食物アレルギーについて

さわやかNさん、我善坊さん、有難うございます。


アニメとテレビドラマ、どちらも知りませんでした。
教えていただいた情報で、当方も
会話に参加できるのは、昔の「不朽の名作」の幾つかぐらいです。
それも多くは少年少女向けの簡約版で読みました。『ああ無常』という気持は
よく分かりますが『ああ無情』ですね。


アニメが制作されたという1978年は、私はニューヨークに2度目の
赴任をした年。テレビドラマの94年は東京にいました。
中島みゆきはこの年齢にしては聴いた方だと思います。この歌は知りませんが・・・・


我善坊さんの言う、日本人が「貧困克服」に邁進した時代、おっしゃるように
懐かしいですね。アメリカや欧州に「追いつき・追い越せ」の時代でもありましたね。

「貧乏克服はスタートラインに過ぎず、その後にこそ我々が実現しなければ
ならない大きな目標があったはずなのに・・・」という嘆きもよくわかります。

よくも悪くも、いまの若者はアメリカに憧れも魅力もあまり感じていない
ようです。むしろ『貧困大国アメリカ』という言葉や印象のほうが流布して
いるようです。


ただ、「我々は何のために頑張って来たのだろうか?」という
思いについては、先日、尊敬する・昔の職場の大先輩と話していたところ、
「頑張った、それが結果として良くなかったのではないか」という
感想をお聞きし、興味深かったです。


つまり、俗に「エコノミック・アニマル」と言われたように、
「市民」として、或いは「家庭人」としての生き方を無視した世代の在りよう、
そのツケが次世代に回っているのではないかという指摘です。
詳しくお話しする紙数がありませんが、何れ意見交換をしたいテーマです。


話しを変えて、遅くなりましたが、26日(月)の
KSEN(京都ソーシャル・アントレプレナー・ネットワーク)の運営委員会
の報告を書いておきます。

浅野さんのブログもご参照ください。
http://asanoya.exblog.jp/11020229/

KSENはこのところ「元気人シリーズ」のイベントを通してネットワークを
拡げることに努力しており、この活動は今後も続ける予定です。


他方でもう少し「クローズド」な、運営委員が集まって、自らの思いや課題を
発表してもらい、意見交換をする、できればアドバイスも提供する、こういう
「場」も設けたいという趣旨で、26日はその第1回で、メンバーの1人から
「食物アレルギー」の話しを聞きました。数年前の京都新聞
彼女のご家庭についての記事にしてくれた
そうで、マスコミも知らせる努力をしているようです。


いままで私は、これがどれだけ深刻で、どれだけ悩んでいる家庭があるかと
いう事実について知らず、恥ずかしくも思い、反省もしました。以下、知ったこと・気がついたこと・・・


・ 最近、レストランなどでも使用している食材を表示しているところが
増えたが、それでも「無知」により傷つくことが多い。病院でさえ、
「このお母さんはお子さんの食べ物へのこだわりが強い」といったコメントを
聞いて悲しくなった経験がある。食物表示も、意識がそこまで行っていない
ので、必ずしも正確でなく、そのため危険な経験をしたこともある。
正確な素材を聞こうとしたら「企業秘密をもらすわけにはいかない」と反発された食料店もある・・・


・ 食物アレルギーは、花粉症やぜんそくと同じくアレルギーの一種で、
原因はよく分からないが、遺伝子、環境、現代の食生活等の複合的な要因に
よるものとされる。7大アレルギーといわれるのは、タマゴ、乳製品、小麦、そば、ピーナツ、えび・かに。


・ 中でも、彼女のお子さんの場合、牛乳と卵と小麦がだめ。
たんぱく質
に過剰に反応し、生命の危険もある。8割は大人になると治るといわれるが、
いまは(5歳)両親で、毎日の食事の素材選びに十二分の努力をしている。
「除去食」と呼ぶそうだが、
例えば、小麦粉に代えて米粉を使う(米粉で作ったスパゲティなど)、
普通のしょうゆは(大豆と小麦が素材)だめなので、小豆島から空豆と塩で
つくった特別のしょうゆを取り寄せている。


・このしょうゆ、1本1000円するそうで、特別の食事を作る努力・エネルギー
もさることながら、コストが高いのが悩みである。


そんな話しをいろいろと聞きました。

ご苦労には頭が下がるし、しかも本人は母親として実に明るく、
元気に対処している姿が印象的です。とても忙しいだろうに、
KSENの活動にも前向きに参加してくれますが、先般出来上がった
「活動報告書」の表紙のデザインも手がけてくれました。
(そういえば、4月18日の京都新聞が「報告書」の写真とともに
完成を記事にしてくれました)



私たちKSENの仲間で、どういう応援ができるかわからないのですが、
少なくとも、思いを共有すること、知ること、そして伝えることはしたい、
その上で彼女のこれからの「夢」(例えば「除去食の料理教室」でも)を
少しでも支えていけたらいいな、と思いました。