京都での平井元喜ピアノ・リサイタルで会った人たち

  1. 今回も1週間前の日曜日(5月12日)の話です。12日は、ブログをアップしてから家を出て、1泊で京都まで行きました。

f:id:ksen:20190512145432j:plainまだ基本的には静養中で腰も痛いのですが、接骨医から「歩きすぎない、重い物は持たない」などいろいろ注意をもらって久しぶりの遠出でした。しかし家人もいない家で一人で居るより、気分転換になりました。生のピアノの音を聞き、親戚や友人に会い、おいしい料理も頂きました。

人に会っても腰をかがめると痛いので、その点をお詫びしてお辞儀は適当にすませました。

京都は長い連休の直後でもあり、葵祭の3日前でもあり、(京都にしては)人出が少なく、新緑のきれいな良い季節でした。

2.まず、ピアノの話です。

(1)カトリック聖ヴィアトール北白川教会でのチャリティコンサートでした。

教会は北白川の閑静な住宅街にあり、立派な建物です。洛星という京都でいちばんの進学校中高一貫の男子高がこの系列だそうです。

当日は、平井元喜という英国在住のピアニスト兼作曲家の演奏で、主として海外で活動しているので日本での知名度は高くありませんが、補助席も出て200人以上が来てくれて盛会でした。

神戸から来てくれた友人の高橋さんは、自らもチェロを弾くアマチュア楽家ですが、「予想を遥かに越えて充実したコンサートでした。平井さんの清冽なピアノの響きと、素敵な曲(Grace and Hope)には感嘆しました。シューベルトも印象に残りました」という評を頂きました。

「Grace and Hope(祈り,そして希望)」は2011年、東北大震災の鎮魂の曲として元喜が作曲したもので、彼はたまたま3月11日生まれということもあって、以来度々ロンドンをはじめ海外で復興支援のコンサートを開き、東北にも何度も訪れています。

f:id:ksen:20190518101500j:plain高橋さんが自身のフェイスブックで、この曲のYouTubeを紹介しておられるので以下にサイトを載せさせて頂きます。

https://www.facebook.com/masamichi.takhashi/posts/1112231868960916

サイトには、内外の支援活動の写真も載っています。

高橋さんが「印象に残った」というシューベルトは「連禱(れんとう、リタニー)D343」で、もともとは歌曲をリストがピアノ用に編曲、これもまた祈りの曲で、短いが実に美しいです。

これも彼が、元喜演奏のサイトをフェイスブックに紹介してくれました。

https://www.facebook.com/masamichi.takhashi/posts/1114855325365237

キリスト教に無縁の私でも、「主よ、我を憐れみ給え」という祈りをピアノ曲にした旋律は、聴いていて心に深く響きます。

f:id:ksen:20190518101604j:plain(3) 他方で、当日来て頂いた「イノダ」の常連、下前さん・岡村さんのお二人からもコメントを頂きました。

コンサートが終わって教会の別室でお茶とお菓子を頂きながら、暫く皆で立ち話をしたのですが、下前さんはその際、元喜に頼んで指に触らせてもらったそうで、面白いことをするものです。ご本人も指を使う仕事なのでピアニストはどんな指をしているか、興味があったと話してくれました。

(4)また、岡村さんは、ノルウェイの作曲家グリーグの「トロルドハウゲンの婚礼の日」を聴いて、ご自身の旅行を思い出したようでそのコメントです。

因みに元喜はグリーグの曲が大好きでよく弾きます。ノルウェイでも演奏したと当日の演奏の間の「トーク」で披露したので、岡村さんはこう書いてくれました。

――演奏中それは何という街だろうか?教会でだろうか?と考えながら聞いていました。終了後ちょっと強引でしたが、(元喜に)話しかけて、教会で演奏し、街はトロムソだと言われました。以前話したアムンゼンの像の前で高校生に広島の原爆投下について質問され驚いたあの街だったのです。その街の教会に僕はのこのこと入って行ったら、赤ちゃんが洗礼を受けているのでこれは不味いかなぁと思って出て行こうとしたら、バタンと戸を閉められてしまい仕方なく席に座ったらどかりと聖書が置かれました。僕の家は浄土真宗大谷派だけどと思いながら信者のような顔をしてうつむいて座ってましたーーーー

何だか、短編小説にでもなりそうなエピソードだなと感じながら読みました。

(5)私は、大好きなモーツアルトハ長調ソナタK330を弾いてくれたので、とても嬉しかったです。

彼は人前でこの曲を弾くのは初めだと言っていました。

私には思い出があって、ヴァン・クライバーンの弾くレコードをまだ20代、1960年代のニューヨークで買って、聴きまくりました。

f:id:ksen:20190519074207j:plainクライバーンはテキサス州ダラス出身。米ソの冷戦たけなわの1958年、モスクワでの第1回チャイコフスキー・コンクールで優勝(アメリカ人を優勝させることに反対意見も出たが、最後はフルシチョフがOKした)。

弱冠23歳の若者の快挙にアメリカ中が沸き、「鉄のカーテンを開けた」と言われ、NYで凱旋パレードもありました。私が長い米国暮らしのスタートを切ったのもダラスで、彼の演奏も聴きました。当時、国民的英雄でした。懐かしい思い出です。

 因みに、K330はモーツアルト22歳、パリ滞在中の作品です。そして旅に同行した母の病死の衝撃と悲哀のさかなに作曲されたK330は、晴朗な美しさにあふれた小品です。「流れゆく悲しさ、言い換えれば爽快な悲しさ、涙は追い付かない」という、モーツアルトを評するよく知られた言葉にいかにもふさわしい曲だと思います。

f:id:ksen:20190512150646j:plain3.最後は、教会から歩いてすぐのフランス料理屋で、おいしい食事を頂きました。従妹夫妻と立命館大の教授夫妻と5人でした。

彼らは京都の大学生と付き合う機会が多く、「いまどきの学生は、勉強はよく出来るのに、常識がないというか、びっくりすることが多い」という話が次々に出ました。

―――従妹夫婦が管理している時雨亭文庫に手伝いに来る大学生が、例えば、お茶の出し方を知らない。「なんで知らへんの?」と訊いたら、「家では親も、ペットボトルのお茶をチンして飲みます」という答え。

普段の家庭のしつけを受けていないのか、常識がない。スマホや携帯の電話しか触っていないせいか、きちんとした電話の受け答えを知らない。ある学生は、電話の応対が出来なくて相手に電話口で叱られたらしく、何と驚くことに、途中で倒れていっとき気絶してしまった(従妹曰く、「これ、ほんまの話」)。

 そうかと思うと、京都に、ちまきで有名な、室町時代から天皇家ご用達だった川端道喜という高級な和菓子屋があるが、ある日、大学生が、

「今日は、川端道喜ではまちを頂いてきました」と報告してくれた。「はまちはないやろ。ちまきとちゃう?」と問い返したら、きょとんとしていた・・・

また、ある日は、島根県の米子を「よなご」と読めない。「こめこ」だったり「まいこ」だったりする。「だって、米原はまいばらじゃないですか」と言われて、「なるほど、そりゃそやな・・・・」

 しかもこういう大学生が皆、「京都大学の、勉強の良くできる賢い子なんやからおどろくわ」―――

というような、他愛もない話で、いい年をした大人が笑い転げました。

お陰で大いに気分転換になりました。

こういう話を京ことばで聞くのも、私のような東京弁でのやり取りと違って、とぼけた味があって、これもまた面白いでした。