「先発のエース不調のリリーフに~」

  1. 先週月曜日の東京は雪が午後から夜遅くまで降り積もり、夕方の交通が乱れました。

老人はこんな日に出るべきではないのですが、前からの予定で「サロン」と称して9人の男女が六本木の某氏邸に集まりました。

スーパーのお弁当で昼食のあと、厚かましくも私が「源氏物語」についてレジュメをもとに語り、あとは皆さんのお喋りです。

雪が舞ってきたので早めに切り上げましたが、それでも帰りのバスは相当遅れました。渋谷駅も早く帰宅する人が多いせいか、大混雑でした。

  1. メンバーは元職場の仲間とその連れ合いですが、多摩川の先からはるばる来た夫婦がいました。電車を乗り継いで2時間かけて何とか無事に帰宅したというメールが、翌朝届きました。

 雪の中の帰宅を心配したのは、奥様が緑内障で目が殆ど見えなくなり、この日も夫君の手を借りて来られたからです。それでもミセスもたいへん喜んで居られたようで、メールには「またの機会を楽しみにしています。遠くても駆けつけます」とありました。感心したのは、夫君が甲斐甲斐しく面倒をみていることです。家事も担当しているようです。

  1. 80歳を越えると、そろって元気な夫婦は減ってきます。某金融機関から送られて

きた資料によると、

・当然ながら「高齢になるほど介護のリスクが高まる」

・要介護・要支援認定者の割合は、「80~84歳」で約3.7人に1人、85歳以上になると約1.7人に1人、6割弱に跳ね上がる

・介護が必要になった原因は

 1位認知症、2位脳血管疾患、3位衰弱、4位骨折・転倒、これで7割弱です。

 

  1. そういえば、男女7人の親しい仲間でいつも食事会をやっているのですが、うち一

組のご夫婦の奥様が脳梗塞になりました。

幸い順調に回復されリハビリを頑張っておられますが、まだ車椅子です。

昨年12月夜の忘年会は彼らの自宅に近いところで、夫君が車椅子を押して出席され、食事中も隣の席で甲斐甲斐しく助けておられ、その姿に心打たれました。普段から明るい奥様ですがこの日も快活で、お二人のチームワークの賜物と感じました。

 車椅子の外出が日本でも徐々に可能になってきたようです。昔暮らした欧米の街ではごく普通の光景でした。

  1. もう一人、もと職場の同期だった某君です。もともと奥様が要介護の状況だったのですが、「今回、胸椎の圧迫骨折を起こした」との手紙を貰いました。

高齢もあって医者と相談して手術はやめたそうで、「主夫業プラス介護士業が重なって、24時間目が離せなくなりました」とあり、短歌が添えてあります。

――先発のエース不調のリリーフに 立たむ気負ひに 割烹着着るーー

彼は短歌の名手で、いろいろ大きな会で入選しています。

頑張ってほしいです。


6.この3人の友人の奥様への介護、私にはとてもできないなと感じ入っています。

雪の中を帰宅した友人のメールには、「二人の年よりを見ると皆さん席を譲ってくれるので、全部座れて楽でした」とありました。周りの親切も嬉しいですね。

世代交代は進んでいます

1.私事ながら、先週85歳の誕生日を迎えました。

東京の孫二人、英国の孫二人、それぞれの母親経由バースディ・カードが届きました。

2.英国のカードは大きくて写真と名前だけ。日本のカードは小さく、細かい字でいろいろ書いてあります。

東京の上の孫(たつや)は独身のサラリーマン、下(りえ)はすでに結婚して二人の

赤ん坊(私の曾孫)がいます。

元旦には皆が我が家に集まり、酒盛りをしました。

たつやはバースディ・カードにそのことを書いてきました。

「お正月は有難うございました。(赤ん坊を抱きあげようとして)お互いに泣かれてしまいましたね。またリベンジしましょう!私もそろそろ子供が欲しくなってきたかも・・・・?

その時はぜひ抱っこしてあげてください!・・・」

まだ結婚もしていないのに、「よく言うよ!」です。

3.父親(私の長男)は商社勤務で、20年以上昔、インドネシアジャカルタに赴任しました。当時5歳と3歳の孫も連れて行きました。

幼い孫たちはどんな思いで日本を発つのだろうと考えていたところ、出発する直前、母親(長男の妻)からメールが届きました。

 「子どもたちが話していた会話が聞こえてきたので再現します」とあり、以下の通りです。

--―たつや「インドネシアに行ったら、もう雄也くんに会えないんだよ、もうね、みーんなに会えないんだよ」

りえ「えっ!しょうちゃんやあきちゃんも?ともくんも?」

た「そう。外国ってわかる?・が・い・こ・く、って」

り「うん!がいこくってえいごをしゃべるところでしょ」

た「インドネシアに行くとまわりの人はみーんな外国の人なんだよ」

り「インドネシアに行くって、旅に出ること?」

た「・・・あのね。夏ってわかる?」

り「うん、あのお日さまきらきらの」

た「インドネシアはね、ずーーっと夏なんだよ。ずーっと、ずーっと暑いの。ほらね、日本は冬とか出てくるでしょ。でもね、インドネシアはずーっと暑いんだよ。外国だから・・・・」

り「お兄ちゃん、インドネシアに行くって、旅に出ること?」

た「うん」

り「じゃあ、どこに行くんだろう?」

――会話はここで終わったそうです。

5.私はその翌年、まだ独身だった長女と二人で、長男一家が暮らすジャカルタに2泊、

バリ島に2泊する機会がありました。

ジャカルタでは孫息子の通う日本人学校を訪問しました。

到着したのがちょうど休み時間で生徒たちに頼んだら、校歌を歌ってくれました。

三番まで歌い、「ああ我ら、ジャカルタに日本の子!」の最後のリフレインは私も加わりました。

妙な大人が現れたと同級生の印象に残ったらしく、後で「たつやのおもしろおじいさん今日は来ないの?」と言われたそうです。

私が60歳代初めの出来事。

あれから20年有余。幼かった孫は、いまは片やサラリーマン、片や母親として、少子高齢化の日本で頑張っています。世代交代は確実に進んでいます。

当方は誕生日を祝ってくれるのはひたすら面映ゆく、昔を懐かしむだけになりました。

あとらす49号と湯澤毅然氏の著書

1.前回のブログで岡村さんの海外一人旅エッセイを紹介しました。掲載している京都健康管理研究会の理事長さんから、「ネバーエンディングストーリーは今後も掲載されます。乞うご期待」というコメントを頂きました。楽しみです。

 

2.厚かましい話ですが、私の方も「あとらす」という雑誌49号に、昔、アメリカのニューハンプシャー州シュガーヒルという小さな町に旅した話を寄稿したばかりです。

3.ニューハンプシャー州アメリカの東北部、大統領選の予備選が23日実施されたところで、共和党トランプ候補がアイオワ州の党員集会に続いて、2回目の勝利を収めました。

これで「世界中で選挙の年」と言われる中でも最も注目を集めるアメリカの大統領選挙は、4年前の再対決、81歳民主党バイデンと77歳トランプの老人二人で争われる可能性が高まりました。他に人材がいないのかと嘆いている人は多いことでしょう。

 

3.ところで「あとらす」は、神田神保町にある西田書店という出版社が編集を担ってくれます。年2回の発刊で今年で25年続いています。私の友人も参加してくれて、嬉しいことです。

4.最新号の「あとらす」には、湯澤毅然(もくねん)という人の「許嫁(いいなずけ)」と題する短い物語も載っています。

 西田書店が昨年10月に刊行した「アンチテーゼ」という短編集の一篇です。この本の帯には「余命宣告から2年余。膨大な原稿を遺し著者は55歳で逝った。本書はその第1巻である」とあります。

5.本書の巻末には「湯澤家一同」からの「刊行に際して」と題する説明文があります。引用すると、

 

「(著者は)2021年3月末、突然末期がんと診断されました。

 抗がん剤治療を開始すると同時に、病気と闘いながら、念願だった執筆活動をスタートしました。

 激しい副作用で食事がとれない日々の中、憑かれたようにキーボードに向かい、小説、奇譚集、メルヘン、エッセイ、落語、昔話など、趣向を変えた全7巻を一気に書き上げましたが、創刊となる本作品「アンチテーゼ」の刊行を見ることなく、2023年8月17日55歳で永眠いたしました。

 その名の通り、毅然として余命を受け入れ、信念を曲げず、病と戦う一方、楽しみながらも凝縮した時間を全うし、「ストーリーが天から降りてきた」と満足そうに微笑んで旅立って逝きました」。

 毅然の時空を超えた摩訶不思議な玉手箱全7巻、順次刊行してまいります」。

6.一読して、こんな人生もあるのかと仰天しました。

 裏表紙の著者略歴には、卒業学校名と勤務先しか載っていません。構想は以前からあったにせよ、文章を発表したことが一度もなかった普通のサラリーマンが、死を宣告されてから執筆に没頭する。家族がそれを支え、生前間に合わなくとも、死後、全7巻を出版する。

 人は何のために生きるか、という素朴な問いを突き付けられます。

 と同時に、活字の本を出すことにはまだまだ意味があるのだとも考えました。

 第1巻の短編集『アンチテーゼ』は28篇の短編、それぞれに不思議な味わいがあります。

オスロで「戦争を知らない子供たち」を歌った岡村さん

  1. 今回は、岡村さんのエッセイの紹介です。

いつもコメントを頂く岡村さんは,京都の祇園で生まれ・育ち、町内会の会長さんです。

若い頃に海外一人旅をして、コメントにも度々旅の思い出に触れておられます。まとまって話を聞きたいなとかねて思っていたところ、この度拝読する機会がありました。

2.「青春旅の想い出手帳」と題して、公益財団京都健康管理研究会が発行している「健康塾通信」に、連載しておられます。

 

(1)この財団は、広く医学・医療の発展向上を目指した研究助成、医療相談事業、医療教育講座事業などに携わっています。理事長と岡村さんがともに、珈琲店「イノダ」の朝の常連で、そのご縁からエッセイを載せることになったようです。

 

(2)第1回の冒頭は、こんな文章で始まります。

五木寛之さんの「青年は荒野をめざす」を読んで、主人公北淳一郎青年のようにソ連を経由して、世界を目指したいと思ったのは1971年のことだった。(略)20キロ近くあるリュックに、家から出る時に舞妓から餞別に貰った蛇の目傘を寝袋に巻き付けて背負っていた」。

3.いままで3回の連載は、岡村青年が船でソ連に渡り、鉄道で北欧に入り、ノルウェーの最北端ノール・カップを目指すまでですが、とても面白いです。

(1)記録と写真をきちんと残していたのでしょう。旅の途中で出会った人たちや様々なエピソードが語られます。

(2)例えば、ストックホルムスウェーデン)の街で雨に出会った。早速、餞別の蛇の目傘をさして(恰好いい!)歩いた。雨宿りをしたら、先客の若い女性がいた。許可を貰って写真を撮った。

 

(3) ノルゥエーのオスロでは、公園に寝転んでいたらワイワイと騒いでいる。中に入って行って,側に置いてあったギターを勝手に抱えて(「戦争を知らない子供達」を)歌っていると、周りに人が集まってきた。

(4)ある時は、観光バスをヒッチハイクします。

スウェーデンで。北に向かうバスに乗ろうとしたら、一日一本でもう出てしまったと言われる。

1時間ほど座っていたら観光バスが見えた。走っていって事情を説明したら乗客が皆ニコニコと大声で、「乗れ、乗れ」と言ってくれた。

 車内ではいろんな質問と食べ物が回って来た。隣の娘さんに日本語で名前を書いてあげたら、私も私もと差し出された。マイクを向けられたので、斎太郎節を歌った。

4.見知らぬ土地で見知らぬ異国人に出会い、中には不愉快なこともあったようですが、それも貴重な旅の思い出だったでしょう。だいたいが皆とても親切だった。

 

5それにはもちろん時代があり、日本人が珍しい時代ではあった。

しかし岡村さんの人柄が大きかったでしょう。ギターを弾き、歌を唄い、自然に「一期一会」を実践していく姿勢と行動の魅力です。私は彼の2年前1960年代末にはニューヨークで暮らしましたが、とてもこんな風に周囲に溶け込んでいけませんでした。

6.彼がオスロで歌った曲をYoutubeで聴きました。1970年に公開されたそうですが、「戦争を知る子供」だった私は知りませんでした。何度も聴きました。いい歌です。

戦争を知らない子供たち(1970年万国博ホール実況版) (youtube.com)

 

「Discretion(自由裁量))と「権限によらないリーダーシップ」

  1. 先週、中高が一緒のS君と会食する機会があり、元旦早々の惨事が話題になりました。

S君は、大学院で流体力学を学び、長く某大手企業の技術屋として、ヘリコプター設計の第一人者でした。

  1. 私からは素人の素朴な質問になります。

(1)「今更と言われるだろうが、何故地震の予測が出来ないのか?確度が低くても「起きる可能性がある」と言えれば、少しは事前に手が打てたのではないか。このような状況は悲惨すぎる」

(2)彼も専門ではありませんが、地震の予知がいかに難しいかについて説明してくれました。

(3)要は日本列島の置かれた構造問題で、宿命であり、これからも地震と付き合っていくしかないのではないかと言っていました。

他方で、同じ島国の英国がいかに天災の少ない恵まれた国かという話題にもなりました

(4)地震の最大被害国である日本は、英知を結集して世界に先駆けて、この分野の研究を一層進めてほしいという願いでは、二人とも一致しました。

  1. 次いで、羽田の航空機衝突事故です。この分野は彼の専門です。

(1)今回いちばん印象に残ったのは日航乗務員の優れた危機対応だと思うとい

う点で、二人は同じ意見でした。

 

(2)S君はこの点を補足してくれました。

航空機の設計にあたっては、乗客の安全をいかに守り、機内から脱出させ

るか(evacuation)が最大の課題である。

アメリカのFAA(連邦航空局)から「TC(型式証明)」を取得する場合も、この点が大きな審査の対象になる。

(3)その際FAAは、設計のソフト面を重視する。その最大のチェック・ポイ

ントが、危機にあたって、経営者や現場にどれだけ「discretion(自由裁量・自主判断)」が与えられているか」である。

(4)そして、国別の違いがあって、「主要国の国際比較で、自由裁量の度合い

が一番高いのはアメリカで、最低が日本」というのが世界の常識である。

 

(5)日本では、航空業界に限らずあらゆる組織の決定で、「上役に・お上にお

伺いをたてる。ハンコをたくさん押して集団の責任にしようとする」文化が根強い。

こういう日本理解は、私も友人もよく理解できます。

(6)だからこそ、今回の日航乗務員が自らの判断に基づいて行動したことは、

もっともっと高く評価されて然るべきと考えます。

(7)今回の優れた対応は、ひょっとして日本の組織文化や国民性が少し変わっ

てきているからかもしれません。

あるいはもともと日航という企業文化が背景にあるかもしれません(旧東

京銀行には、同じく“discretion(自由裁量)”の文化がありました)。

(8)教育の成果もあるかもしれません。

昨年の秋にもと職場の同僚で、最近大学教授を定年退職したK君に会う機会がありました。ゼミで、学生に「Shared Leadership(リーダーシップは権限によらず、グループの全員が発揮すべき)」を実践で学ぶべく取り組んできたという興味深い話を聞きました。

この考えは「discretion自主裁量」を重視する考えと多少通じることがあるように感じました。

元旦早々の惨事と海外報道

  1. このブログは週1回、日曜日に書くので、前回は昨年大晦日でした。

それから1週間経ちましたが、元旦早々を襲った二つの惨事には衝撃をうけています。

午後4時10分、石川県能登地方を震源とする大地震

午後5時47分、羽田空港日航機と海保機の衝突事故。

  1. 地震発生時、我が家は恒例の家族の新年会で、子・孫・曾孫まで揃い、

シャンパンを空けたところでした。その後も酒宴は続き、夜9時前には解散しました。東京は交通機関も順調で、家族もそれぞれ無事に帰宅しました。 

 被災地の方々も元旦を迎えて、おそらくはお雑煮やお屠蘇で穏やかな新年を祝っているところへ、突然、予期しなかった惨事。そう思うと辛く悲しくなります。

 翌2日は新聞休刊日で、活字情報がないのが気になりました。

英国BBCは動画を含めて早々に、ネットで世界に放映しました。

 

3.ネットと言えば、ブログ「情報浴―ブロードバンド」が、3日には海外の報道を紹介してくれました。

(1)このブログは筆名“バイロン”が、世界のメディアの主要な情報を簡潔に取り上げます。

情報浴ーブロードバンド:SSブログ (ss-blog.jp)

(2)筆者はもと大手商社の役員。昔シドニー勤務でご一緒しました。多様な情報提供が魅力です。自らの意見も、時にこの国への厳しい批判も交えて発信します。

(3)「能登半島地震」について

――欧米の主要メディアが地震被害を執拗に追っている。

他方で日本の報道機関はというと、NHKはわずかながら地震の爪あとを追うが、民放に至っては事前に作りためた”正月番組”で間の抜けた紙芝居を消化している。

妙なパーテイ―券の押し売りで、政治資金を捏造してきた”日本式政治手法”に、日本の旧態依然の報道業は解明のメスさえ手にしようとしない。

もう先進国とはおこがましい。心ある”若者”が政治、報道の場に飛び出すのを待つしかない。

”新しい日本”がどこかに潜んでいる―

なかなか手厳しい意見です。

 

(4)羽田での事故の対応については海外の高い評価を伝えます。

――千歳―羽田空港への日航516便。滑走路で海上保安庁の小型機と衝突。日航機の乗客、乗務員379名が全員火だるまの機体から非常シュートで脱出。保安庁機に犠牲者が出た。世界のメデイアが事故の画像を流して、全員が生還した”奇跡”を報じている。日航乗務員の鍛えられた防災動作の見事さに触れている。日本人は悲劇の中にも誇らしさを感じるべきだ――

4日の続報では、「アメリカのCNNが詳しく報じ、賞賛し、肝心の日本の報道機関は踏み込んだ報道ができていない」とこれまた手厳しい。

4.4日(木)からは日本のテレビも通常番組に戻り、NHKの「世界のトップニュース」も再開しました。

この日は、海外のメディアが大きく取り上げている事実を伝えました。内容はバイロンさんと同じですが、一日遅れました。

この間日本のメディアが「正月番組を消化」していたとすれば、彼が厳しく批判するのも無理ないなと感じました。

「2023年パーソン・オブ・ザ・イヤー」はTaylor Swift

  1. 米タイム誌が毎年選ぶ「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」は

1927年から続く同誌の看板記事です。その年、良くも悪くも「世界に最も影響を与えた人(個人とは限らない)」が選ばれます。

 

2.2023年は米国のシンガーソングライター、テイラー・スウィフト(34)です。10代から活躍し、長いキャリアを誇り、数々の受賞を重ね、タイム誌は「アメリカが誇る最大のソフト・パワー」「ポップ・カルチャーの桂冠詩人」と呼びます。

3.私は,彼女の名前を,今回の報道で初めて知りました。

過去の受賞者は、例えば過去4年に絞ると、

・2019年―環境活動家のグレタさん

・2020年―米国の正副大統領バイデン&カマラ・ハリス

・2021年―起業家のイーロン・マスク

・2022年―ウクライナのゼレンスキー大統領

――これなら私でも分かります。

4.今回は見当もつきません。たまたま長女夫婦に会う機会があり、訊いてみました。

長女も好きだそうで、「アメリカのカントリー・ミュージックの伝統を踏まえ、若い女性の本音を歌う」ということが分かりました。

タイム誌は、こう語ります。

――彼女は自分自身の物語の作者でもあり主人公でもあるという、稀有な人物だ

――彼女の歌は、社会から、自らの感情を取るに足らないとして否定され、心理的な抑圧(ガスライティング)をうけてきた多くの女性特に少女たちに、君たちの内面が大事なのだと信じさせてくれる。

私も生まれて初めて、彼女の曲を、youtubeで聴いてみました。

[和訳]You Belong With Me - Taylor Swift (youtube.com)

5.そして、彼女を選んだ理由として、

・彼女自身の世界を、たくさんの人々にとっての「居場所」としたこと

・彼女の歌う物語を、「世界的な物語」へ広げたこと、

・いま、喜びを切実に必要としている社会に、それを与えたこと。

➡ゆえに、テイラー・スウィフトは2023年パーソン・オブ・ザ・イヤーである。

6. 大変な女性だということが記事を読んで分かりました。

(1)世界中で彼女への熱狂的な人気、高い評価、彼女を招いてコンサートを開くどの国でももたらす巨大な経済効果(テイラー効果と呼ばれる)、訪れた世界のあちこちで、彼女の名前を付けた街や通りの名前が生まれる。

(2)米国の中央銀行FRB)は今年の経済成長の理由に彼女の名前をあげ、彼女の歌詞はハーバード大学を始め多くの大学の授業で取り上げられる。

(3)大富豪だが、政治的発言を厭わず、女性差別や性的抑圧に抗議し、民主党支持の発言も多い。

・・・等々。

7.結論として、今回のタイム誌の判断が示唆するのは以下の3つではないでしょうか。

(1)いま、暗い世界を明るくさせる存在が必要

(2) 文化とくに音楽は国境を越え、分断された世界をつなぐ

(3)確実に世代変化が起きている。若者と女性が世界を変えるのでは?

 

8.彼女は来年早々5年ぶりに来日し、2月7~10日、東京ドームでコンサートを開催するそうです。

 そして明日はお正月。皆様、良いお年をお迎えください。