ksen2006-02-27


コメントまことに有難うございます。
海太郎さん、NY Times のネット版を読んで同じ思いを抱いた日本人が居ると知るのは、嬉しいことです。ご指摘のように、この新聞は、「フェア」をモットーにしている訳ですからOp-edのように多様な意見を公平に取り扱う姿勢はあるのでしょう。従って、英語力の問題で実現困難ではありますが、仮に私が投書をしたら、きちんと載せてくれることを期待したいと思います。


J&Tさん、シドニーから有難うございます。今後とも現地の状況を教えていただけるとまことに有難いです。豪州は素直な報道だったようで安心しました。日本の新聞によると、荒川選手の金メダルは、欧州も中国も賞賛しているようで、たぶんNY Timesが例外なのでしょう。


年甲斐もなく腹を立てたりして恥ずかしい話ですが、同紙の「“I can’t find the words for this,”she (荒川選手のことです)said through interpreter.」という書き方も、まあ、本人の生の言葉ではないよという正確を期する意味ではあるでしょうが、何もわざわざ「通訳を通して」なんて書かなくても・・・と言いたくなります。それに比べて、豪州の記事の方が素直ですね。
ひがみ或いは八つ当たりの批判を受けることを覚悟の上で、「通訳を通して」という言葉から私が感じたことは以下の通りです。

・英語を喋るのが当たり前という傲慢さ。
・金メダル選手の母国語(この場合は日本語)に対する敬意、もっと言えば、自分がその言葉を理解しないということへの謙虚さの欠如
・仮にフランスの選手が金をとって、フランス語でインタビューに応じたとしたら、Zinserさんはやはり「通訳を通して」と書くでしょうか?
の3つです。

私は、荒川選手が日本語で応対したことをおかしいとも残念だとも全く考えません。そして、私の大学にいる若者に対して、「カタコトの英語を喋るよりも、美しい日本語を話し・書くことの方がはるかに・はるかに大事なのだ」ということを言い続けるつもりです。



それにしても、前回も紹介した「この試合、・・・誰が金を取れなかったかで記憶されるだろう」なんていう文章は、独断と偏見が入っていて、報道記事とは言えませんね。プロたるもの、事実を冷静に報道することが責務で、それがひいては新聞社のCSR(企業の社会責任)につながると思います。

今回のオリンピックに関して日本の新聞は日経ぐらいしか見ていないので(とくにスポーツ紙は見ていない)よく分かりませんが、報道記事ではなく、コラムであれば独断であっても許される訳で、22日日経の武智幸徳という記者(?)の「スポーツと風説の流布」というコラムをたいへん面白く読みました。


・ ・・「風説の流布」についてここ数日、思いを巡らしている。といっても、ホリエモンや証券業界のことではなく、五輪報道の在り方についてなのだが・・・という書き出しで、
・ 「問題は、やはり伝える側にある・・・・あるいは、高額の放映権料に見合う高視聴率を狙って、すべてを承知の上でメダルの可能性を偽装したのか・・・・。」
・ 「確かに、日米開戦前の戦力比較ではないのだから、メダルの見通しを誤っても人命が失われたり、国を破綻させたりすることはない。ただ、正確な情報を面白く伝えることと、誤った情報を粉飾することは意味が違う」

武智記者のプロ意識を高く評価します。NY TimesのZinserさん、大いに見習ってほしいものです。
それにしても毎度長くなり、すみません。