タイム誌2013年今年の人は、フランシスコ・ローマ法王

1. お礼が年を越してしまいましたが、国世さん海太郎さん、第九とメサイアについて書いて頂き有り難うございます。今年もよろしくお願い致します。
お2人とも自ら歌うという主体的な関わりで、ただ聞いている当方とは違う経験をされていること羨ましく思います。
大阪城での「1万人の第九」の催しを伺って、検索したら以下のYoutubeがありました。http://www.youtube.com/watch?v=7tLdBtOBEGc
たいへんな迫力ですね。

2.2014年第1回のブログは、少し長くなりますが、アメリカの有力誌タイム(TIME)が選んだ「2013年今年の人(Person of the Year)」を取り上げたいと思います。ローマ法王フランシスコです。
彼は1936年アルゼンチン生まれ、イタリア系移民の息子。もと枢機卿兼アルゼンチンの大司教。2月に前法王が突如引退を表明したことはこのブログ
ローマ法王とベネディクト16世の第2幕で取り上げましたが、3月の選挙で後任に選ばれました。
神父になる前に短期間ながら用務員やナイトクラブの用心棒をしたこともあるという庶民派で、神学者だった前々法王・前法王と異なるキャリアを持ち、質素な生活とスラムを定期的に訪れるなど社会問題への関わりで知られます。
イエズス会(ジェスイット)出身としても新大陸からも、初めてのローマ法王で、13世紀の聖者アシジのフランチェスコを敬い、その名前を法王として初めて選びました。


因みに「今年の人」とはタイム誌編集部が独自に選ぶもので、1927年から現在まで続き、「その年、良くも悪くも最も大きな話題を提供し、最も大きなインパクトを与えた人物」と定義しています。

同誌12月23日号は「今年の人」特集ですが、以下、適宜要約しての紹介です。


3.まず、なぜ「2013年今年の人」がローマ法王フランシスコか?
タイム誌はこう説明します。
(1)いま世界は様々な課題や変化に直面している。貧富と格差、公正と正義、透明性、近代化、グローバリゼーション、女性の役割、結婚の在り方、権力と富の追求・・・等々。
こういう状況下、短期間で、貧しい人々に希望を与え、世界中のキリスト教徒が、法王の語るメッセージに真剣に耳を傾けようとし始めている事実とそのスピードのゆえに。
(2)法王庁を宮殿から貧しい人々の住む街中に引っ張り出した彼の行動力
(3)世界最大の教会が抱えている深刻な課題に立ち向かおうとする彼の姿勢
(4)そして、「判断し裁くこと(judgment)」と「慈悲(mercy)」とを調和させようとする、彼の努力のゆえに・・・

4.そもそもカトリックの信者はいま?
(1)全世界では――約12億人、内訳は、南米343百万人(過去5年で6%増)欧州286(1%)アフリカ194(22%)中米164(5%)アジア132(12%)北米86(5%)・・
(2)国別では、メキシコでは国民の85%、イタリー83、ペルー&フィリピン81,アルゼンチン77、スペイン75、ブラジル69、アンゴラ57・・・カナダ39、USA25・・・・
(3)全世界で――クリスチャンは世界人口の33%(うちカトリック17%)ムスリム23%ヒンズー14%無宗教10%仏教7%

5.タイム誌編集主幹は以下の問題提起から書き始めます。
(1)昔、謙虚で控えめな少年が居て、彼に「最も謙譲な人物」バッジが授与された。
ところが翌日、そのバッジは取り上げられてしまった。なぜか?彼がそのバッジを付けて人前に姿を見せたから・・・
(蛇足ですが、ここで私は良く知られた英国人を皮肉るジョークを思い出しました。
即ち、「自分たちが如何に控えめな国民かを得々と語るのが典型的な英国人である」)

(2) この教訓は私たちに何を語るか?地上でもっとも身分の高いとされる人物から私たちはどのようにして「謙虚さ」を学ぶことができるだろうか?
そもそも彼から何を期待するのか?軍隊も武力も領土も持たず、代わりに12億の信者と巨大な富と重い歴史に支えられ、しかも深刻な課題とヴァチカンの官僚主義を抱え、性的虐待スキャンダル、マネーロンダリングと腐敗、一方では急増する南半球の信者からの、他方で原理主義福音主義者の攻撃、女性の司祭職や人工中絶や離婚への見解、神父の不足・・・等々さまざまな変化と改革への期待にさらされている。


6、以下は、彼は何をしたか?しようとしているか?です。
(1)就任して9カ月という短期間に、彼ほど注目を浴びた人物は居ない。
そしてこの短期間に驚くべき成果をあげたと言えるだろう。それは「言葉(the words)」を変えたというより「調べ(the music)」を変えたと言ってもよい。


(2)法王は、最初の「説教」で「富への盲信」を批判した。
彼自身、特権や虚飾を嫌い、お付き達に囲まれた宮殿ではなく他の司祭たちと宿舎に住み、ベンツを古いフォードに変え、赤い靴・赤い法衣・金の十字架を捨て、白い衣に鉄の十字架を首から下げるだけにした。
金遣いの荒いドイツの大主教を罷免し、悲嘆にくれる者に声を掛け、未婚の女性の赤子に洗礼を施し、史上初めて、ヴァチカン銀行の財務状況を公開させた。
法王庁内にある「施療院」(The Vatican Almoner)の責任者は窓際族のポストだったが、若手の有力な大司教に代え、「君に机は要らない。来るのを待っているのではなく、外に出て貧者を探すのが仕事だ」と告げた。
若手の・やる気のある司教を8人選んで会議を定期的に開き、ここで性的虐待スキャンダルの調査委員会を立ち上げた・・・・等々。
彼は常に祈る。「説教するだけでなく祈り、耳を傾けなさい。人を叱責する代わりに、癒しなさい」と言う。「議論よりも、行動し、成し遂げよう」とも。

(3)それらの言動は、ただ単に、謙虚さ・慈しみ、そして透明性を、身を持って示すだけではない。
困難と障害を自覚しリスクを知り、その上で、「文化の戦い」を挑もうとしているのだ。
彼は語る「教会とは戦いにおける野戦病院のような組織です。真っ先にやらねばならないのは傷ついた人に寄り添うことです。出血している人に、コレステロールの指数を訊く医者は居ないでしょう」


(4)彼の言動の中心にあるのは「思いやり(compassion)」と「神父には普段あまり見かけない・ある種の“陽気さ(merriment)”」である。巧みな操作者でもある。
これらが彼を、まるでロック・スターのような存在にさせている。「フランシス効果」という言葉も生まれ、リオジャネイロコパカバーナ海岸では3百万人が集まり、隔週水曜日の聖ピエトロ広場での説教を聞く信者は増え、いまイタリーではフランシスコが最も人気のある男の子に付ける名前である。


(5)彼は決してリベラルではない。伝統的なカトリックの教義を変えようはせず、人口中絶や離婚や同性結婚を認めようとはしないし、女性の司祭職にも前向きではない。
しかしながら、彼が、
・教義を守りつつも、同時に女性の教会や社会における地位向上には積極的に発言し、
「私は同性愛を否定できない」と言い、「レイプや貧しさから中絶せざるを得ない女性の悲しみに寄り添う」と語ること。
・貧しい者の存在を最も気にかけ、それを他者にも語ること。「金持ちは貧者を助け、敬意を持ってほしい」「貧困の構造的な要因に取り組むのは、教会の基本であり、それは正義と関わる」
・人口の50%が全世界の富のわずか1%しか保有していない現状や、市場偏重の資本主義を批判すること。
・ヴァチカンを含めて、教会はまずは貧者・弱者・傷ついた者とともにあるべき組織であり、教義よりも、祈り・行動せよと言い続けていること
を忘れてはならない。


カリスマ的なリーダーからこのような言葉を耳にするのは爽やかであり、「新たな良心の声」を前にして私たちが選択を迫られていることも事実である。
それは必ずしも耳に心地よいとは言えず、聞きたくないと感じる人も多いかもしれないが、それでもなお、重い言葉ではないのか・・・・
しかも、彼が新世界から初めて選ばれた法王であることの意味は大きい。
1世紀前であれば世界のカトリック信者の3分の2が西欧に住んでいた。いまは4分の1に過ぎない。
彼の言葉が、未だに、同性愛を罪悪とみなし、女性の教育向上は異端の説であるとする、貧しい人たちが多く住む国々に届くとき、カトリシズムが「文化」と貧しさを変え、自由を勝ち取る力になるかもしれないという希望を私たちに与えてくれるのである。