海太郎さん、坊主さん、コメントまことに有難うございます。

Education is firingという言葉、知りませんでした。
私などには縁遠いですが、それにしてもいい言葉ですね。嬉しく拝読しました。


大学のブランド構築は、大事な問題ですね。「社会に影響力を与える卒業生」を出すこと、ご指摘の通りでしょうが、時間がかかりますね。まだ11年の本学ではなかなか難しい。

それとやはり私は、創業者、慶応であれば福沢諭吉同志社であれば新島襄の存在が大きいと思っています。(東大のような国立であれば、創業者はいないがやはり、南原繁とか矢内原忠雄・・といった人たちがブランドを維持してきたのだと思います)。


ところで、今回はたいへん長文になるのですが、自分自身の記録のために書いていますので、どなたも気にしないでください。

週末、読むのが遅れてたまっていた数週間の「TIME」と「Newsweek(NW)」に眼を通しました。

特集記事が以下の3つです。


1.「逃走の芸術家、オサマ・ビン・ラーディン」(NW9月3日号)
2.「なぜ、いまダイアナなのか」(Time8月27日号)
3.「マザー・テレサの隠された日々」(Time:9月3日、 NW9月10日号)

ダイアナ妃(8月31日)とマリア・テレサ(9月5日)は今年が死後10年という節目です。


1は、91年のアメリカでの同時多発テロの首謀者と目されるビン・ラーディンについて、「なぜ超大国アメリカは、6年かけても、多額の懸賞金を掛けても、中年の・おそらく病気持ちの・中世人の意識に染まった宗教的狂信者をいまだに見つけられないのか?」について10頁の記事。

「なぜか?」は、アメリカの判断ミスやイラクへの戦力集中、アフガンの国民性や対タリバン意識、パキスタンの対応・・・・等々。

おそらく、まだアフガニスタンパキスタンの国境沿いのどこかに潜んでいる筈。3年近くビデオに登場せず、1年以上声も聞いていないので、死んだのではないかという噂もある。しかし同誌は、肝臓の病が重い可能性はあるが、死には懐疑的な見方を紹介。

何れにせよ今や象徴的な存在であり、ザワヒリという人物が活動の中心にある・・・等々。

ダイアナ妃については、タイム誌は真面目な取り扱いで、「内気な花嫁から情熱的な社会活動家へ、プリンセス・オブ・ウェールスは自分自身変身しただけではなく、英国という国も変えた」という見出しで、


・ 王室の文化を変えた、より近代的に・開放的に
・ 英国人の意識を変えた(例えば、エイズに対する人々の偏見を捨てるのに貢献した、拒食症や地雷除去の活動や、社会的弱者への思いやりを高めた・・)
・ 英国の社会と価値観を変えた、より自由に自分の意見を言うようになり、冷たい知性(cold intellect)より情緒あふれた知恵(emotional intelligence)を、伝統よりも思いやりを(compassion over tradition)大切にするという風潮を育てた
ことにある、と評価しています。


他方で、「NW」も特集を組んでいますが(6月18日号)、こちらは出版された本を紹介しつつ、弱者にあれだけ優しかったプリンセスが身近な友人には冷たかったとか、華麗な男性遍歴とか、「実はね・・」といった類のゴシップ記事で、まったく失望。


私は、「あんな有名人でも(あるいは、あんな偉い人でも、何でもいいのですが)、本当はね、実はね・・・・」といった類の言説に興味ありません。
どんな人間にもネガとポジがあり、ダイアナ妃にも欠点は山ほどあったろうと思います。
ゴシップの種には尽きないでしょう。


しかし、もう少し、ポジティブな面に、格好よく言えば、誰だって生きていることで誰かに貢献しているといった面に眼を向けたいものです。

今年のダイアナ妃の特集記事に関する限り、「TIME」に軍配をあげましょう。


解説する必要もないほど有名なマザー・テレサノーベル平和賞受賞者)については、最近の出版物で、彼女の長年の手紙(告解を聞く司祭あて)が公表されて、彼女がインドのカルカッタで50年以上も貧者や死者や病者のために献身的に活動している年月、信仰や神を信じることに疑念を持ち続けていたという事実が明らかになったという報道です。


これも、NWとタイムが取り上げていますが、前者はシニカルに、「あの聖女でさえ、普通の人間だった」式の論調。

対して、タイム誌は、「マザー・テレサの苦悶((Her agony)」と題して、「疑うことにいかなる価値があるのか、という問いに対して、彼女の生は私たちに何を語ってくれるのか?」という問題意識に沿って、誠実に対応しようとしています。

これもまた、タイム誌の完勝と言ってよいでしょう。


因みに、カトリックのしきたりは知りませんが、マザー・テレサは「列福」という資格(?)をすでに得て「福者」となっており、目下、バチカンで「列聖」を認めて聖者にするかという調査段階にあるそうで、今回の出版は、その調査の一環として担当の神父の編集で明らかにされたそうです

彼女は生前「焼却してほしい」と告解の神父に頼んでいたそうですし、そもそも告解というのは懺悔する者と聞く人との2人だけの秘密であって公表すべきものではないのではないか、と素人は理解していました。なぜ公表されたのかは、両誌とも触れていないので、これを読んだ限りでは、分かりません。

まことに長文のブログになりましたが、読んでいただくことを期待しているより、私自身の記録のために残しておりますので、お許しください。