌がPCから流れ、彼女は立ちあがって胸に手をあてて聞き入っていました。

ウクライナ国歌・コサックの子守歌 - YouTube

 

 こんな風に今回も、とても良い雰囲気で終わりました。

 

京都と茅野の絆、『最強の野菜スープ』のこと

1.前回のブログで、長野県茅野市の山奥で過ごし、徐々に次世代に任せているが多少

は畑仕事を手伝ったことに触れました。

 

(1) 京都の祇園町会長岡村さんの奥様は、もう亡くなられましたが、茅野市のご出身です。

ご自分も以前は5月の連休には奥様の実家に行っていたことを思い出した、とコメントを頂きました。 

(2) そして続けて、「退職後には我々夫婦も同じように畑を手伝ってくれることを、亡き妻の両親も望み・楽しみにしていただろうな、と改めて考えながら読んだ」とあり、じんときました。

お元気だったら、ひょっとして畑でご一緒出来たかもしれないと思いました。

 

(3)その後も、親族とのご縁が続いているそうで、夏には畑で採れた大量の野菜を送ってくれる由。京都からは、「舞妓が新年の挨拶をするお茶屋に訪れる写真を送ったところ、彼の友達が貼り絵にした写真を送ってくれました」。 しかも、この貼り絵が京都市美術館で展示されるとのこと。

こんな風に、祇園と信州とが、奥様を絆にいまも繋がっているのは素敵です。

2. ところで、野菜と言えば、最近『最強の野菜スープ』という本を読みました。

(1)著者は熊本大名誉教授の前田浩氏。本書は「抗がん剤の世界的権威が直伝!」とあります。

2017年に出版され、私が読んだのは第23刷、40万部のベストセラーだそうですから、ご存知の方も多いでしょう。続編も2冊出ています。

 

(2)私は最近まで知りませんでした。たまたま昔の職場の同期の某君が教えてくれました。学校の同級生で親しかったそうです。

「ぜひ読んでほしい」と言われて、遅まきながら手に取りました。

(3) 前田氏の専門は、抗がん剤の研究・開発です。

「日本人の2人に1人ががんになり、3人に1人はがんで亡くなる」。

がんの治療に使われる抗がん剤は、がん細胞を破壊する際に正常細胞も傷つけてしまうために、重い副作用を伴う。同氏は、「患者の体を害することなく、効果のあるがん治療を実現したい」という願いで開発を続けました。

その論文の引用数の多さから、ノーベル化学賞の有力候補と言われていましたが、昨年5月、82歳で亡くなりました。

 

3.前田博士は、研究を進める中で、「がんの予防には野菜スープが一番」という結論に達し、その理解を拡げるために本書を書いたそうです。

以下のようなことを、分かりやすく、写真や図入りで説明してくれます。

(1)野菜がなぜ躰に良いかの医学的説明

(2)中でも「スープ」にするのがなぜいちばん良いか?

例えば生野菜に比べると、「抗酸化力」(猛毒の「活性酸素」を抑える)が10倍から100倍も高いから。

(3)「野菜スープ」はがんの予防だけでなく、治療後の体力回復や再発防止にもお勧め

(4)しかもがんだけでなく、多くの生活習慣病の改善など、「体の毒消し」の効果がある。

(5)という考えに立って、本書は、この「野菜スープ」の作り方を懇切丁寧に教えてくれる。

 著者によれば、作り方はごく簡単で、残った野菜を何でもいいから入れてスープにする。残り物を捨てる無駄が減る利点もある。

 

 そして、「野菜だけのシンプルなスープを作ることをお勧めします。最初は少しもの足りなくても、続けるうちに、野菜の深い滋味が感じられるでしょう」。

4.我が家はもともと、どちらかと言えば野菜派なので、妻は早速前田博士のレシピに沿って作ってくれました。

 ほぼ毎日、頂いています。 

 夏には、自分たちの畑で採れた野菜のスープを食べられるかな、と今から楽しみにしています。

5.もっとも博士は、昨年5月に肝不全で逝去されました。

 人それぞれの「寿命」は、神様にしか分からない、別のものなのでしょうね。

 GWの蓼科はまだ早春のおもむきでした。

  1. ゴールデンウイークの連休は信州蓼科で過ごしました。

季節は、東京と1か月遅いようで、ちょうど早春の趣きです。草木が緑になり、レンギョウ、山桜、花桃、山つつじ,山吹,雪柳など,花が一斉に咲きます。

  1. 今年は3年ぶりの「行動制限のない」ゴールデンウィークで、久しぶりに気兼ねなく過ごしました。

もっとも日々の暮らしは例年と変わりません。

朝は、小鳥やりすに餌を与えます。餌台にとまってゆっくり食べる鳥もいるかと思えば、つまんですぐ飛び去って近くの枝で安心して食べている鳥もいます。二羽が一緒に平和に食べているのもいて、そんな違いを面白く眺めます。

3.散歩もします。「早春、ほかの鳥に先駆けてさえずり始めるので春告げ鳥と呼ばれる」鶯(うぐいす)が鳴きだしました。

野鳥の写真を撮るのを趣味にしている方から,「野鳥」という雑誌を頂きました。

ここに、京都の冷泉貴実子さんが「和歌の中の春と夏」という文章を載せています。

――「・・・鶯は春の訪れとともに、「雪の残る山」を出て里を訪れる。その初めて聞く声を「初音」と呼ぶ。待ちこがれた春を知らせるものとして、特に喜んだ。・・・」

まさに、蓼科の里山では5月初旬のいまがこういう季節感にぴったりです。

4.この時期は、農家は農作業が本格化し、田畑に出て忙しく働きます。

我々素人も、いつものように畑仕事をしました。もっとも最近は、年下の友人宮本夫妻と長女夫婦に任せて、ほんのお手伝いで済むようになりました。

それでも、連休のうちの3日間は朝から畑に出ました。耕し、鹿よけのネットを張り、畝を作り、マルチと呼ばれる雑草除けのシートを張り、植え付けをする・・・などの作業です。

今年も、じゃがいも、枝豆、人参、ネギ、トマトなどを植えました。

宮本さんは、初日の朝いちばんで、車を運転して畑にやってきたときに、誤って蛇を轢いてしまいました。

 私どもは少し遅れて畑に到着したので、現場は見ていません。彼は律儀にも、畑を終えてからはるばる諏訪大社までお参りに出掛け、お祓いをしてもらったそうです。

5. その諏訪大社の「御柱祭」は、4月の「山出し」に続いて、5月には「里曳き」の行事が行われました。

 4社あるうち、上社2社は5月3日から5日まで。下社は翌週末14~16 日です。

4日には柱を氏子たちが曳いて、上社の2つの神社内に運びます。柱にはV字型の「めど」と呼ばれる太い横木に氏子代表が何人も乗って気勢をあげながら進みます。鳥居を幾つもくぐったりする難所もあります。

5日の夕方には最後の「建御柱」の神事で終わります。

6年ぶりのテレビ見物を楽しみました。例年と違ったのは,めどに乗る全員もマスク着用だったことぐらいでしょう。

 

6.こんな風な時を過ごし,例年と変わり替えしない平凡な連休でしたが、今年はとくべつ平和の有難さを感じました。

芥川賞作家・松浦寿輝さんの、毎日新聞に連載された『無月の譜』という小説の一節を思い出しました。

(1) 太平洋戦争末期、まだ20代でシンガポールで戦死した大叔父の足跡をめぐって探索の旅に出た、一青年の物語です。大叔父は将棋駒作りの職人で、この世に自分の作品をたったひと組だけ遺(のこ)していた可能性があります。青年は、シンガポールなどあちこちを旅し、召集された若者の過酷だった短い生を想います。

(2) そしてこういう感慨を漏らします。

――「ふつうの町でふつうに生きる ――ひょっとしたらそれが、人間が手に入れることのできる最高の幸せなのかもしれない。

だとしたら、この「ふつう」を人に禁じ、それを不可能にしてしまうのが、戦争という人類の犯す最大の愚行の、もっとも残酷な本質なのに違いない」・・・・・。