続・村上春樹:「オープン」と「クローズド」

黒幕子さん、どうも有難うございます。嬉しく拝読しました。

紫式部と立派な名前をつけたものですが、いささか当方は恥ずかしいし、まあ(主催者に怒られそうですが)
ローカルな出来事です。
それと報道でご存じのとおり、17歳の女子高校生と同時受賞にて、こちらは「史上最年少」と大きな話題です。
当方は、添え物・脇役です。


彼女の小説はまだ原稿段階だそうですが、早く本になったのを読んでみたいです。

先日のブログでも、太宰治を読破する高校生の話を紹介しましたが、若い人が(ゲームやテレビやケータイやマンガの代わり
に)小説を読んだり、書いたりするのは嬉しいことです。

ところで、先週末は東京にて、今週末は京都のアパートにてぐうたら過ごしました。
東京ではちょうど近くの北沢八幡の秋祭りがあり、自宅のあたりを通る「おみこし」の写真を撮りました。

前回、お話した「1Q84」を若干フォローします。

この書評を1つも読んでいないと書きました。
従って他人が何を書いているか知らないので、得意になってご披露している意見はすでにとっくに誰かが
表明しているかもしれません。

本書が
[BOOK1(4〜6月]と[BOOK2(7〜9月]の2冊であって、「 上巻・下巻」ではないという点です。

つまり、本書でムラカミが提示する世界は、ここで「閉じている」のではなく、我々に「開いている」ということです。

もちろんムラカミにそういう意図があるかどうか知りません。
しかし、「上下」ではなく「1、2」ということは、「BOOK3,4,5,」があってもおかしくないということ。

少なくとも、1984年はあと3か月残っている訳ですから、「BOOK3(10〜12月」という1冊があってもおかしくない
・・・・ということで、ぐうたら過ごした週末、喫茶店で珈琲を飲みながら、厚かましくも、「私だったら・・」と「
BOOK3」の構想を練って、結構面白かったです。


内容やストーリーまで考える才能も気力もなかったですが、少なくとも以下のようなことを考えました。

1.「3」は、1&2のように、「青豆」と「天吾」が交互に語る物語にはならない。「天吾」は引き続きOK。
「青豆」の代わりはどうするか?

2.いろいろ考えて、私は「老夫人」を語り手にしてはどうか?と考えた次第。

3.「天吾」は最後に「青豆を探す」決意を披歴する。「老夫人」も「第2の青豆」を探す必要があるだろう。
とすれば「3」は、2人が別々に「青豆」を探す物語。その過程で2人は出会い、当然に
「リトルピープル」とも対決せざるを得ない・・・

4.それには、「1&2」では単に「老夫人」だったが彼女に名前を付けなくてはならない。どんな名前がいいだろう。
「ユキ」はどうか?それと、彼女は、若い時に、フランスにでも長く住んでいた・・という設定はどうだろう。
これ実は先日ブログにも紹介した「モルガンお雪」の伝記から
ヒントを得たものです。


知らない人は、いい年をして「アホじゃないか」と思うでしょうが、珈琲片手にそんな妄想で時間をつぶしました。


最後に、「オープン」「クローズ」という世界についてムラカミ自身が面白いことを言っているそうなので、
ご紹介します。
『偽アメリカ文学の誕生』(都甲幸治・早稲田大学准教授、水声社))の中の「村上春樹の知られざる世界」から。


「村上によれば、現代において重要な問題は、クローズド(閉鎖)システムとオープン(開放)システムとの
闘いである。

・・(村上)僕は、やはり、オープンシステムというものを信じているんです。どれだけ矛盾があろうと、
どれだけ混乱があろうと、人が自由に入って自由に出て行けるシステムというものを信頼している・・・


彼の言うクローズドシステムとは、その中に入ると個人が失われるシステムのことである。・・・思えば、
村上が反発を感じてきた日本社会、文壇、戦時中の軍部、カルトはともに、ある種のクローズドシステムではなかったか。
そして、それらを崩すのは力をもってしては非常に難しいと彼は語る。ただ単純にオープンシステムの優位を示し続ける
ことで徐々に状況を変えることしかできないと言うのだ。


・・(村上)一番良い方法はこれです。開いた世界の良い点を実際に見せて教えるんですよ。長い時間がかかるでしょう。
けれども長い目で見れば、開いた世界の開いた回路の方が、閉じた世界より長持ちするはずです。」

(以上、同書P.120〜123)