ksen2006-06-09


オタクっぽい話しで恐縮ですが、前回ふれた“Newsweek”5月29日号の「マグダラのマリアの謎、「ダ・ヴィンチ・コード」を超えて」の内容の要約です。

この記事はいままでの研究を整理したもので目新しい説ではありませんが、後述のように切り口が面白い。
この仮説と論点に説得力があるとすれば、ひとびとの考え方とくに女性観一般に何らかのインパクトを与えるような気がします。


マグダラのマリア]の謎)
1. 磔にあったキリストが息を引き取るのを聖母マリアとともに最後まで見守った。
2. キリストの復活を最初に目にし、声を聞いて、12人の使徒たちに知らせた。
3. それほどの重要人物であるにも拘わらず、彼女の存在は、その後の福音書の記述から消されてしまった。
4. それどころか、西暦591年、ときの法王は、(根拠がないにも拘わらず)彼女が娼婦だったと主張、長い間、彼女は「罪深い女」の象徴となった。
5. 実に1969年になってカトリック教会は、この点を否定。
しかしその後も、彼女を女性の肉体の視点でとらえる見方は続く→1971年のミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」でも依然として娼婦として描かれている。
6. 1988年になって、ときの法王パオロ2世は彼女を「使徒の中の使徒」と呼び、聖者として評価した。


(なぜか?)
1.  12人の男性の使徒たち、とくにペテロの嫉妬――キリストの磔の前から、ペテロ   
はマリアに対して攻撃的だった。
2.  使徒たちが自分たちの権威を守り、かつ家父長的な教会のシステムを構築するにあ 
たって、マリアの存在は邪魔だった。
3.  女性一般を低くみるという思想が影響した
4. さらに、キリストの復活は霊の復活か?肉体の復活か?という最初の300年間、キリスト教の世界で大問題だった論争がからんでくる(マリアの立場は前者)。


(事実は?そして「ダ・ヴィンチ・コード」批判)
1. 本来、マリアは12人の男性の使徒と対等の弟子。むしろ、キリストから、自らの教えを受け継ぎ・伝える、筆頭の使徒かつ精神的支柱として期待されていた。
2. キリストは、当時のユダヤ人・ユダヤ教とは異なり、女性を対等に扱った。
3. 話しが「ダ・ヴィンチ・コード」に及ぶと、同書は、マリアがキリストと結婚していたというフィクションを前面に出し、相変わらず彼女を肉体的存在として扱うという古くからの発想から抜け出していない。

というようなことになります。


女性であるマグダラのマリアが、教えを受け継ぐ精神的な存在の筆頭として、キリストの強い信頼を得ていた、そこに男社会に生きる使徒たち、特にペテロは我慢ならなかったという「仮説」はなかなかに面白く、何やら現代にも通じるもの ――女性=肉体・感情、男性=精神・理性、という単純なる二分法的な発想あるいは偏見――があるような気がしています。