再び、「曲学阿世」と南原繁の「現実的理想主義者」のこと

1,今年の梅雨は、いままでのところ、東京と蓼科では長雨しとしとではなく降るときは短時間に激しくという傾向のようですね。
雨降りに散歩するほど勤勉ではなく、屋内で過ごす時間が増えますが、テレビは好きでないのでいきおい本を拡げることになります。

たまたま所用で田舎に出掛けたので
(雨上がりの山ぼうしの白い花が素朴できれいでした)
東京の国際文化会館で借りた『南原繁の生涯、信仰・思想・業績』(山口周三)と茅野の図書館で借りた岩波新書の『南原繁―近代日本と知識人―』(加藤節)と東大図書館でコピーをとった辻井喬の「南原繁覚書」をまとめて読みました。
今回もいささか硬い雑文ですが、
なかなか立派な人物だったなと改めて認識しました。


南原繁とは・・・・・
明治22年香川県生まれ。ほとんど母親一人に育てられ、苦学して中学時代は往復20キロの道を歩き、「さる篤志家の支援」を受けて一高に入り、東京帝大を銀時計で卒業して内務省に入り、当時としてはきわめて民主的な「労働組合法」を立案したが挫折し、30歳を過ぎて大学に戻り学究の徒となる。
カントを徹底的に読みこみ、フィヒテの共同体論を深く研究し、独自の政治哲学をうちたてる。
新渡戸稲造内村鑑三を生涯の師と仰ぎ、無教会派のクリスチャンとなり、矢内原忠雄などの良き同志に恵まれ、自らの立場を「現実的理想主義者」とする。


2.1950年の吉田首相との「曲学阿世」事件について前回ブログに触れましたが、
少し補足すると、(主として山口氏の著作から)
(1)吉田首相の発言は5月3日、
「(南原総長の全面講和の主張は)国際問題を知らぬ曲学阿世の徒で、学者の空論にすぎない。全面講和を望むことはわれわれとしては当然であるが、現在は逐次事実上の講和を結んでいく以外はない」

(2)総長は6日、記者会見で以下のように反論した
「・・・かかる極印は満州事変以来、美濃部達吉博士をはじめとしてわれわれ学者に対し、軍部とその一派によって押しつけられ来ったものである。それは学問の冒涜、学者に対する権力的弾圧以外のなにものでもない。
全面講和は、国民の何人もが欲するところであって、それを理論づけ、国民の覚悟を論ずるのは、ことに私には政治学者としての責務である」
これに対する吉田首相の再批判は行われなかった。

(3) 総長はまた10日の東大五月祭で学生に向かって、「学問と政治」の問題について、要旨次のように述べた(いささか長いですが、引用すると)

「われわれの学問は、国家権力の目的に奉仕するためではなく、真理は真理として自由に研究し、自由に発表するものでなければならない。かくあってこそ、大学は真に国家の再建と人類の福祉に貢献しうるであろう。
政治家が、「理論人」である学者の研究と批判を喜ばず、現実政治の問題は、彼ら独自の領域であるとして、そこに学者の「立入禁止」を要求しかねまじき状況である。
(彼は、しかしここでカントを思いだそう、と語り)
彼の主張の核心は、国内政治と国際政治の問題であろうとも、およそ、
「理性的根拠から理論において妥当することは、また実際においても妥当する」というにある。
ここに、実際政治は常に学問的真理を尊重し、それによって導かれねばならず、それを実現すべく不断の努力をかたむけるところに政治家の任務があるわけである」



3. 上の五月祭の発言に、南原の政治哲学の核心が述べられている、と著者の山口氏は書きます(因みに氏はいまも続いている「南原繁研究会」の事務局長で、もと国土庁の官房審議官だそうです。
本書では、南原の以下の文章も引用されます。
「時代は新しい「理想主義」哲学を要求する。
新しい理想主義哲学は、現実的なものから逃避することなく、ことに社会現実に直面して、それに確固たる精神的支柱を与えることが必要である・・・」(『政治理論史』)

そして「友人のなかにも、南原の思想は理想が高くてついていけない」という人もいることを認めつつ、

「筆者は、理想は胸に秘めつつ、置かれた場所で全力を尽くしていけばよいというのが、生き方としての南原の「現実的理想主義」であると解釈している」
と書いています。


4..このような文章を読み、私なりに感じたことを最後に補足すれば、
「いま本当に、理想主義という言葉を聞かなくなったな」という思いです。
新聞やテレビは言うまでもなく、論文にも、小説にだって、「理想主義」「理想主義者」という言葉を見たことがない、
出てくるとすれば、むしろ、現実離れした妄想だとする嘲笑や揶揄・軽蔑ではないでしょうか?
「現実はそんな甘いもんじゃないじゃないか。
ISを見ろ、中国の野望を見ろ、アフリカやウクライナの実情やロヒンギャ難民の悲劇を見ろ・・・
憲法9条なんて絵空事だ」
という声があちこちから聞こえてくるようです。

しかし、私たちは、本当に「理想主義」を捨ててよいのか。
理想主義は、もはや「絶滅種動物」のような言葉なのか。
たまたま、一昨日の東京新聞の1面に、ある出版社の広告が載っていました。

『芸人と俳人』という広告もあり、いま芥川賞の候補になった「火花」という小説を書いた又吉直樹さんの対談集で、これも面白そうですが、

いちばん大きいのは何と、カントの『永遠平和のために』池内紀訳の「緊急復刊!」で
「「憲法9条」や「国連」の理念は、この本から生まれた。16歳からの平和論」
という宣伝文句です。

まあ、出版社も、この本は売れそうだという商売本位で宣伝を打っているのでしょう。


しかし、商売でもビジネスでも何でもいいではないか。
もしそれが、顧みられなくなった「理想主義」について、ちょっとでも思い起こすきっかけになるのであれば、と思い、私も書棚にある光文社古典新訳文庫を再読しよう、と思いました。
そして、私のような老人はともかくとして、
選挙権の年齢も下がった若者達に、「理想主義」について考えてもらいたいな、と思いました。