うんちく会と村上春樹と「非現実的な夢想家として」

1. 少し遅れましたが、前回のブログにコメントして頂いた皆様(
個々にお名前をあげずお許しください)に、厚くお礼申し上げます。それぞれに、たいへん参考になるご意見でした。
私としても更なる感想を加えたい気持ちもありますが、とても書ききれないので残念ながら省略します。


2. 実はこのうち一部の方は日ごろメールでの接触があって、個別にメールでのフォローもあります。また、夏に蓼科高原にてお会いすることもあり、いろいろと蘊蓄(うんちく、広辞苑によると「知識を深く積み貯えてあること。またその知識」)を披露する面々なので、最近「うんちく会」と命名されました。

3. この点でも「うんちく」を披露する人がいて「芸竹会」としたらという提案がありました。

私はこの年になって初めて知ったのですが、「芸(うん)」は「藝」の略字である「芸」とは別に、もともと漢字としてあるそうで、これも広辞苑によると、「香草の名。古代、書籍に挟んで虫よけにした」とあります。


4. その蓼科高原に、今週初め、老妻と2人で2泊3日の短い滞在をしました。こなしやれんげつつじが満開でした。
これらももちろんいいですが、私たちは里山を車で走ったり、時々停めて歩いたりするのを好みます。ちょうど田植えが終わったばかりで、いい眺めでした。
田んぼに張った水の具合を見に来た近くの農家の人としばらく立ち話をしました。
田は水の温度管理が大事でこれに手間を掛けるという話を伺い、日本の稲作というのは文化だなあと改めて感じました。よく知りませんが、東南アジアあたりの米作りで、ここまで丁寧な農作業をやっているでしょうか。

5. 以上は前置きで、今回のメインは、村上春樹です。
もうご存知の方が多いでしょうが、9日、スペインのカタルニア国際賞という賞を受賞された同氏が、授賞式で「非現実的な夢想家として」と題して、「我々日本人は核に対する“ノー”を叫び続けるべきだった」と語ったというニュースです。

スピーチの全文は例えば以下のサイトで読めますし、動画も一部見ることが出来ます。こういう点ではまことに有難い時代になりました。
http://www.47news.jp/47topics/e/213712.php

6. 動画を見ると、日本語のスピーチです。英語でしなかったのは、スペインという場所を考えたのでしょうか。それとも、いちばん語りたかったのは日本人に対してだったからでしょうか。

大震災について、世界で最も知られている日本人と言ってよい同氏が、いつ・どこで・どのように語るかを見守っていた人は多いのではないか。

そのメッセージは、以下の3点と私は受け取りました。


(1)「ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です」

(2)「(今回の福島原発の事故は)我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。
・・・・我々日本人は核に対する“ノ^−”を叫び続けるべきだった、それが僕の意見です」

(3)「日本で、このカタルニアで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそが・・・・再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます」


7. 上の(2)に関連してはこうも言います。

「(世界が日本をあざわらったとしても)我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心課題に据えるべきだったのです。
それは、広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです・・・」

私は「広島・・・で亡くなった犠牲者」の中には、父親も入っているのだなあと思いながら、この文章を読みました。


8. ムラカミが『ノルウェイの森』や、写真にあるような、マイナーな・しかし愛らしいメルヘンから、なぜ、どのようにして、このような発言をする作家に変貌したのか、私には分かりません。

ただ、こういう思考の根っこは、最新作『1Q84ブック1〜3』に強く現れているというのが私の理解であり、それは以下のブログでも触れました。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20100923
ここで私は以下のように書いています。
・本書は、「世界を変える」人たちの思考と行動の物語である。
・同時に本書は、「世界を変えるには倫理の担い手と行動者とメッセージの送り手が必要である」とする物語であり、「麻布の老婦人」と「青豆」と「天吾」がその役割を果たす。(中でもマイナーにしか登場しない「麻布の老婦人」の存在がもっとも重要というのが私見
・ちなみに「倫理の担い手」という言葉自体は、「いったん自我がこの世界に生まれれば、それは倫理の担い手として生きる以外にない」というヴィトゲンシュタインの引用として、3の228頁になってはじめて出てくる。

つまり、彼がバルセロナで語った「倫理」という言葉はこことつながるのです。



9. もちろん、彼は謙虚さをこめて「非現実的な夢想家」として語っています。そして、そもそも「パン屋再襲撃」や「カンガルルー日和」も「非現実的な夢想家」の語る小さな物語であることは間違いないので、そういう意味では、彼の思考は実は一直線に続いているのかもしれません。


10、何れにせよ、彼はこうも言います。
「夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません」


私たちは、果たして、ムラカミと「夢を分かち合う」ことが出来るでしょうか。