(何の関係もないが)エドワード・ケネディ追悼

暫く手元に届かなかった「ニューズウィーク」に目を通したところです。


8月24日・31日の合併号の特集記事は[Fading(しぼむ)日本」、9月7日号
の特集は77歳で亡くなったエドワード・ケネディです。


前者は日本版にも載りましたし、紹介は省略。


まあ、選挙というのに、リーダーの誰も「成長」について語らない。
このままでは、しぼんでしまう。カギはアジア諸国におけるポジション
ではないか・・・というような話。


因みに、本日の日経でビル・エモット(元エコノミスト編集長)が今回の選挙に
比較的好意的に発言していました。

「日本の人々が新政権に辛抱強い現実的な視線を向けることを期待する」
と。


これだけ「負の遺産」を負ってスタートするわけですから、
「しぼまない」ようにするだけでも大変でしょう。



ところで、テッド・ケネディです。


言うまでもなく、JFKやロバート・ケネディの弟ですが、JFKほど「インテリでも
華やかでもなく、ロバートほど真摯で大胆でもない」、しかし、
「頭脳より心根の持ち主」だった、と追悼文は総じて、
人柄と長年の議会での実績に高い評価を与えています。


1. もちろん我々の世代からは、ハーバードでのカンニング事件で
停学をくったとか、酒の失敗も多いとか、なんといっても1969年、
36歳のときの「チャパディック事件」のスキャンダルのイメージが
つきまといます。


2. とくに、69年の事件は、「何も手を打たずに現場を立ち去った罪」
で有罪、たった2ヶ月の執行猶予で済んだが、不思議な事件でした。パーティ
のあと、選挙助手の若い美人女性を乗せて車で送る途中、海に転落し、
自分は脱出したが、女性は死亡、しかも翌朝、死体が発見されるまで警察に
報告しなかった・・・・等々。



 私は最初のアメリカ滞在から、帰国したばかりだったので、情報不足で
(インターネットのない時代)欲求不満だった記憶があります。
JFKの暗殺が63年、ロバートの暗殺が68年(このときはニューヨークにいて
翌日のNYタイムズの「アメリカは病んでいる」という社説を読みました)、
その翌年のテッドの悲劇ですから、世論も、総じてかれに同情的になった
ようには思います。

3. しかし、ニューズウィークは、そのあと彼が、47年間上院議員として、
いかに勉強し、実績をあげたかを力説しています。


(敵対した共和党の重鎮ボブ・ドールは「彼が取り組んだ法案のリストを作ったら、
社会保険の改革、障害者支援、公民権問題・・・等々議事堂から自宅まで伸びる
ことだろう、と述べています」


4. 常に、弱者の味方であり、貧困者、持たざる者、女性、障害者の
ための法案成立にどれだけ尽力したか、それは「富裕層であることへの罪悪感
からくるリベラル意識」に根っこがあると見られるというコメントもありました
(麻生さんや鳩山さんには、そういう“liberal guilt”があるでしょうか)



5. 翻って、日本の政治家は、死後真っ先に、こういう法案の成立に尽力した
・・・という評価を下されることがあるでしょうか?まさに「立法府」である以上、
立法の実績によって評価される、それが、議員の唯一最大の勲章だろうと思います。


6. もう一つ、彼が抜群の「ユーモアのセンスの持ち主だった」ということが、
追悼の文章で、みんなが書いていることです。「ユーモアがある」ということが
人間に対する最高の賛辞になる文化、国柄ということを改めて感じました。


7. 2004年の民主党大統領候補だったジョン・ケリーも大先輩への
敬意を書いていますが、
1985年の1年生議員になったときにテッド・ケネディと一緒に写った写真
を部屋に飾っている。写真にはテッドがこう書いたそうです ―――
ハンフリー・ボガードだったら“これから美しい友情の始まりだね”って
言うことだろう」。言うまでもなく、映画「カサブランカ」の最後のせりふ・
・・ちょっと、洒落てますよね。