6日の日曜日は京都も絶好のお花見日和でしたが、私は、NYから一時帰国した友人とお昼をともにして京都駅近くのレストランで3時間近く、話し込みました。

京都は途中下車にて花見の時間もなく、もっぱらお喋り。

30年以上NYに住んでいる日本人の日本観察はなかなか面白かったですが、それは別の機会にして、今回は、エドワード・サイデンステッカー通称サイデンさんのこと。

言わずと知れた、日本文学の研究者。源氏物語をはじめ、谷崎・川端・三島等の英訳で日本文化を広く紹介した功績で知られます。

『雪国』の英訳では、川端康成ノーベル文学賞受賞に大いに貢献。川端自身、「ノーベル賞の半分はサイデンステッカー教授のものだ」といい、賞金も半分渡したそうです(ウィキペディアから)。

長年、日本とアメリカに半年ずつ暮らし、上野近くの湯島に住んでいたが、昨年11月に日本で逝去。


彼の追悼パーティが、長年教えていたコロンビア大学東アジア研究所の図書館で2月23日に開催され、ドナルド・キーンほか同僚や教え子が50名ほど集まったそうです。

友人は教え子ではありませんが、コロンビアの国際関係で修士を取ったこともあって、招待状が来て参加した由。

何人かが彼の思い出を語り、とてもよいパーティだったそうです。

図書館の新聞ラックにネクタイが何本もかけてあり、何かと思ったら、サイデンさんの形見の品で自由に持っていってください、とのこと。

また、写真左のような小冊子も配られたそうで、1冊は私に、もう1冊には海太郎さんが昔NYに旅したときに紹介したので彼にも、と2冊受け取りました。
サイデンさんが「うえの」というタウン誌に45年にわたって、日本語で書いたエッセイ79編のうち10編を選んで、日本での友人が、死後私家版として作成したとのこと。


恥ずかしながらサイデンさんの文章を読むのは初めてでしたが、立派な日本語で、かつ日本人とは違ったとらえ方、また、人柄を偲ばせるような控え目な文章など、たいへん面白かったです。


谷崎や川端の思い出、長年飼った「花子」という愛猫のこと、寄席や小津映画のことなど。


2000年に森・当時の首相の「神の国」発言が海外で大問題になったことをテーマに翻訳の難しさについて触れています。


神道の国」「(八百万の)神々の国」とでも発言すれば、問題なく翻訳されただろうに、「神の国」と発言したために、「divine land(神聖の国、あるいは神のような国)」と訳されてしまった・・・・首相には翻訳顧問官のような人がいるのではないか。「顧問役は曖昧な言葉を探し出して、これを避けるように指導、提言する役割になるだろう」。


ここから自らの経験にふれて、今は日本語で文章を書いているが、かっては英語で書いて翻訳してもらっていた。その際、気をつけたのは、翻訳向けの文章を書くということである。

「翻訳向きの文章があるということに、早くから気がついていた。出来るだけ洒落っ気をなくし、比喩的な用語を避け、二重の意味に受け取られるような言葉も避ける。ユーモアや方言も禁物である。(略)アメリカの小説でもっとも理解されていないのは『ハックルベリー・フィンの冒険』ではないかと思うが、その理由はユーモアの小説であることと方言の小説だからではないだろうか」

なるほど。

さすれば、翻訳を通さず、日本語で書くようになって、サイデンさん自身、ユーモアや比喩や洒落っ気を避ける必要がなくなって、嬉しかったことでしょう。