今週は祝日が多かったですね。もっとも人が休んでいるときの方が忙しいという人も
たくさんいるでしょうから、ご苦労様です。
私はほとんど東京にいて、墓参などで過ごしました。
19日(土)は日中は「チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト」というのに出席し、
「究極の高齢者福祉ビジネス」といわれる
株式会社いろどりの横石さんの
講演を聞いたり、若者のプレゼンを聞いたりしました。
夜は、市ヶ谷のルーテル教会内のホールで「ニューオルリーンズ・ノーティーズ結成45周年」というジャズの
コンサートに行きました。
早稲田大学ニューオルリーンズ・ジャズ・クラブという伝統的なクラブ出身者によるもので、リーダーは
間もなく70歳、実は妻の小学校の同級生です。
ニューオルリーンズの名誉市民にもなっているそうで、仕事の傍ら持続して、趣味がセミプロの領域に達している
というのは、
見事です。
大昔、現地で聴いた黒人の演奏のように、土臭くはなく、上品でした。
20日は、初めて、府中にあるカトリック墓地を訪れました。
ちなみにここには故遠藤周作も眠っています。
神父様に来て頂き、聖堂で簡単な式をあげましたが、オルガンの演奏で、
賛美歌を2つみんなで歌いました。
いつくしみ深き
神ともにいまして
カトリックの儀式なのに、ごくポピュラーな曲で、「ミサ曲でなくてもよいのか?」とあとで質問したところ
、「正式なミサではないからミサ曲はやらないが、この賛美歌はカトリックの儀式でも歌う」とのことでした。
前者の3番に「世の友われらを棄てさる時も、祈りにこたえて労わりたまわん」とあり、
ちょっと厳しい文句だなあと思いながら歌いました。
家に帰ってからネットでもとの英語の歌詞を調べたところ、こう書いてありました
「友があなたをさげすんだり、見捨てたりする時があるだろうか?そういう時は神に祈りなさい・・・
(Do your friends despise, forsake you? Take it to the Lord in prayer. )
この方が少し柔らかいニュアンスで安心しました。
それと「さげすむ」「見捨てる」・・・これ、まさにキリストが友や使徒から受けた仕打ちですね。
それにしてもキリスト教のお葬式は内容がよく分かるので、よいと言えばよいし、
逆に悲しみがより深くなります。
神父様にも入ってもらって会食をしましたが、以下はその折りに出た話です。
1.日本のクリスチャンは人口のほほ1%と言われているが、カトリックはたった40万人。
2.しかし例えば、建築家の弟によると、高名な建築家には、丹下健三(東京カテドラルの設計者)村野藤吾(広島平和記念聖堂の設計者)、
菊竹清訓などカトリックが多い。
3.何といっても、皇后と皇太子妃がカトリックのミッションスクール出身ということは
カトリックの信者にとっての意味は大きい。
4.洗礼名は幼児洗礼を別にして自分で選ぶことができる。ただ「マリア」とあれば「聖母マリア」、
マグダラのマリアは「マリア・マグダレーナ」、ただ「テレジア」とあればカルメル会の修道女
「アビラのテレジア」のこと。
「マザー・テレサ」であればただ「テレジア」でなく「コルコタのテレジア」と呼ぶ。
等々
当然ながら、大ベストセラーになったダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』には否定的であり、
学問上の論争で主張するならともかく、推理小説の題材つまり「フィクション」として主張するのは
フェアでないという意見で、これはたしかにそうかもしれないと思った次第です。
お彼岸ですから皆様もそうだったでしょうが、少しは神妙に死者のことなど考えた連休でした。