「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」

1.7月はぐうたらしており、更新も遅れております。

「福澤についてフォローするつもり」と書きながら10日も経ってしまいました。

このところ、ちょっと別の原稿書きに時間を取られており、寂しいことに年を取ると1つのことにしか集中できなくなります。


2.本日は久しぶりに福澤諭吉に戻って、(もう書いた当人が忘れておられるかもしれませんが)彼の『学問のすすめ』の冒頭、有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」の名文句にある「天」についての「さわやかNさん」の問題提起について触れたいと思います。


どうも、たまに登場すると、やけに硬い話になって恐縮です。


3.7月8日のコメントでさわやかさんはこう言っています。
・・・・・「天は人の上に・・・」の「天」を彼は、どう定義づけていたのでしょうか?造物主=Godと彼自身定義づけて、天津神と誤読されるように、この語を使ったのではないかと思ってなりません。彼がキリスト教に対してどのように思っていたか、個人的に非常に興味があります・・・・
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20110708
4.この点、まさに私たちの世田谷市民大学ゼミ生の間でもけっこう話題になったことです。
そこで私がゼミで発表したことを要約させて頂きます。


(1)まず、この「天」がどこから来たかですが、さわやかさんご指摘の通り、「the Creator=造物主、神」を「天」と訳したと思われます。


(2)すなわち、この言葉は福澤がアメリカ合衆国独立宣言から訳したというのが通説ですが、その根拠は彼の著書
『西洋事情』であり、彼はここで独立宣言の有名な1節を以下のように訳しています。


―――「天ノ人ヲ生スルハ億兆皆同一轍(注:同じレベル=平等)ニテ之ニ付与スルニ動カス可カラサルノ通義ヲ以テス〜」→その通義とは、生命・自由・幸福の追求である・・・


―――原文は以下の通り「We hold these Truths to be self- evident, that all Men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, ~~~~ 」・・・LIFE, LIBERTY, PURSUIT OF HAPPINESS,

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(3)福澤は、「造物主=神」を「天」という儒教で使われる、いわば日常語で訳したわけですが、ここに彼の「プラグマティズムの思惟方法」(丸山真男の福澤評)をみることができるでしょう。


(4)即ち彼は「翻訳語の問題について、当時の大多数の知識人とは基本的に異なる考え方をもっていた・・・・


「四角張った文字」を用いず、「直に・・・日本語を以て漢字を訳する積り」と言う。これが福澤の翻訳の大原則なのである」(柳父章翻訳語成立事情』岩波新書p.34~)。また「福沢の、思想の道具としてのことばに対する感覚の鋭さは群を抜いていた」(同上)。


(5)従って、福澤の訳では、societyは「人間(じんかん)交際」、individualは「人」,bookkeepingは「帳合の法」、rightは「通義」であり・・・


(6)しかしながら、現在では夫々、社会、個人、簿記、権利という訳語が定着している。


なぜか?「それは非常に根の深い問題なのであり」そこに彼の「苦闘と挫折がある」と柳父は指摘します。



5.今回もう1つ、さわやかさんが、「福澤がキリスト教に対してどのように思っていたか?」
という疑問は、私もまったく同じ興味をもっています。


まだ、学んでいる最中ではありますが、この点で、

福翁自伝』を読んだ時の、私の感想を以下補足します。
これを読んで、「どこが面白かったか?発表せよ」というゼミの先生のご指示に沿って、私が書いたメモの一部です。
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(1)「福翁自伝」は「自伝文学の傑作」(小泉信三)と評されるように実に面白い。人柄も考え方も行動も時代背景も生き生きとしており、すべてが面白く、どこか1か所を取り上げるのが難しい。そこで逆の発想から「福沢が自伝で書かなかったことは何か?なぜか?」を考えてみると、(1)宗教観・倫理観(2)先祖・ルーツのことの2点ではないかと思う。ここでは以下(1)を取り上げる。


(2)宗教について「自伝」で言及されるのは
・良く知られた少年時代の逸話―「稲荷様の神体を見る」(岩波文庫版2008年改版P.26〜27)


・最終頁「生涯のうちにでかしてみたいと思うところは(略)仏法にてもヤソ教にてもよろしい、これを引き立てて多数の民心を和らげるようにすること・・・」(P.390)
の2か所のみである。


(3)福沢自身は宗教・倫理を自らの行動指針・価値観としては、まったく意識していないようにみえる。P.390も宗教の効用を「民心を和らげること」にしか置いておらず、注目される思考態度である。しかも仏教でもキリスト教「でもよろしい」のである。


(4)これをほぼ同時代の例えば、渋沢栄一1840年生)新島襄(1843年)麻布中学の創設者・江原素六(1842年)少し時代は下るが内村鑑三(1861)新渡戸稲造(1862)等と比較すると、福沢の西洋文明に対する姿勢は際立って実利的・現実的である。


西洋文明の摂取に生涯を賭けながら、キリスト教にいっさい関心をもたず、例えば内村鑑三のように自ら、これと格闘し、悩み、煩悶したあとは全く見られない。


(5)福沢の「近代化」とは「文明開化」であり「富国強兵」であり、西洋のシステムを導入し、個人および国家の「独立自尊」を図ることにあった。慶応義塾の教育方針は「数理と独立」であり実学であった。彼の、個人と国家の「独立」を守ろうとする危機意識の強さとそのための努力は十二分の敬意と評価に値する。

しかし彼の求める「近代化」には、西欧の近代が中世のキリスト教思想との格闘を通してかちえたものであり、「西欧市民社会」とはある意味で、「極めて特殊で地域的カルチャーという性格ももっている」(渡辺京二)という問題意識はなかったのではないか。


やや尻切れとんぼで、私自身、自問自答しているわけですが、そんな疑問をもちつつ、福澤を読んでいます。