スティーブン・キングの『11/22/63』とケネディ大使


1. 昨日は東京も細かい雪が時折舞い冷たい日。それでも少しずつ春へ。散歩する北沢川緑道沿いの小川には小さな亀さんがやっと姿を見せました。
5日夜はNHK「クローズアップ現代」で初めてテレビに登場したケネディ駐日大使のインタビューを見ました。アメリカ側は当初NHKに出る事に難色を示していたと報じられ、何とか実現しましたが、「強固なパートナーシップ」を強調すると同時に、首脳同士のコミュニケーションが全く途絶えた、異常ともいえる日韓関係の改善を強く要望していたのが印象に残りました。このところ内政でも外交でも苦戦続きのオバマ政権としては、日韓の関係悪化までは面倒見切れないというのが本音でしょう。「意見が合わなくても議論になってもやむを得ないが、とにかく顔を合わせて欲しい。4月の訪日・訪韓までに両国トップが会う約束ぐらいしてほしい」。そんな思いをケネディ大使の表情から感じました。


2.ケネディ大使は父親のケネディもと大統領(JFK)がダラスで暗殺されて丁度50年目の昨年11月に赴任しましたが、JFK暗殺を取り上げたスティーブン・キングの『11/22/63』という小説を読み終えましたので、これを紹介したいと思います。

原作は2012年に出たのですが、最近まで私は知らず、昨年邦訳されて、これが文春と宝島社の「海外翻訳ミステリー2013年」の第1位に選ばれ、ペーパーバックも本屋に並ぶようになったので買い求めたものです。
849頁という長い小説で、時間はかかりましたが、さすがに「1位」になるだけあって面白かったです。英語に「Page Turner(読みだしたらやめられない本)」という表現があり、本作を評する言葉としても盛んに使われます。
邦訳は上下2巻で4500円と高い、ペーパーバックは1200円強ですから年金生活者で時間はあるし後者を読みましたが、時々、俗語(スラング)の表現などに分からない言い回しがあって、澁谷までバスで往復、丸善ジュンク堂で邦訳を立ち読みしました。この本屋さんは普段相当買っていますから、たまの立ち読みぐらい許してくれるだろうと思っています。
スティーブン・キングというのは「キャリー」でよく知られたホラー小説の第1人者で、私はこういう怖いのは全く趣味ではなく、彼の小説は今回初めですが、違ったジャンルで、1950年代末・60年代初めのアメリカの時代風景や風俗、人間模様がよく描かれており、同時に、主人公がJFKの暗殺を阻止すべく行動するという話で、題名の「11/22/63」とは味もそっけもありませんが、まさにJFK暗殺の日です。

3.以上が前置きですが、JFK暗殺から50年については、タイム誌の特集記事の紹介を中心にこのブログでも取り上げました。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20131201
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20131206
スティーブン・キングの小説が面白いのは、タイム・トラベル(時間旅行)というSFの手法を使って、2013年に、アメリメイン州の田舎町の高校教師である主人公ジェイク・エッピングが、1958年という過去に戻って、そこからJFKの暗殺を阻止しようと単独で行動するという物語になっていることです。

過去に戻る秘密のルートを偶然友人が見つけて、彼は度々、時間旅行する。戻る時間はいつも同じ時間、1958年9月8日の11時58分の、今住むメイン州の同じ場所。過去にそれだけ長く滞在しても現在に戻ると、いつも2分間しか経っていない。
・・・というのはまさに、お話ですが、この友人が自分は病いのため1958年から暗殺までの5年間という過去を過ごす体力はない、秘密を打ち明けるから、自分の代わりにJFKの暗殺を阻止して欲しいと頼むところからジェイクの冒険が始まります。

その際、友人が、ジェイクに語るのが、もちろん暗殺自体への憎しみと同時に、JFKを失いたくないという強い想いです。もしケネディが暗殺されなかったなら、世界の歴史は変わっていただろう、と彼は言います。

「まず彼は64年に再選されていただろうし、そうすればロバート・ケネディが立候補することもなく、暗殺も無かったのではないか。
マ―ティン・ルーサー・キングの暗殺も無かったかも。そうすれば黒人の暴動も、死者も出なかった。
いちばん大きいのは、ベトナム戦争だろう。もちろんケネディは冷戦の闘士であい、あの戦争の責任はある。
しかし、狂気のレベルまで拡大したのはジョンソンとニクソンのせいだ。ケネディたったら違う決断に踏み切ったのではないか。そうすれば、大学生が徴兵されたり、6万ものアメリカ兵士、何百万と言われるベトナム人が殺される事態にはならなかったのではないか・・・・・」


4.もちろん、JFKの暗殺がなくても世界はさほど変わらなかったかもしれないし、逆にもっと悲惨になったかもしれない(後者のシナリオも小説のなかで提示される)。
しかしここを読んで面白いなと思ったのは、以下の2点です。


(1) ケネディ元大統領に対する高い評価が、いまだにアメリカ国民に根強くあること。
最近放映された、オリバー・ストーン映画監督の「語られなかった、もうひとつのアメリカ史」は原爆投下に始まり、戦後のアメリカの外交政策にきわめて批判的で歴代の大統領にもまことに厳しいが、そのなかで、ローズベルトとケネディの2人だけは高く評価しています。戦後の政治家で評価されているのは他に、ヘンリー・ウォーレス(ローズベルト政権の副大統領)とマーシャルプランで知られたジョージ・マーシャルノーベル平和賞を受賞した、もと国務・国防長官)の2人だけです(あとは政治家ではないが、政治を変えた人としてキング牧師)。彼らがもっと活躍できていたら、とストーン監督は嘆きます。
いまのケネディ駐日大使をテレビの画面で見ながら、アメリカ国民のJFKやロバートへの想い、2人がもう少し長く生きていたら・・・という哀惜を、この小説からも受け取りました。


(2) もう1つは、「歴史の“もしも”」という問題です。
「歴史に“もしも”はない。それが鉄則だ」とはよく言われます。まさに当たり前です。
過去の事実の積み重ねとして歴史がある。
しかし、私たちが未来を考える時は、「もしあの時〜」と考えることは大きな意味があるのではないか。
「歴史に、もしも、はない」しかし「歴史を、もしも、で考えることには大きな意味がある」と思います。
もし、昨年秋に、自民党が別の首相を選んでいたら、例えば、当時の総裁だった谷垣さんを選んでいたら、いまの日本果たしてどうなっていたでしょうか?
靖国に参拝しただろうか?
少なくとも某公共放送の会長は別人だったのではないでしょうか?

ニューヨーク・タイムズは3月2日「安倍氏の危険な修正主義」と題する社説を(またまた、という感じですが)を載せました。
政府は、「事実誤認だ」と反論したそうですが、いまのところ、その記事は同紙には載っておらず、無視された形です。
ケネディ大使も、東アジアの難しい局面を、どう見ているのか、オバマ政権にどう進言するのか、4月のオバマ訪日・訪韓は、何か成果があるのか、しかもその前にファーストレディがお嬢さんを連れて中国を公式訪問すると・・・
いろいろと動いています。
日中、日韓のトップがこれだけ長く顔を合わせないとうのはあまりに異常で危険です。せめて夫人でも仕方ないから、会って、喧嘩しながらでもいいから酒を酌み交わしてほしい、というのが庶民の切なる願いです。






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