- 今回は、岡村さんのエッセイの紹介です。
いつもコメントを頂く岡村さんは,京都の祇園で生まれ・育ち、町内会の会長さんです。
若い頃に海外一人旅をして、コメントにも度々旅の思い出に触れておられます。まとまって話を聞きたいなとかねて思っていたところ、この度拝読する機会がありました。
2.「青春旅の想い出手帳」と題して、公益財団京都健康管理研究会が発行している「健康塾通信」に、連載しておられます。
(1)この財団は、広く医学・医療の発展向上を目指した研究助成、医療相談事業、医療教育講座事業などに携わっています。理事長と岡村さんがともに、珈琲店「イノダ」の朝の常連で、そのご縁からエッセイを載せることになったようです。
(2)第1回の冒頭は、こんな文章で始まります。
「五木寛之さんの「青年は荒野をめざす」を読んで、主人公北淳一郎青年のようにソ連を経由して、世界を目指したいと思ったのは1971年のことだった。(略)20キロ近くあるリュックに、家から出る時に舞妓から餞別に貰った蛇の目傘を寝袋に巻き付けて背負っていた」。
3.いままで3回の連載は、岡村青年が船でソ連に渡り、鉄道で北欧に入り、ノルウェーの最北端ノール・カップを目指すまでですが、とても面白いです。
(1)記録と写真をきちんと残していたのでしょう。旅の途中で出会った人たちや様々なエピソードが語られます。
(2)例えば、ストックホルム(スウェーデン)の街で雨に出会った。早速、餞別の蛇の目傘をさして(恰好いい!)歩いた。雨宿りをしたら、先客の若い女性がいた。許可を貰って写真を撮った。
(3) ノルゥエーのオスロでは、公園に寝転んでいたらワイワイと騒いでいる。中に入って行って,側に置いてあったギターを勝手に抱えて(「戦争を知らない子供達」を)歌っていると、周りに人が集まってきた。
(4)ある時は、観光バスをヒッチハイクします。
スウェーデンで。北に向かうバスに乗ろうとしたら、一日一本でもう出てしまったと言われる。
1時間ほど座っていたら観光バスが見えた。走っていって事情を説明したら乗客が皆ニコニコと大声で、「乗れ、乗れ」と言ってくれた。
車内ではいろんな質問と食べ物が回って来た。隣の娘さんに日本語で名前を書いてあげたら、私も私もと差し出された。マイクを向けられたので、斎太郎節を歌った。
4.見知らぬ土地で見知らぬ異国人に出会い、中には不愉快なこともあったようですが、それも貴重な旅の思い出だったでしょう。だいたいが皆とても親切だった。
5それにはもちろん時代があり、日本人が珍しい時代ではあった。
しかし岡村さんの人柄が大きかったでしょう。ギターを弾き、歌を唄い、自然に「一期一会」を実践していく姿勢と行動の魅力です。私は彼の2年前1960年代末にはニューヨークで暮らしましたが、とてもこんな風に周囲に溶け込んでいけませんでした。
6.彼がオスロで歌った曲をYoutubeで聴きました。1970年に公開されたそうですが、「戦争を知る子供」だった私は知りませんでした。何度も聴きました。いい歌です。
戦争を知らない子供たち(1970年万国博ホール実況版) (youtube.com)