『余の尊敬する人物』(矢内原忠雄、岩波新書)

20日は卒業式でした。

まだ、私の所属する学生は居ないので冷静に式の進行を眺めていることができました。

本学は今年まだ12年目、現代社会学科は中でもいちばん若く、来年やっと卒業生が生まれます。


大学としての最初の卒業式は今から7年前、その時の式は、1期生だからということもあったのでしょうか、壇上に有志が登場して楽しかった思い出を語ったり、思わぬハップニングがあって面白かったのですが、最近は良くも悪くも型にはまった真面目な・厳粛な式になりました。

しかし、卒業式や入学式で学長が何を喋ったかを記憶している人は少ないでしょう。


その日の学長挨拶で私が記憶したのは、彼が、学生交流で提携しているアメリカの某リベラル・アーツ・カレッジの学長に会った時に聞いたという話です。

アメリカでは社会人になって平均10回は転職する。従って、大学の教育は専門知識よりも、どんな仕事にも共通する人間力を身につけさせることが大事だと思う」という趣旨の発言があったそうです。


大昔、私の大学時代、茅誠司という理工系の学者が総長で、その前年まで矢内原忠雄氏が総長だったので、矢内原さんの入学の祝辞を聞くことができず、たいへん残念だった記憶があります。

式が終わって研究室に戻り、その矢内原さんが書いた『余の尊敬する人物』(岩波新書)という古い本を書棚からひっぱりだして読み返しました。


写真にあるように、戦前、昭和15年(1940年)出版で題名も右から左への横書き。ちなみに戦後、続編が出て、これは新仮名遣いに変わっています。


正編は、エレミヤ(矢内原さんは敬虔なるクリスチャン)、日蓮、リンコーン、そして新渡戸稲造の4人を取り上げています。

リンカーンの評伝も実に味わいのある文章ですが、新渡戸稲造についての文章は、恥ずかしながら、涙なくして読むことができません。


矢内原さんは、新渡戸博士が英文で書いた『武士道、日本の魂』の邦訳者でもありますが、ここでは、氏は、一高校長を務めた同博士の、入学式の演説を紹介しています。演説の要旨をノートに書き留めておいたそうです。


当時の文部省との間に教育方針をめぐって種々あつれきがあり、1913年、一高校長を辞職したときの告別演説の要旨も載っています。

そして矢内原さんの以下のような言葉が添えられます(新仮名遣いに直して紹介します)。


・ ・・・泣かじと歯をくいしばってはいたが、堪えかねてしばしば泣いた。泣いたのは僕1人ではない。僕の隣に立っていた1年の人は声を立てて泣いた。一滴の涙もでなかった人は、おそらく1千人の生徒のうちに1人もなかろう・・・・


そして、5日後の送別会にて、

・ ・・・次に、発起者総代から涙ながらの挨拶があった。この挨拶中、踞座せる数百の生徒は泣きつづけであった・・・質素剛健を標榜せる一高生は、また情に感じてよく泣く青年である・・・・


満州事変、日中戦争と戦火が拡大していき、日米戦争の前年の昭和15年、彼が、4人の「尊敬する人物」の中に、旧約聖書預言者リンカーンを取り上げているのは注目すべきことでしょう。