『ローマ亡き後の地中海世界』など

中島さん、氤岳居士さん、有難うございます。

中島さんも詳しそうなガンダムは私にとっては大ネタです。
学生との付き合いがなくなると、こういう新しい知識を仕入れる機会が減るのが残念です。


氤岳居士さん、リベラルアーツについての解説、勉強になりました。

たしかに、現在の「自由人」とは拠り所が違いますね。納得です。

但し、“拘束されない”“偏見のない”“自由・自律”“高貴”“寛容”と
いったキーワードではつながっているようですね。

たまたまNY在住日本人のKさんからメールが来て、2月14日NYタイムズの「我々の政治的思考は
脳の在り様に左右される」という題目のコラムを紹介してくれました。


保守かリベラルかという
政治的思考はパーソナル・タイプ(人格・性格)と関係深いという研究の紹介で、「最近のある実験によると、
脅威に対して敏感な、とくに、傷付けられたり危険を感じたりすることに強く(脳が)反応するタイプの
人たちがいる。そして、そういう人たちは得てして政治的に「保守(銃規制に反対、捜査令状なしの捜査
に賛成、外国援助に反対・・等)」になりがちである」


もちろんコラムは、仮説に過ぎないと断っていますが、仮にこの説が当てはまるとしたら、昨今この国を
揺るがしている医療保険問題の推進にも、こういう「保守」の思考に訴えるような戦略を考えるべきではないか
と結んでいます。

私の方は、週末、1年ぶりに温泉に入りに行き、木津温泉「えびすや」の貸切風呂に一人で4回も入って、
あとはもっぱら、塩野七生さんの『ローマ亡き後の地中海世界』上下2巻を読み終えました。


・これは上巻の方がはるかに面白い。下巻は時代も15世紀、16世紀と近世に移り、『海の都の物語』など、
過去の著作と重なるところが多い。
・「ローマ人の物語」を書き終えた塩野さんの、その後の物語であり、「多神教であった古代と一神教の世界の
中世とを対比した」。

「ローマ亡き後の地中海をはさんで向かい合ったのも、キリスト教イスラム教という一神教同士
の対決であった」。

戦いと殺りくと海賊の略奪・拉致を繰り返す地中海周辺の中世。
そこには「カエサルの寛容」が失われたというのが著作を流れる基調低音であり、「少なくともイタリア半島
シチリアに住む人々にとって、中世とは暗黒以外の何物でもなかった」(上巻P.46)。

・その中で、上巻第3章の50頁、「2つの国境なき団体」と題して、「キリスト教救出修道会」と
「救出騎士団」の活動をとりあげた部分が面白い。

何れも、国家規模ではない、いわば元祖ボランティアのNPOであり、しかも、貧しい、従って誰からも見捨てられた、
北アフリカで鎖につながれ奴隷として強制労働を強いられたキリスト教徒(イスラムの海賊によって拉致された)
の救出活動を何百年にわたって続けた人たちです。


リベラルは、寛容ではあるかもしれないが、自らにも寛容で、臆病や妥協や傍観につながる精神の構えであるかも
しれない(自省を込めていえば、私など、そういう「悪しきリベラル」の1人かもしれない)。


他方で、この2つのNPOは、キリスト教精神に依り、自らの信念を貫くために身命を賭して、
栄誉や権力やまして金銭や物質的豊かさに全く縁のない一生を送ります。


一貫して一神教に否定的・懐疑的な塩野さんも、こういう一神教のもつ「精神主義」の価値は認めざるを得ないと
みえるところがたいへん面白い。


そして彼女はこんな風に言います ――マキアヴェッリだったかに、長年にわたって私の頭から離れない言葉
がある「現実主義者(リアリスト)が誤りを犯すのは、相手も自分と同じように考えるだろうから、バカなまね
だけはしないにちがいないと思ったときである」
(下巻P.320)


Kさんのメールで、考えさせられたエピソードがあり、これも印象に残ったので
以下に紹介します。

“思うのは、「自己の確立」についてです。以前日本人のC級戦犯が処刑された話をアメ
リカ人としたことがあります。わたしは日本の軍隊では上官の命令は絶対で服従しないわけにはいかず、よって
C級戦犯者の処刑は妥当ではないと主張しました。
それに対し友人のアメリカ人はヒューマニティーを根拠に、無用な捕虜の殺傷は犯罪で
あり、犯罪を認識しつつ実行した当事者の判断責任は訴追されるべきであるとの意見でした。

この時の会話を思い出しては、米国社会における自己責任の重
大さと自己の確立についてよく考えます。”


最後に、少し逸れますが、いかにも塩野さんらしい感想を1つ。


ルネサンスという精神上の運動は、何よりも先に中世末期の人々が、自分たちのこれまでの生き方に疑い
をいだいたことから始まったと私は考えている。

そして、この意味のルネサンスを持ったか持たなかったかが、キリスト教世界とイスラム世界との最大の違い
ではないかとも考えている。
レオナルド・ダ・ヴィンチマキアヴェッリに該当する人を、イスラム世界は産んだのであろうか」
(下巻P.382)