しまみさん、坊主さん、コメント有難う。

しまみさんは、社会人1年生、元気で過ごしているようで嬉しい限りです。

先日、週末に研究室に出ての帰途、向島駅で「やっくん」に会い、しばらく電車で一緒でした。5月連休までは工場の実習だそうで、腰を痛めてしんどいという話をしていました。
皆さん、頑張ってください。


坊主さんも迷い猫を拾ってしまったとか・・・。気持ちはよく分かりますが、世話をするのはたいへんですね。


実は、大学内の捨て猫は、大学事務局で相当に頭を悩ましているようで、写真は削除しました。
以後この問題には触れないことにします。


まったく、坊主さんの言うように、「無責任な人間のために不幸なペットが増えるのは本当に哀しいことだと思います」。

哀しいだけでなく、自分のことしか考えない態度には、腹が立ちますね。
自己責任という発想をどうしたら植えつけることが出来るのでしょうか。大人がこれでは、碌な社会になっていかないのではないかと、次代の子どもたちのためにも憂います。

どこでも大きな問題で、悩んでいるようで、「わせねこ」というサイトもあるようです。

それに比べれば、我が家の猫は幸せなものです。

しかし、彼女ももとはといえば捨て猫で、猫に詳しい人の話では、いちど捨てられた猫というのは決して人になつかないそうです。人間不信がDNAになってしまったのでしょうか。これも悲しいことですね。


GWの後半は、いろいろと雑用があって、東京に滞在し、老妻と老猫と日々を送っています。もっぱら家にいて、学生諸君のレポートを読んだりしています。

国際文化会館会報」2007年11月号にも目を通しました。
4月9日のブログで、エドワード・サイデンスデッカーのことを書きましたが、会報にも、ドナルド・キーンとドナルド・リッチー(日本映画研究家)の追悼文が載っていて、両方ともいい文章です。


源氏物語」の英訳で著名な、もとコロンビア大教授のサイデンさんは、湯島の高台に住んでいましたが、昨年、上野公園の階段でころび、頭を打って、そのまま回復せず、亡くなりました。

「多くの他の外国人よりも、また、多くの日本人よりも日本のことを愛していた。だからこそ、事故に逢った2007年4月26日、彼は不忍池にいたのだろう・・・」とリチーは書きます。


不忍池をぶらつくと、あの日、彼が転び、頭蓋骨を骨折した小さな階段をいつも通り過ぎる。それはとても短く、たったの五段しかない。だが、その一番上から落ちるのは、8月26日に最期を迎えるまで4ヶ月にも及ぶ昏睡状態に彼を陥らせるには十分であった。

 その後も変わらず池に行くと、かって私たちが腰かけていたベンチに誰かが座っているのが遠目に見える。もう辺りは暗くなりつつある ――夕暮れ時で、星が一つ二つ出始めた。私は、座っている人に近づいていく。それがわが友、エドワード・サイデンスデッカーでないとわかっていても、もしそうならばと願いながら」。

遺言によって、サイデンさんのお墓は日本にあるそうです。