村上春樹『1Q84』を読む

我善坊さん、まことに有難うございます。

ご指摘の通りですね。

国会議員のことを英語でlawmaker あるいはlegislator(立法者、法案作成者)と呼びますが、
日本の国会議員というのは何をしているのでしょう?誰かが作った法律に意見を言うだけ、それも
地元や業界の利害を代表して・・・という存在のようにしか思えませんが・・・


エドワード・ケネディについては、9月7日号の「TIME」も頁を割いています。


「大統領になれなかったが、多くの「その後」の大統領が、講演や回想録やゴルフやら金儲けやらで忙しいのに比して、
彼は死ぬまで、時に消えそうになる「リベラリズム」の旗を最後まで守り続けた(その最後の大仕事が、病を押しての
オバマ支持の演説でしょう)。アメリカ史でも最大の立法者(legislator)の1人だった」と評しています。


エドワード・ケネディの死も遠い出来事ですが、久しぶりに村上春樹を読み、彼が常に取り上げる、フィクションの
世界の「死」にも接しました。



220万部も売れたという新作「1Q84」を読む気はなかったのですが(これだけ読者がいても、70歳以上はほとんど
ゼロではないか)、
一時帰国した娘が読み終えて置いていったので、手に取り、久しぶりに日本語で読むフィクション
(ムラカミは20年ぶり)ですが、面白かったです。


以下長くなりますが・・・


1.おそらく、巷には書評があふれているでしょうが、1つも読んでいないし、
ここで著者が何を言いたいか?というような議論には興味ない。


2.彼の小説は処女作『風の歌に聴け』以来、一時熱心に読んだが、ある時―おそらく『ノルウェイの森』以来―やめてしまった。
理由は、その性描写についていけなくなったこと(当方が年を取った証拠でしょうが)、もう1つは、彼のサービス精神というか、
抽象の世界と具象とのミックス・対比が(それが彼の作品の最大の特徴だが)、とくに後者、個別具体的な小道具への
こだわりに疲れてきたことがある。


3.例えば、「シャルル・ジョルダンの栗色のヒール」だの「彼女はジュンコ・シマダのグリーンの薄いウールのスーツの上に、
ベージュのスプリング・コートを着て・・・」といった表現がやたらに出てきて
田舎くさいなという感じで正直言って好みではない。衣食住へのこだわり、
個別の音楽へのこだわり・・・ヤナ―チェックだの、50〜60年代のジャズだの・・・・などなど、
私のようなこだわりの少ない(ひょっとして、「こだわり」を簡単には人に見せない「江戸→東京」の文化?)
人間からするとくたびれる。

その他、チェーホフ、ギリヤーク人、平家物語(これは私も好きなので、まあいいが)等々。
もちろん必然性が強いもの・面白いものもあるが、多くが、私にはさほど、そう感じられない。



4.例えば好きなのは、「チェーホフがこう言っている、物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない、と」
「無駄な装飾をそぎ落とした小説を書くことをチェーホフは好んだ」(2−33)といったくだり。
 そういう割には、ムラカミ・ワールドはやや装飾過多、饒舌な気がする。


5.と、まあ、しばらく遠ざかっていた理由を私なりに整理してみたわけですが、それでも「1Q84」は面白かった。
物語の展開に破たんがないし、実に巧みに構成された作品だと思います。

 そして例の、ムラカミ・アフォリズムあるいは言説は、いつものように面白い。

「世界というものはね、ひとつの記憶とその反対側の記憶との果てしない闘いなんだよ」(1−525)だの、
「人間というものは結局のところ、遺伝子にとってのただの乗り物(キャリア)であり、通り道にすぎないのです」
(1−385)だの・・・


「説明しなくてはわからないことは、説明してもわからないということだ」(2−458)


 小説の新人賞をとった17歳の「ふかえり」が、「好きな作品は?」と訊かれて「平家物語」。
「どの部分がいちばん好きか?」と重ねて訊かれて、その部分を暗唱したというところ(1−408頁)も好きなくだり
(因みに、どの部分かは、455頁で明らかになる)。


6.中身を紹介する紙数はないが、「青豆」という女性と「天吾」という青年が交互に語る物語。
2巻あわせて、1000ページ以上と長いが、彼が「BOOK1(4月―6月)」と「BOOK2(7月―9月)と
2つに分けたのは、
もちろん意図的であって、これは「上巻・下巻」の感覚で読むべきものではなく、(もちろん連続してはいるが)、
彼は2つの物語を見せたかったのだという気がする。


7.その「青豆」と「天吾」と、2人がどういう関係にあるか?そもそも無関係な2人か?・・・・
実は、私は、「ああ、ここでムラカミは読者にメッセージを出しているんだ」と感じたところがあります。
これ以上書くと、
「ネタバレ」になるので避けますが、私としては結構早い時点で、彼のメッセージを受け取ったな、
とちょっと人に自慢したくなった次第。


まあ、それだけ、年を取って、たくさんのフィクションを読み、さらに恥ずかしながら、若い時にいくつか
駄作に手を染めたという経験から来ているのでしょう。


8.最後に、「ブック1」には、戎野という人物が登場。かれは昔、高名な文化人類学の学者だったという想定で、
こんなことを言います。


――「私の専門は文化人類学だ」「学者であることは既にやめたが、精神は今でも身体に染み着いている。
その学問の目的のひとつは、人々の抱く個別的なイメージを相対化し、そこに人間にとって普遍的な共通項を見いだし、
もう一度それを個人にフィードバックすることだ。そうすることによって、人は自立しつつ何かに属するというポジション
を獲得できるかもしれない」(1−305)


 私の勤務する大学には、「日本で唯一の文化人類学科」があります。

日本では、この学問いまいち、人気がなく、この名称を維持すべきか否かが、学内で話題になることもあります。


1Q84」の戎野さんの存在が、学科の人気上昇につながるといいですね。


いやいやどうも、たいへん、長くなりました。