前回、写真でご紹介したジムは服部さん経由のお付き合いですが、今回の来日中に2度京都を訪れました。
私との接点は、1回目は2回生のゼミに出てくれたこと、2回目は、オムロン京都太陽株式会社に行きたいというので連れていったことです。


彼は日本語は出来ませんが、一時、四国学院大学で教えたことがあります。
したがって日本の大学生についての経験もあり、当日は、やや雑談的ですが、こんなことを話してくれました。

1. コロンビア大学の大学院で教えているが、“Please call me Jim”ということで、殆どの学生が「ジム」と呼んでくれる。中には、どうも自分には出来ないということでフォーマルに「プロフェッサー」と呼びかける学生もいないことはないが(日本だったら1人違ったことをする学生というのはなかなかいないものです)。


2. 日本の学生の特徴を言えば(珍しい意見ではないが)、①質問をしない。オープンな場でアイディアを発表しない②批判精神(クリティカルな考え方)が弱い、の2点か。


3. 四国学院での始めての授業で、喋っている学生に退出を命じた。同大学を去って数年後、再訪して同窓会に出席したところ、いまはソーシャル・ワーカーをしている若者から、「自分を覚えていますか?あの時退出させられた学生です。始めての体験で、いまでも忘れられません」と言われた。


4. 専門である「社会的企業ソーシャル・エンタープライズ)」とは?そこでイノベーションがいかに大切か。イノベーションは、核(コア)からは生まれない、それは通常、周辺(periphery)か外部から生まれる。


学生から、アメリカの大学についていくつか質問が出ましたが、ジムは「It depends」(それは学校による)とたびたび答えるので、学生は若干とまどっていました。
まさにこれが、アメリカの教育(だけでなくすべてに共通する価値観)の特徴である「多様性を認める文化」だと私から補足しました。


文科省からの指導要領や設置基準に従って・・・・というシステムとの違いは大きいですね。そこからは、自分で責任をもって自分で決めるという文化は生まれにくい。例えば、(大学ではないが)公立の小・中の教師の人事権を校長が持っていないのですから、何おか言わんやです。


但し、この「自己責任」の論理は「にわとりと卵」の関係になるのですが、いま日本の大学でおかしな状況が生まれています。大学教育に市場原理を導入することに反対する学者がいまでもたくさんいますが、私に言わせればそもそも「導入」も何も、市場原理がまったく働いていません。


ピーク220万人の18歳人口は現在150万人をきり、もうすぐ120万人になります。

ところが毎年、新しい大学・新学部・新学科の設立は増えています。市場が大きく減っているのに供給者が大きく増えるというまことにおかしな状況になっています。


文科省は、規制をゆるめて「自己責任」を旗印に原則として新規参入をみとめてきているのですが、「自分達に任せろというからそうしてきたが、彼らに任せたらこういうことになるんだ。だから役所が規制・指導しないとだめなんだ」と本心では思っているのではないでしょうか。