貴重なコメントに感謝、リベラル再考

我善坊さん、中島さん、バイロンさん、遅くなりましたが、まことに有難うございます。

何れも的確かつ奥深いコメントに感謝しつつ、いろいろ考えているうちに時間が
経ってしまいました。


ということで、今回、コメントについて考えたことの報告です。
その前に、バイロンさんのブログ
情報浴ブロードバンド、毎回、楽しく拝読しております。
あれだけ世界のメディア報道を吸収して、短く、ご自分のコメントとともに発信される姿勢に感嘆
しております。怠惰な私には、まことに参考になります。

青竜の引退について、「協会および親方、つまり教育の問題」とのコメント、
ここでも教育の重要性に触れておられる点、興味深く読みました。


以下、リベラル再考とでもいいましょうか。

硬い話ですから興味のない方は、写真(最終講義)を眺めて頂ければ幸甚です。

1.私が「リベラル」というとき、「自律としての自由」といったほどの意味です。
その点で、
バイロンさんの「リベラルの位置づけは対極権威の居場所によって変わるのだと」思う、
という指摘には、なるほどと納得しました。

そして、関連するかもしれませんが、「寛容」「価値観」といった言葉を使うのは、
やや慎重というか自信がない、というのが正直の気持ちです。

2.また、「リベラル=左派」というご指摘もありました。

そこで、受けうりになりますが、『リベラルリズムとは何か、ロールズと正義の論理』という盛山
東大教授の著書から、少し、紹介します。

最初に、氏は「私自身はリベラリズムを最終的に援護することは困難だと考えており」、しかし
「だからといって、それが意義の乏しいものだと考えているわけでは毛頭ない」という立場を表明しています。

3.その上で、3段階にわけて説明する。

(1)古典的なリベラリズムアダム・スミスなど、日本でいえば福澤諭吉など)=国家的統制や
伝統的慣習に頼るよりも、個人の思想・言論および経済的諸活動の自由を尊重することによってよりよい
社会が形成されていくと考える点で共通している(同書P.29)


(2)現代のリベラリズムは、1930年代アメリカのニューディール時代に起源がある。そのときから
「リベラル」という言葉が経済活動への政府の積極的介入、平等政策、差別撤廃論、反人種主義、
福祉政策の重視、などを主張する政治的立場を表すものとして確立した。・・・「ヨーロッパと異なり
有力な社会民主主義陣営が存在しなかったなかで、「アメリカの左翼」を代表するのが「リベラル」
なのである(P.30)


(3)最新のリベラリズムアメリカの哲学者ジョン・ロールズなど)=ニューディール的「リベラル」
ともまた微妙に異なっている。・・・「個人の自律」をより重視するとともに、「正義」を平等や自由を
規範的に統合しうる上位の価値として設定するのである。


(4)ただ、古いか新しいかを問わず、さまざまなリベラリズムに共通する最大の特徴は、何といってもその
個人主義」にある。(注:著者は、個人主義をゴシックで表記している)


社会は擬制的な団体であって、真に存在するのは個々の人々だけである。したがって、守るべきあるいは増進
すべき利益とは、人々の利益や幸福以外の何ものでもない。これが個人主義の根本原理である(P.33)


4.著者は、このようなリベラリズムにとっての最大の課題が、「(価値)多元主義にどう答えるか」
であるとして、好例として、1989年にフランスで起こった「スカーフ事件」を取りあげる。


 この事件は、公立中学校にイスラムのスカーフを被って登校することを学校が禁じることの是非を
めぐって争われた。


「問題の根源にあるのは、近代社会における宗教的寛容の制度化の一環として、公教育から宗教性を排除
すべしというきわめてリベラルな考え方が、スカーフの着用という宗教的自由の実践と真っ向から
対立したことである・・・」
(つまり、リベラルとリベラルの対決)


5.どうも今回は、引用だけで終わりそうで恐縮ですが、ブログでは突っ込んだ議論はやはり無理がありますね。


何れにせよ、「寛容」や価値「感」という言葉は、なかなか難しいというのが感想です。


私自身は、せいぜい「精神のかまえ」とか「立ち位置」といった程度からまずは考えていきたいと思っています。


6.なお、「価値観」の重要性について(とくに、ポストモダンの時代における)は、麻布OBの
宮台真司が『日本の難点』(幻灯舎新書)が少し触れていて、面白く読みましたが、省略します。
(彼は「価値コミットメント」という言葉を使っています)



7.中島さんの、その他のコメントについて触れる紙数は残念ながらなくなりました。

・「良い学校・良い教育」は「待ってくれるということ」・・・・いい言葉ですね。

・「共産党宣言」がテキストでしたか。氷上校長らしいですね。

・「校則のない麻布」、そこでも問題や危機は起こる。そのとき、歴代の校長は、自分ももちろん
そうだが、「江原素六校長だったら、どう対処しただろうか」と必死に考える・・・・と氷上さん、
京都で語っていました。

・最後に、3月、さわやか福祉財団のフォーラム。おっしゃる通り、京都での「出番と居場所」を考える
きっかけになれば、私も嬉しいです。