海太郎さん、コメント有難うございます。

ご指摘の通り、ポストデフレの時代が来る、といわれていますが、海太郎さんのような経験と金融知識は、これから貴重なご意見番になるのではないでしょうか。

おっしゃる通り、アナログの音、いいですね。難しいことは分かりませんが、個人的にはピアノの音はアナログに向いているような気がします。

確かに私も、ジャケットに惹かれて買ってしまうことも、よくありました。


CDが出始めたとき、レコードを処分しようか迷ったのですが、一部でも残しておいてよかったです。


写真は、ディヌ・リパッティの、1950年フランス・ブザンソンでの最後の演奏会の録音、2枚1組のレコードです。


いまはこれもデジタル化されてCDになっているのかもしれませんが、知らないし、あまり興味もありません。

ニューヨーク勤務時代に買って(日本では高くて、安月給ではなかなか買えませんでした)いまも宝物みたいに聴いています。


生前、「神が自ら聴きたいためにこの世に遣わしたようなピアニスト」と言われたリパッティ


白血病のために33歳の若さで死んだルーマニア生まれの天才が、死の2ヶ月前にダニューブ河に沿った城壁のある古い町の会堂で、医者が止めるのもきかずに演奏したレコーディングです。


医者や友人は最後まで説得を試みたが成功しなかった。注射をうってもらいながら、「どうしても約束を守りたい」と彼は主張した。死期が近いことを、これが別れの挨拶となることを、彼自身も聴衆もよく知っていた。


病と疲労のために辛うじて息をしている状態でバッハのパルティータを弾き、モーツァルトソナタシューベルトアンプロンプチュ即興曲)を弾き、ショパンの14のワルツの13曲までを弾いた。


「演奏に一瞬感じられる弱々しさ、でもそれは何と心の震えるような弱さだったろう。最後の1曲に挑戦する力を彼はもはや持っていなかったが、そのことをショパンも許してくれるだろう」、とその日を回想して妻は書き記しています。


こうしてみると、デジタルだの、インターネットだのケータイだの文明には進歩があり、オリンピックでは世界新だの日本新だのこれまた進歩があるようですが、音楽には、そういう状態は存在しませんね。過去の方が素晴らしい世界があるというのは、ほっと気持ちを落ち着かせるところがあります。


いちどゆっくり、音楽談義にでも花を咲かせたいですね。


ところで、明日から、カンボジアに出張してきます。
無事に帰れるとしたら、24日。
それまでは、ネットにもウェブにもブログにも関係ない、アナログの日々を過ごしてきます。


報告はまた後日に。